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紅の闇  作者: 水無神
第二章 神聖都市エレアザル
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15.微笑みは狂気に歪み血を求む


 漆黒の艶やかな髪は背の中ほどまで、濃灰の長衣に無造作に流されている。おもては軽く伏せられ、繁る木の葉の影と額にかかる髪に目元が隠されて表情は見えない。背は高くも低くもなく、かつ痩身ながら弱々しい印象もなく――むしろ禍々しさを纏って、男は大樹の根元に立っていた。


「な……んだ、アレ……」


 零れ落ちた低い掠れ声はアレイクのものかカイルのものか。


「魔、だ」


 答える声も低く、常には涼やかに響くものが今は緊張を帯びて尖っていた。セインは短く言い切って一歩踏み出し、男を見据えたまま腰の剣を抜いた。

 セインの様子に対するルドの反応は早かった。背負っていた荷を下ろすなり杖を引き抜き、胸元に構えて一気に結界を張る。男から一番離れた位置に立つルドを中心に、端は男に一番近いセインの一、二歩前方までを半球の燐光が覆う。


 結界の作用を示すほの白い紗の向こうで、男がゆっくりと頭をもたげる。


 露わになるのは血管さえも透けて見えそうなほどに青白い肌の、恐ろしく整った美貌。切れ長の目元と口元に薄い笑みを刻んで、穏やかな表情を作り出している。だが、黒髪の隙間から覗く双眸は笑っていない。

 狂気を孕んだその瞳は、右が金を溶かし込んだような明るめの琥珀色、左が鮮やかながら底の見えない紅色――セインの首にかかる、紅玉と同じ色をしていた。


 左右非対称の色を持つ眼が眇められると同時に、男の足元で黒い帯が揺れた。

 ――否、帯ではなく、黒く細く平らで長い、何か。男の影から次々と湧くそれらは一斉にセインを目指して勢いよく伸び、しかしルドの結界に阻まれる。

 ギシッ、ガツッ、と木剣同士でも打ち合わせたような鈍い音を上げて黒い何かが弾かれるのを見て、男は口元を僅かに歪めた。


「侵入防止の結界、清めの術式の上乗せ……神殿にはない発想」


 感情が欠落した不自然な物言いよりも、甘く蠱惑的な声音の方が耳朶に残る。

 男の目線は黒い帯状のモノの先端、結界に弾かれた部分が硬度を失い霧散している様を興味深げに捉えていた。


「……桁外れの法力、それを血脈で繋ぐ小さき者〈エラス・ソルア〉の、男」


 にんまりと男が笑んだ。

 美貌に浮かんだとろけるような笑みはしかし、どこか背筋を凍らせる寒さがあった。


 清めの術式を纏った結界越しにはっきりとした狂気を感じ取って、ルドは小さな肩を震わせた。セイン同様に臨戦態勢に入っていたアレイクとカイルも、彼らが剣を抜いた際に放り出された荷物を回収して下がったミシリーも、言い知れない嫌悪と恐怖に臓腑を鷲掴みされた心地だった。


「――魔に堕ちても変わらない、か」


 誰に聞かせるでもない微かな声は、最前列で男と向き合っているセインのもの。諦観と、僅かに悲哀を含んだ言葉は、微かにでも男に届いたと見えた。男は笑みを深めることで応え、妄執を湛えた色違いの双眸を細める。


「セイン……ひょっとしてこの状況は想定内か?」

「最悪の想定だったけどな。……未浄化の“石”をひとつ道連れに沈んだとはいえ、死の淵から這い上がってくるとはな」


 男から視線を外さないままアレイクがセインに声をかければ、セインも男を見据えたままに返事を寄越した。

 まさか、と震える声は結界の中心から。


「セイン、まさか、この湖が……」

「エレアザル周辺に湖と呼べるほどの水辺はここしか無いよ、ルド」

「――ああもうっ!」


 苛立たしげにルドが吐き捨てて、握り込んだ杖に白い光が収束する。早口に紡がれる呪文とともに振り上げられた杖の先から光が放たれ、前方に立つ三人の、その手にある剣に舞い降りた。

 まばゆいほどの光が収まった後も三人の剣は淡い燐光を帯びたまま。

 アレイクとカイルが目を見開いて己が剣を見詰めるのを置き去りに、セインは剣を左手に持ち替えて駆けだしていた。


「セインッ!」

 一声してカイルが続いた。躊躇いもなく結界の紗幕に突進し――抵抗なく駆け抜けていく。

 アレイクは場に留まったまま、僅かに目線だけをルドに投げてくる。

 杖を眼前に突きだした体勢のルドはどこか腹立たしげな風情で大きく息を吸って、

「結界はお二人の出入り制限外してます、清めの術式をやいばに乗せました、魔物にも通用すると思います!

 でもたぶん倒すには至らないのでセインを回収して一旦退くことを提案しますっ」


 ルドの怒気を孕んだ言葉に頷きを残して、アレイクも結界を抜けた。




  ◆◆◆




 セインがまっすぐに突き出した切っ先は、男の半歩手前のところで見えない障壁に阻まれる。だが男にとって無害でもないらしい、ほんの僅かにだが煩わしげに眉が顰められる。しかし視線は逸らされることなくセインを、その首にかかる紅玉の連なりを捉えていた。


 すぐに二撃目を構えたセインが踏み出すより早く、カイル脇を駆け抜けていく。二本の剣を同時に男の脳天目掛けて叩き込むが、やはり障壁に弾き返される。剣が跳ねたあとの虚空に黒い塵が一握り、さらりと流れた。


