09.譲れない己の行く道辿る時
紅の光を取り戻したばかりのそれを、首にかけた連なりに入れる。カチリ、という澄んだ音を残してすべては終わった。
「――終わりです。これ以上は何も出ないし起こらない。お勤めに戻られてください」
切った右手に手拭いを巻きながら、セインは居並ぶ神官たちに声をかける。顔色を悪くするほどの出血でもない。いつもの無表情のまま、淡々と手拭いを固定して立ち上がる。
奇妙なものを見た、と言う表情の上位神官たちは、互いの顔を見合わせながら、最終的に静かに佇む大神官へと視線を落ち着かせた。
「ユークリッド様、治癒を」
神官たちの視線を無視して手を差し出す大神官に、セインは首を横に振った。
「この程度の傷は自然治癒する。お気になさらず」
「……痕が残りますでしょう」
言い募る大神官に、今更ひとつやふたつ増えたところで大差ない、と再度首を振る。大神官は渋い顔をしたが、セインはそれ以上構わずに姿勢を正して軽く頭を下げた。
「ありがとうございました、ミナトゥス様。滞在の世話と“石”回収のご協力には感謝を。これで失礼します」
さくっと告げて、与えられていた客間の荷物を取り行こうと踵を返し――その気配に気付いた。
「…………あ?」
未浄化の“石”があったから、というか、“石”に気を取られていたから、それには意識が行かなかったのだろう。普段ならば、これほど近ければ、決して見落とすことの無い気配。
「――――ッ!」
「ユークリッド様!?」
大神官の声も聞かずにセインは駆け出した。
白亜の迷路と化している建築群を、気配を辿って闇雲に駆け抜ける。活動を始めている多くの神官たちが何事かと眼を向けてくるが、セインは一切無視してひたすら走った。
最終的に目に入ったのは重厚な造りの白木の扉。細かい彫刻が施され磨き上げられたそれを、どがん! と容赦なく蹴り開けた。
開いた扉の向こうは応接室の設えになっていた。
茶卓を挟んで二脚置かれたの長椅子の一方に夕焼け色の頭が覗き、対面に少女と子供。少し離れた卓子に肘を乗せているのは落ち着いた雰囲気の青年。
騒音に視線がセインへと集中し、全員が同時に声を発した。
『あ、セイン(さん)』
「――なぁんで雁首揃えてここに居る!!」
のんびりとした様子の、置き去りにしてきた筈の連れたちに、セインは力一杯に怒鳴りつけたのだった。
◆◆◆
アレイクたちが朝食を済ませて宿を引き払い、六ノ刻丁度に大神殿の正門へ着くと、白い法衣姿のメドリングが出迎えてくれた。被る帽子の刺繍は深みのある緋。神官としては高位、上位神官の中では下から数える程度の地位、とはメドリングの談。
そんな他愛のない話をしつつ、通されたのは落ち着きのある広い応接室だった。
重厚な茶卓を挟んで置かれた、大きめの長椅子二脚。それらとは別に椅子四脚が添えられた大きな卓子。奥に衝立で区切られた空間があって、どうやら水場に続いている。
ミシリーがルドを促して長椅子の一方に二人で掛け、もう一方にカイルが掛けてしまうと、カイルの隣に座るのも窮屈な気がして――実際は男二人で掛けても余りある大きさだったが、むさ苦しいと思い――アレイクは椅子に腰を下ろした。
「折角、朝からお越しいただいたのですがね、大神官様以下、高位の神官方はなにやら大事がおありのようで、もうしばらくお待ちいただくことになりまして。申し訳ありませんね、せめてお茶菓子でもお持ちしますのでね」
メドリングは言うだけ言って、応接室から去って行った。
ここでも暇を持て余しそうだな、とアレイクが頬杖をついたところで、その騒音は飛び込んできた。
幸いなるかな、とっ捕まえる予定のセインが、早々に自ら駆け込んできてくれたのだ。
三日ぶりに見るセインは、神官の御仕着せを着ていた。真っ白な法衣に紅玉の首飾りが映えている。帽子などは被らず、いつもは首筋で無造作に括っている長い髪が今は下ろされて背に流れ、陽光に輝きを放っている。そして、何故か右手に手拭いを巻き付けていて、白い布に薄らと赤が滲んでいた。
