18.急ぎ足旅情を楽しむ暇は無し
神の子〈アスカ〉が魔を祓い世界を救った年を元年とする新暦で数えて五〇〇年代。絶大な魔力を誇った一族はその『力』の可能性の探求に余念がなかった。
多くの者は法術が賄っていた民の生活に即した術式――明かりを灯したり水の流れを整えたり――の大規模版の術式を生み出したり、神殿と協力して転移術の改良と普及に心血を注いだりと、至極真面目に誠実に『力』と向き合っていた。
しかし別の者は己の力の強化を図った。
法力も魔力も等しくその身に流れる血に含まれている。ではその『血』から『力』を取り出し器具に固着することができれば、それは己の力を補強し増幅する道具となり得ないか――――。
精製のための具体的な手順や道具、術式は遺されていない。彼の者が己のみの利を求めたが故に資料として残さなかったのか、過ちを繰り返さぬためにと後世の者が処分したのか。
狂った探究心の結果として残ったのは、鮮やかにも禍々しい輝きを纏う、大小三十九の紅玉のみ。
「――この頃に一族は数を減らした。最盛時には二百近くを数えた血族は一気に二桁まで減り、増えることなく血を細くし続けた。現在、神の子〈アスカ〉の血族を名乗れるのは私ひとりだ」
「湖のアレは? 一応お前と遠縁で血縁なんだろ?」
深い息を吐いたセインにカイルが問いかける。
セインは緩く首を振って応じた。
「あのクロッセは既に人じゃない。魔に堕ちたか魔と融けたか、いずれにせよ人の理からは外れた存在だ。――瞳の色がそれを物語っている」
「目の色?」
ミシリーが問いを重ねる。
思い返すのは虹彩異色の双眸。右が金に近い琥珀、左が紅玉と同じ赤。
「クロッセは本来、両目とも金に近い琥珀色の瞳をしていた。……神の子〈アスカ〉が持っていたという赤い瞳は、魔性の証でもある」
「神様の申し子が魔物と同じ扱い……」
「魔から力を奪った際に変色したという話もある、よな?」
カイルが零した身も蓋もない呟きを補うようにアレイクが問う。
セインは肩を竦めるだけだ。
「卵が先か雛が先か、だな。初代様に訊いてみるか」
「はーい、セインさん次の質問。
湖のアレが元・セインさんのおにーさんで、あの人を倒すためにヒペリオンに行くぞーってのは了解したんですが」
「……ほぼそれで全部だけど」
「セインさぁん……。えーと、お勉強になりそな難しい説明は要らないんですけどー」
さくっと会議終了を告げようとするセインに眉尻を下げてミシリーが食い下がる。難しい話は苦手だが消化不良では先に進めぬ、と意を決して疑問を並べ立てた。
「魔物の噂って湖周辺限定でしたけど魔物ってどこにでも湧いて出るモンじゃないんですか? あの人湖で死んだから動けないんですか? 湖に向かう前に“石”はいくつか固まってるって言ってましたけどあの人が持ってたのってひとつだったんですよね、どっから増えるんですか? あとあの黒いキモイの何なんですか?」
言い切って、ぜふー、と肩で息をしたミシリーに倣うように、セインも深い深い息を吐いた。野郎二人は何とも言えない表情で沈黙してセインの言葉を待つ。
小さく「推測だらけになるけど」と前置き、吐いた息と同じだけ深く息を吸い込んでセインは口を開いた。
「クロッセの今の状態はさっきの初代と同じ精神体、カイルの言う『もやっと漂う幽霊』と同義。で、精神と肉体はそもそも同一の存在だから密接な関係にある。クロッセはその肉体と“石”を媒介に魔に成ったんだろう。湖で死んだから湖に縛られてるんじゃなくて、湖に沈む肉体と“石”に引き留められて遠くへ動けないんだと思う。
ただ、クロッセ自身は動けなくても、魔は周囲の存在を支配し使役できる。複雑な精神を持つ人間を直接支配するのはかなり上位の魔でないと難しかったと聞くけど、森の獣とか、小さな存在を使って“石”をひとつでも入手できれば、あとはそれを媒介に傀儡を作って収集させられる。ってことで“石”が複数個あるのはこの五年間のクロッセの地道な執念の結果だろう。
あの帯状の物体は魔の操る闇だと思う。魔界の瘴気を凝縮したものだったか魔の本体だったかうろ覚えだけど、物理的な攻撃はもちろん、心を囚われれば闇に堕とされる可能性があるので今後対峙する際にも極力避けて逃げて捕まらないように。以上」
ふー……、と、先程のミシリー宜しく肩で息をしてセインは口を閉じた。
ミシリーは雨粒のように降り注がれた言葉を必死で飲み込もうと頭を抱えて沈黙のうちに格闘しており、訪れた静寂にルドの穏やかな寝息だけが聞こえる。
「…………セインがここまで勢いよく喋るのを初めて聞いたなー……」
はは、とカイルが渇いた笑いを上げた。
教えを乞う形で話題を振れば、セインは知る限りの知識を与えるのに言葉を惜しまない。それは知っている。が、その語り口は滔々と落ち着いて淀みないが、聞き手の様子を窺う間がある。
聞き手を意識しない勢いとなれば怒鳴るときばかり、感情の起伏を抑えた声音で一気に語るのは珍しい。
頬を引き攣らせているカイルを、セインは疲れた顔で見上げた。自分でも慣れないことをしたと思っているので突っ込みは省略する。
