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紅の闇  作者: 水無神
第二章 神聖都市エレアザル
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幕間/微睡の約束


 きしり、と小さく寝台が鳴った振動でルドの意識は覚醒した。


「……セイン?」


 仰臥したまま首だけを微かに動かし、寝台に乗り上げてきた人影を探す。周囲は既に暗い、寝台の頭に置かれた小さな手燭だけが光源になっている。


「悪い、起こしたか」


 囁くようにセインが応じて掛布に潜り込む気配がした。

 ようやく首が横を向いてセインの姿を視界に収めたときには、セインは俯せに転がり肘をついてルドの顔を覗き込んできていた。赤土色の瞳が手燭の灯を返して紅に光る。


「……まだ辛そうだな」


 湖からエレアザルへ戻った日の深夜に一度、ルドの意識は戻った。

 が、枯渇するほど法力を酷使した身は極度の倦怠感に苛まれ、意識はぼんやりと霞みがかっているようだった。身を起こすどころか口を利くのも億劫という状態で、少量の水分を摂っただけですぐにまた眠り、その後も僅かな時間だけ目覚めては昏々と眠ることを繰り返した。二度目の朝を迎える頃、ようやく意識がはっきりしてきた。


 意識は明瞭になれど身体はまだ思うようにならない。終日寝台の中でじっとしているしかなかった。


「うーん……、意識は起きてるのに体が動かないっていう状況が辛いかな。お喋りも無理、本も読めない、となると退屈を極めるねー……」

「休息が必要な人間の横で延々と喋ってる訳にもいかないからな」


 セインが小さく笑う。

 日中、アレイクたちも見舞いには顔を出したが、長時間の滞在は避けていた。


「……そういえば」

 ゆっくりとセインが切り出す。思うようにならない首をそれでも傾げて、ルドはセインの言葉を待った。


「お前が……私の話を覚えていたのはちょっと驚いたな」

「……どの話?」

「クロッセの話。湖で遭遇したアレ・・があの人の成れの果てだとすぐ思い至るほど、私がした昔話を覚えていたのかと」


 セインと出会って、一緒に旅をするようになったばかりの頃。眠れば失くしたものの夢を見る、それが辛くてルドはセインに『お話』をねだった。

 セインが語ったのは、初めの内は創世記やそれに因んだ幾つかの伝説、次いでそれまでの旅の中で聞いた他愛ない民話など。

 幾度も語って、聞き手のルドより語り手のセインが先に飽き、ルドが頷くのをいいことに知っている限りの法術の呪文を唱えたが、それにもやはりセインが音を上げた。


 最終的にセインは自分の身の上話まで持ち出してルドに語り明かした。


 ――この頃、セインはルドが小さき者〈エラス・ソルア〉だと知らなかった。外見から判断して三つ四つの小さな子供、同じ話をどれほどしても飽きずにねだる幼い子供。ならば多少入り組んだ話をしても理解せず聞き流すだろう、と。

 実際は出会った当時で九つも終わりかけの、しかも出来の良いお子様だったとセインが知るのは、季節をひとつ越したあとのこと。


「物覚えも記憶力も良い子で嬉しいでしょ」


 くすくすとルドは笑った。

 冬を越えて暖かくなった頃、ようやくルドは自分の身許をきちんと名乗った。そうできるほどに落ち着くのに時間を要しただけで他意はなかったのだが、セインは随分拗ねたものだ。


「……どんだけ覚えてる?」

「たぶん、全部。アレイクさんたちにはどこまで話したの?」

「クロッセはかなり前から狂っていた、五年前に私が斬った、今の姿は仮初まやかしのもの」

「ふうん……。斬ることになった最後の出来事のことは?」


 簡潔に並べたセインを静かに追い込む。

 やっぱり全部覚えてるのか、とセインは苦く口元を歪め、ぱたりと頭を伏せた。


「…………話そうとは、思ってる」


 長く躊躇ったあとに絞り出された言葉に、ルドは満面の笑みを浮かべた。


「そっかそっか、大進歩だね」

「…………」

「ミシリーさん筆頭に不思議な人たちだよねぇ。なんとなーく馴染んじゃって、いつの間にか居心地良くなって、一緒に居るのが当たり前になってるの」

「……そうだな」

「セインが昔の古傷克服できそうなら、僕も頑張らなきゃね」

「なにを」


 腕に埋めていた顔を持ち上げてセインがルドの顔を覗き込んでくる。

 その怪訝な顔に、いつものニッコリ笑顔で。


「セイン離れ、かな? セインも僕離れしてね」


 一拍置いてセインは再び顔を腕に埋めた。


 ――セインとルドの関係は、と問われれば、保護者と被保護者、と返すのが常套だった。どちらが保護者かは置くとして、という但し書きが毎回付くのは、状況に応じてその役目が交互していたからだ。

