16.眠る者目覚める時は世も末の
気を失っているセインを横抱きにしたアレイクと、連れ全員の荷物を抱えたミシリーが光の扉を抜けて出たところは、白亜の建築群であるエレアザル大神殿のど真ん中であった。転移陣のためだけの空間であるらしく、高い位置に設けられた幾つかの窓と中央の床面に施された装飾以外には手を掛けられていない真っ白な大広間である。
常駐しているのか術式が稼働する気配に駆け付けたのか、広間の出入り口付近では数人の神官たちが駆け寄って来たり駆け出して行ったりと慌ただしい。
アレイクは転移陣――実際は不可視であるが、床面に術式を模った装飾が施されている――から出て広間の出入り口へ向かう。ミシリーも黙ってついて来ていた。
が、さすがに寄って来た神官らに足止めをされ、しばらくただ立っているしかなかった。呼ばれた大神官に事情を説明し、滞在の再許可を得て数日前まで寝起きしていた客間へと向かう。
アレイクに抱えられていたセインが、小さな呻き声とともに意識を取り戻したのは、寝台に降ろされてすぐのことだった。
◆◆◆
「……っくそ」
「セイン、悪態を吐くより先に説明をしろ」
目覚めるなり両腕を顔の上で交差させて呟いたセインを寝台脇から見下ろして、アレイクは強い語調で問い質す。ミシリーは寝台の端、セインの足元付近に腰掛けて黙っていた。
「…………」
「セイン。お前が、俺たちを疎ましく思っているのは承知している。だが、それでも同行を容認してくれているだろう。最低限にでも情報は共有させてくれ」
そうでないなら徹頭徹尾、同行を拒絶し通しておくべきだった、と続けられてセインは唇を噛んだ。
確かに容認していた。煩わしいと思いつつ、ルドが楽しそうにしている様を見て絆され、手練れと仕合えることが存外面白く、気付けば当たり前のことと受け入れていた。そして、受け入れるならば当然、面倒事に巻き込む覚悟も必要だ。――そう思って、大神官が「魔が湧く」という話を持ち出したときも同席をさせた。
だが、この話はしなかった。
したくないからと黙していたのだ。セインが、意図的に。
セインが唇を噛んだまま黙っていると、不意にアレイクが身動きをした。体ごと扉の方へ向き直っている。つられてミシリーが視線を動かせば、静かに、だが荒々しい気配を纏って寝室の扉が開かれた。
「たでーま」
扉を開いたのは大神官、扉を押さえた最高位の神官に礼を言うでもなく脇を抜けて寝室に入ってきた男は、素っ気ない帰還の言葉だけを放った。
カイルはいつものように左腕にルドを抱えているが、そのルドはぐったりとカイルの肩に頭を凭れさせて目を閉じていた。
「え、……ルド君!?」
「法力枯渇した、つって寝落ちた。大丈夫かね」
ぎょっとしたようにミシリーが立ち上がり、セインも身を起こして寝台の足元を空ける。空いたところにルドを寝かせながら、カイルが大神官に視線を投げれば、小さく首肯が返ってきた。
「ゆっくりと休養を取れば問題はありませんが……。さすがに転移術を連続使用すれば疲れましょう。それも、反則技に等しい応用では」
経緯はカイルに聞いたらしい、大神官がセインに視線を向ける。常には凪いでいる翡翠の瞳が、ややきつい色を帯びる。紡がれた言葉は丁寧ながらセインを責めるものだった。
「転移術は本来、どれほど小さな規模のものであっても、時間をかけて丁寧に術式を組み、陣を場に定着させて使用します。でなければ『道』が不安定になり空間の狭間に閉じ込められかねません。それを短時間で一時的に、強制的に敷くなど……力技もいいところです。
幼子に随分な無茶をさせましたね、ユークリッド様」
セインは大神官の咎める視線から逃げるように、まだ痛みの残る首を捻る。
「……できると言ったのは大神官でしょう」
「できるか、とお尋ねになったのは貴女です。この事態を想定しておいででしたか?」
拗ねたようなセインの言い分を大神官は容赦なく潰した。
雨に足止めされた日、大神官の手隙の時間にセインはルドへ法術の手解きをしてくれと持ちかけた。
神殿に委ねる気はないと言い切っていたセインのまさかの申し出に面食らったものの、理由を聞けば一応の筋は通っていた。
曰く、セインが指導できるのは言葉でだけ、実践について手本を見せることはできない。小さな術式であればともかく、大きなものだと不発や暴走の際に収めるのが難しいので教えられていない。図らずも足止めを食らった以上、折角だから大きな術式を覚えさせたい、と。
その『大きな術式』の中に転移術が含まれ、かつ応用の幅についていくつかの質問を受けた大神官は、知り得る限りでの回答をした。
結果が、これ。
「確かに、実用化されれば緊急時の退避法としては有効だろうとお答えしました。しかし、これまで実用化されなかったのは、術者への負担があまりにも大き過ぎるからだとも申し上げたはずです。
――如何に莫大な法力を持つとはいえ、心身の未熟な子供に扱わせて良いものでは決してありません」