「で、もういいか。眠いんだけど」
「へいへい、とりあえずいいさ。あ、なんなら添い寝しようか?」
肩を竦めたカイルが、次いでぎしりと寝台に片膝を乗り上げてセインに迫った。へらりとしたいつもの軽い笑顔と言葉尻で。
刹那。
セインは赤土色の瞳を大きく見開き、鋭く息を吸ったところで固まった。
怒声一発、蹴り出されるだろうなと思っていたカイルも思わず動きを止め――否、その首に細縄を掛けられて強制的に固まることになった。
「ざけんじゃないわよこのクサレーっ!!」
「うがはっ、姉ちゃん痛い苦しいごめんなさい口と手足が滑りましたぁあ――!!」
「ほーら、隣の三部屋も開けて貰ってるから大人しくそっちに収まるぞ、カイル」
ギリギリと容赦なく細縄が首を絞め、ついでに先端に着いている鉤手がさり気なく皮膚に喰い込もうとしている。
鉤手を引き剥がし、しかし細縄からは逃れることができずにもがくカイルの襟首をアレイクが掴み上げた。
「ぐえっ、アレイグ、よげいにじまるがらがんべんじでぇ……」
「んー? お願い事は明瞭な発音でしてくれないと分からないぞー?」
「ごべんなざいぃぃ」
「セインさんお休みなさーい」
「俺たちは隣の部屋でたむろってるから、目が覚めたら顔を出せ」
「ぐげごぐげぇ……」
首を絞められたカエルを引っ立てて行く男女に、硬直から復帰したセインが気の抜けた返事を投げた。
「あー……うん。……死なない程度にな、班長さん……」
了解、と後姿で手を振るアレイクを見送って、セインはぱたりと寝台に倒れた。
仰向けに転がった視界に入るのは素っ気ない天井のみ。午後の陽射しは室内深くまでは届かず、なんの装飾もない真っ白な空間は僅かに薄闇を纏う。
セインは瞼を閉じるとゆっくりと息を吐き、体の力を抜いた。
巻き込むのなら最低限の情報を共有させろ――アレイクの言葉が脳裏に再生される。
――あの話、も……しておいた方が、いい…………
左程の戦闘をしたわけでもない肉体よりも、想定の範囲内の出来事とはいえ心の傷に触る事態に精神が休息を求めている。ふ、と息を吐いたあとは隣の体温に融けるように意識が落ちた。
◆◆◆
「エレアザルからまっすぐ北上する経路で転移陣のある神殿・国立施設に手配をかけました。今の時点で最終地点はゼフィーア王国王都クラルテ、途中八ヶ所を経由いただく予定です。クラルテからはメール経由でシルグルア王国へ入る手筈で依頼しておりますが……最終的にはクラルテにてご確認ください。」
大神殿に戻って三日目、夕食前に客殿を訪れた大神官が告げた言葉である。見事に大神官の権力と実力を遺憾なく発揮してくれたようだが、セインはうんざりとした表情を隠さなかった。
「面倒臭え……一気にヒペリオンに移動したい……」
転移陣頼みでの短縮移動では、どう足掻いてもシルグルア王国王都エリクシアを経由しなければならない。十年以上不在にしていた最上位貴族の帰郷となれば王国上げての大騒ぎになるだろう、下手をすれば数日は拘束される。セインとしては避けたい手段だったのだ。
――地道に歩いて戻って密入国、という手が非現実的なのは痛いほど理解はしているものの。
舌打ちを飲み込んで悪態を吐いたセインに、大神官が控え目に声をかけた。
「大神殿に居る上位神官総出で術式を起動させたとしても手前のエリクシアまででも難しいかと……。かつ、繋げられたとしてもユークリッド様お一人で渡られる訳ではないでしょう?」
転移陣を安定稼働させるために必要とされる法力と技術は、繋ぐ距離と渡る質量に比例する。また、転移陣を起動させた法術士は、転移陣を使用して移動する『通行人』が渡り終えるまでその術式を維持していなければならない。
転移陣の入口と出口の距離は、通行人にとっては数歩から精々十歩ほどにしか感じない。しかし時間は転移陣同士の距離に応じて、一刻から三刻ほどが経過する。
三刻もの長時間、膨大な負荷に耐えて術式を安定させておくのは大神官でも苦しい。
更に、『通行人』にとっての負担も無視できない。意識の上では僅か数歩の間に、身体へは最低一刻以上の時間が流れている。無意識の肉体的疲労に違和感を得て不調を起こす者も出る。
「ああ……、俺たちも王都から国境までで三ヶ所は経由したな。もう一ヶ所くらい経由しないかと勧められたのを強引に断ったが……確かに疲れた。法術士にも悪いことをしたな」
アレイクがやんわりと口を挟む。
「ましてや今回は総勢五人の移動だ、距離の制約の方が大きいだろう」
アレイクの言葉を受けて大神官が重々しく頷く。
「――ああ、ギクス殿に無理をさせるのは論外ですよ、ユークリッド様」
ちっ、と今度は舌打ちを我慢しなかったセインの隣、長椅子に大儀そうに身を起こしていたルドは小さく笑っていた。
カエルは入力ミスではありません。
一応ここまででエレアザル編、終わりです。
次章はシルグルア編になります。
よろしくお願いいたします。
2014.04.03 一部修正(都市名と誤字)