 ルドは一族をうしなった苦しみから逃れるためにセインに縋り。

 セインは兄と呼んだ男から受けた裏切りと、その男を手にかけた辛さを忘れようとルドに縋った。

 互いが互いに依存して、姉弟きょうだいとも家族とも言えない、それでいて決して別たれることのない強固でいびつな絆を縒り上げた。


 今、セインは古傷クロッセと向き合わざるを得ない状況となった。


 そしてセインは、誰かに縋るのではなく、恐る恐るとだが自分で向き合おうとしている。最大の古傷を自ら曝すことで。

 ならば、ルドもそれにならおうと思う。


「ね?」


 ルドの一押しに、長い沈黙ののち、小さくセインが頷いた。

 セインの自立の約束を確認してルドは仰向けのまま空を眺める。心許ない手燭の光は天井までは照らさない。蟠る闇を見詰めてゆっくり呼吸を意識すれば、徐々に瞼が重くなる。


 意識が沈む直前――横から抱き締められて一気に覚醒した。


「ちょ、セイン! 人を抱き枕だか温石カイロだかの代わりにしないで!」

「ん」

「ん、じゃない、僕離れするって約束したでしょ、たった今!」

「明日から」

「その『明日』は永遠に来ない明日でしょ! 今から!!」

「んー……」

「セーイーンー!」


 もがくルドと放さないセイン。事態が膠着した所で、ふ、とルドの鼻腔を微かに甘い香りが掠めた。


「――セイン、これミシリーさんの香油?」

「ああ……髪と言わず全身塗り込まれた……」

「セインのまだあるよね?」

「あるからっつって逃げようとしたら手抜きするから却下って……」


 やや低くなった声が返る。それがあまりに疲れ果てた声音に聞こえて、思わず噴き出した。


 ルドは季節の野花や果実を用い、法術で香油を精製する。神殿から見ればなんちゃって過ぎる法術だが、セインが実家の術書に載っていたからと仕込んだ術のひとつだ。

 セインはあまり甘い香りを好まないので、柑橘や香草の爽やかなものを心掛けて調合する。ミシリーは逆に甘い香りを好むため、基本的には花が材料になる。


 ミシリーによるセインへの「女の子教育」はほとんど成功していないが、とりあえずセインを磨くことへの情熱は冷めないらしい。問答無用でセインの入浴現場に突撃し、手入れを強行して満足げな顔で去っていくという。


「世話焼きさんだよね、ミシリーさん。確かにセインは自分でやらせるとおざなりだもん。よかったじゃない、しっとりつやつやでしょ」

「……必要あるか?」

「保護者がキレイだと子供は嬉しいなぁ」

「…………こういうときだけ子供になるよな、お前」


 完全に地を這う声音に、しかし恐れることなくルドは笑う。


「ふふ、やっぱり自立のいい時機タイミングだよね。僕の代わりにセインのお世話をしてくれる人もいるんだもん、ちょっと僕は自分のこと頑張ってみよう」

「これ以上お前はなにを頑張るつもりだ……」

「いろいろー。とりあえず法術士として一人前を目指そうかなぁ」


 楽しそうに笑うルドに、セインも柔らかに笑って話に乗った。


「香油の調合屋として身を立てられるかもな」

「あ、それも面白そう」

「あとは口が回るから説教師か交渉屋か……」

「学舎の先生とかどうだろ?」

「どっちが生徒だか分からなくなりそうだな」

「ひどーい……」


 セインの腕から抜け出すことを諦めて力を抜いたルドは、とろとろと意識を手放しながら他愛ない言葉を重ねていく。


 宵闇の中、見えぬ未来を思う微睡のときは穏やかに過ぎていった。



最強の呪文は「ダイエットは明日から」。


セインとルドだけのお話って、かーなーり久し振り~とか。

基本スタンスを思い出せたような(笑)

幕間ですが転換期ターニングポイントでもあります。

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