 カイルは間髪置かずに男に双剣を浴びせに入る。そのすべてが障壁のために男には届かない。黒い塵がざらざらと生まれては消えていく。

 カイルの邪魔をできず間合いを取って状況に従うしかないセインの隣に、アレイクが剣を構えつつ並んだ。


「――セイン、退くぞ。ルドのところに戻れ」


 アレイクが声をかけるが、セインは何ら反応しなかった。ただまっすぐに男の紅の瞳を見返していた。

 男は身動みじろぎひとつせず立ったまま、セインの首元からゆっくりと視線を外し、執拗に斬りかかるカイルを意識する。それまで様子を窺うように動きを止めていた黒い帯たちがゆらりと浮き上がり、一斉にカイルに襲い掛かった。


「うぉあ! キモッ、これ気持ち悪!!」


 どこか暢気に聞こえる叫び声を上げながら心臓を狙って伸びた一本を左の剣で払う。続けざまに目を潰しに来た一本は頭を下げて避け、左右から横薙ぎに首を刈りに来た数条を両の剣で叩き落とす。

 刃に纏ったほの白い燐光は陰ることなく、黒い帯たちはややその色を淡くするが、間を置かず漆黒に戻ると再びカイルに襲い掛かった。


「ちょ、また首とか目とか心臓とか! 一撃必殺かよえげつねえぇぇ!」


 言いつつ防御に徹さざるを得ない。舌打ちをするカイルと見据える男の間、僅かな隙もない緊張感の中に、アレイクは強引に割って入った。カイルを標的と定めていた黒い帯が一瞬、標的の増加に惑うように動きを止め――だがすぐに二分してアレイクとカイルとに攻撃を始める。

 ふたりが黒い帯の相手になったからか、男の視線が再びセインへと戻っていく。


「カイル、セインを連れて結界へ! ルドが扉を開く!」


 セインが標的として巻き込まれる前に退け、とアレイクが怒鳴る。

 性懲りもなく首を刈りに来た一本を打ち払ってカイルは後方に跳んで黒い帯の相手をアレイクに渡した。セインの様子を視界の隅に捉えれば、変わらず剣を構えて男を睨みつけたまま。

 小さく息を吐いて、カイルは男の――黒い帯の――動きを意識しつつセインの側面に近付き、やはり微動だにしないセインの脇腹を蹴った。


「――な、」

「起きたかー? 一旦引き上げっぞー」


 体勢を崩すほどの衝撃ではなかったが、セインの意識はようやくカイルを認めた。睨みつけてくるセインに、カイルはいつもの軽い口調で告げる。

 一瞬、言われた意味が解らないような顔をして、しかしすぐにセインは首を振った。


「……駄目だ。あれは、放置できない」

「どうにかできる目途が立ってますかね、セイン・ユークリッド様?」

「……」

「引き上げだ、結界に戻れ。だっつーなら力尽くな」


 セインは唇を噛んでカイルを見返し、黙って男に視線を戻した。アレイクが黒い帯の相手をしている今、男はやや無防備にも見える。

 意を決して男に向かおうとしたところで、眼前にカイルが割り込んできた。

「――どけ!」

「先に力尽くっつったからな、恨むなよ!」


 カイルは怒鳴りつつセインの剣を右の剣で捌き、僅かに前に傾いだセインの側面に回り込むと、左の剣の柄尻をセインの首筋に叩き込んだ。小さく呻いて膝を折ったセインの鳩尾みぞおちを蹴り込んで結界の中へ転がす。

 ミシリーが駆け寄るのを確認する前に踵を返して男に向かった。


「アレイク戻れ! こいつは俺が引き受ける!」


 アレイクも余計な反駁はしない。素早くカイルと入れ替わると即座に結界へ入る。

 男はどす黒い笑みを佩いてカイルを迎え撃った。十本余りの黒い帯が寄り集まり、一本の太い鞭となってカイルを襲う。

 執拗に絡みつこうとするそれを避け、再度双剣を男へ振りかぶったところで背後から白い光が溢れた。


 男が僅かに目を見開き、カイルから視線を逸らす。


 後方ではルドの結界の中に、新たな術式が構築されていた。


「……転移陣……ここに?」


 少し前までのどす黒い笑みを消し怪訝に眉根を寄せる男の声は、輝度を増した光に飲み込まれた。結界の中央から、男がその根元に立っていた大樹の天辺までを覆うほどに膨れ上がり、しかし一瞬で収束する。

 瞬間の光に目をかれたか、男が色違いの双眸を眇めて動きを止めていた。同様に太い鞭となっている黒い帯たちも動きを止める。


 光源を背にしていたカイルは眩惑されることもなく男に双剣を振り下ろし――初めて男に切っ先が届いた。


「……っ、やっぱ人と同じにゃいかねえか!」


 男の首を狙った双剣はあやまたず首の付け根へ斜めに入り、しかし深くは斬り付けられずに剣は止まった。感触としては鎖骨に当たったようなものだが、引き抜こうとしても剣が動かない。極浅くしか喰い込んでいないにも拘らず、男の皮膚が肉が、剣を喰い締めて離さないかのように。

 そして、男の首元からは、血の一滴も流れない。


「――カイルさん戻って!」


 背後から飛んで来た声に、躊躇いなく剣を手放して駆ける。

 黒い帯が分離して追い縋ってきたが、絡みつかれる寸前でルドの結界へ入った。中央で、やや顔色を悪くしたルドが再び転移陣を敷いていた。


「扉が開いたら僕を抱えて渡ってください、すみません」

「いや、こっちこそ二度手間かけさせて悪いな」

「……じゃ、いきます」



 細められた紅の瞳が、膨張する光に呑まれながらすべてを見ていた。


「触手」という表現をあえて避けてみたら、

「黒帯」としか表現できなかった語彙力に万歳(泣)

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