止むことの無い大神官からの批難に、セインはただ黙って俯くしかない。落ちた視線の先に、四肢を弛ませて伸びる幼い身体。
――と、それまでピクリとも動かなかったルドが眉を顰めて微かな声を漏らした。もぞもぞと体を丸め、寝台の奥に向かって叩頭礼を取るような体勢に持ち込んでいく。
「ルド、起きたか?」
「んむー……ぅう」
そっとカイルが声をかけるも、返るのは寝言か呻き声か判然としない。だが意識が覚醒したのは間違いなかったようで、周囲の人間がじっと見守る中、ルドはゆるゆると頭を上げてセインの方へ首を傾げた。
「……小さな子に無茶をさせましたねぇ、愛し子?」
そうして零れた声はルドのもの、しかし紡がれた言葉は違和感に溢れていた。
身体は寝台の奥を向いたままであるため、顔を向けられているセイン以外の者にはルドの背中と傾いだ斜め後ろの頭しか見えない。全員から窺えるセインの表情は完全に凍り付いていた。
「まあ、無謀のおかげで法力が枯渇したので、私が体を拝借できた訳ですが。……あ、ちゃんとこの子に了承取っていますよ? 勝手に乗っ取ってはいませんからね?」
声音からは微笑んだ様子が受け取れた――が、セインはじりじりと後退を始めた。寝台の枠に背が当たるまで距離を取って、呆然とルドを見つめる。
「なん、だ……お前……?」
絞り出されたのは誰何の言葉。
ルドの奇妙な物言いとセインのありえない反応に、周囲は対応に窮し沈黙するしかできない。
ルドの体を借りた、と宣言した何者かは、うーん、と唸るように天を仰いだ。
「私の名前、変な風にしか伝わっていないのですよねー。でもアレで名乗るのも癪なのですよねえ」
こてん、と首を戻して再びセインの方へ顔を向け、名案を思いついたとばかりに手を打ち合わせて声を上げた。
「あ、そうか。私がなにか、という問いですから、貴女の血の最初の一滴です、で答えになりますね」
上手いこと言った、と明るい笑顔で後ろを振り返ったルドの双眸は、セインの首にかかる紅玉と同じ鮮やかな色をしていた。
◆◆◆
かつて世界が魔に侵された時代、忽然と現れた救世の魔術士。彼は淡い髪と赤い瞳を持っていたという。金とも銀ともつかない淡い色の髪と赤みの強い茶の瞳というセインの持つ色は、先祖返りゆえの色彩。
今、ルドの明るい茶色の瞳を赤眼に変えているこの存在は、すなわち。
「…………初代?」
「まさか、アスカ様、ですか?」
セインの呟きに被せるようにして大神官が呼びかける。思わずといった態で膝を突き、振り返ったルドの顔を凝視している。
アスカと呼ばれた子供は顔を顰めて拗ねた表情を作り出した。
「社の長、それは私個人の名ではありませんからやめてください。というか、なんでそんな切れ端だけが残されたのやら」
社、というのは古くは神殿を指した言葉である。大神官がここを統べる者であるとは分かっているらしい。
そして、『アスカ』と呼ばれて拗ねた『彼』はしかし、その呼び名を否定はしなかったのだ。
「……初代が亡くなって九百年以上……なのに、なんで」
呆然とするしかないセインの言葉に、『彼』はまたも首を傾げる。
「そんなに経っていますっけ? まあ、肉体は疾うに土に還っていますよ? 今の『私』は、記憶とか人格とか意識とか、そういう『形のない存在』です。ずーっと眠っていたのですけどねえ、近頃どうにも寝苦しくなって、とうとう起き出してしまいました」
やれやれ、とルドの顔で苦笑した『彼』は、セインや大神官が声をかけるより早く話を続けた。……両手を前に出して右から左へ、荷を移動させるような振り付で。
「――は、置くとして。要件に移りましょうか」
「いやいや置くなよ、お前なに?」
気後れなどしないカイルがさくっと突っ込むと、紅の瞳がカイルを見遣り、ぱちくりと瞬かれる。二度繰り返して、あどけない瞳が細められた。
「ああ、いい色ですねえ。
私は愛し子のご先祖様の幽霊、というのが解り易いでしょうか。愛し子の一族の、始まりの存在です」
「色ってなんの……は、いいや。セインのご先祖の幽霊ってのもいいんだけどよ、なんだってルドに憑く必要があるよ。幽霊なら幽霊らしく靄のよーに浮いて出ろって」
カイルの眉根がきつく寄せられる。大技を使って疲労困憊で眠っているはずのルドを案じての言葉ではあるらしい。やや論点がずれている感があるのはカイルの標準仕様なので仕方がない。
「この子への影響の心配ならご不要ですよ、黄丹の君。むしろ枯渇した法力を回復させるための呼び水程度のお役には立てますから。まあ、私の『力』を阻害する要素が多いのであまり長くは留まれそうにありませんが」
にこりと微笑んでそれ以上の追及を封じる。カイルが険しい表情を崩さず、不承不承といった態度を隠しもせずに押し黙ったのを確認してから、視線をセインに戻す。
「さて本題に戻って。まずは貴女の意思確認を」
硬い面持ちのセインに、幼い指が一本、向けられた。