「クッソ……ルドの気配がするからまさかと思ったら……マジでいるし」
一声怒鳴って力尽きたのか、蹲って頭を抱えた状態でぶつぶつ言っているセインに、取り敢えずアレイクが気になったところから突っ込みを入れた。
「セイン、その右手はなにをやらかした結果だ」
そこで初めて気付いたのか、ミシリーがぎょっとしたようにセインの右手を見つめ、カイルが眉を顰め。ルドは呆れたような諦めたような顔で長椅子を立った。
「エレアザルにあるって言ってた“石”、大神殿にあったんだ? 無事に浄化まで終わったんだね?」
「あー……、うん。終わった。出るか。うん、すぐに出よう発とう離れよう」
傍に来たルドの言葉にゆるゆると立ち上がったセインは、即座に大神殿を離れたいようだったが、背後からかけられた声に阻止されることとなった。
「……ユークリッド様、どうされましたか」
困惑に満ちた大神官の声だった。
セインを追ってきた大神官は、応接室内を覗き、ルドに目を留めると、ふとその翡翠の瞳を細めた。
大神官到着時点ではセインはまだ「なんでルドたちがここにいる」という混乱と諦めと疲労の狭間を漂っていた。しかし、続く大神官の言葉と、大神官の背後から上がった甲高く上擦った声が、セインを一気に不快の真っ只中へ叩き込んだ。
「そちらの御子は……イーハから来た上位神官の推薦を受けたのはあなたですか」
「おお、大神官様! 今朝はなにやら大事がおありとのことでしたが、早々にこちらへお越しいただけたとは光栄ですね! さぁ、どうぞ、ぜひ子供を見てやってくださいませ」
――諸悪の根源、認定。
大神官の側を通り抜けて室内に入ってきた冴えない中年男を睨みながら、セインは男の前に立ち塞がった。
「この子は私の連れだ。本人が望んで大神殿に居るとは思えないが、あんたが無理矢理に連れて来たのか?」
「は……? なんですかね、君は。ああ、坊やの保護者というのはあなたですかね。力を持つ子供を正しく導いてやることは大陸の民の責務ですよ。まったく、どうして今まで放っておいたのでしょうかね」
物凄く不機嫌な雰囲気を隠しもしないセインに、メドリングも引きはしなかった。セインが大神官と同位に置かれるユークリッド家の人間とは知らぬ風で、彼の信じるところを突き付けてセインと向き合った。
「力の使い方は私が教えている。神殿の手を煩わせるつもりはない」
セインは不機嫌に歪めた表情のまま、ルドの引き渡しをきっぱりと拒絶する。
「は、君になにが教えられると? たいした法力も感じられない底辺法術士でしょう?」
「――メドリング上位神官」
セインの拒絶には引かなかったメドリングだが、背後から降る声には逆らえないらしい。さっと振り向いて大神官の言葉を待つ姿勢を見せる。
大神官は静かに、だが決然としてメドリングに退出を命じた。
「去りなさい。あとのことは私に任せてもらいます」
「だ、大神官様?」
「この御方は私の客人です。これ以上の不作法は許されません。――去りなさい」
メドリングは戸惑いながらも、手にしていた茶菓子を茶卓に置くと「どうも、失礼しました……」と、おざなりな謝罪をセインに残して退出していった。
その背を見送り、セインが蹴り開けた扉をきっちりと閉じてから、大神官は深々と頭を下げた。
「――重ね重ね、申し訳ありません、ユークリッド様」
「いえ、お気になさらず。これで引き揚げさせてもらいます、お世話になりました」
早々にルドを抱えて出て行きそうな勢いのセインを、大神官がそっと手で制した。
その動作にセインが眉根を寄せて止まる。
「この子は渡しませんよ。本人が望めば別ですが」
「いえ……御子のことは、そのように。
別件で、もう少しお話をする時間をいただきたく追って参りましたので」
セインは顔を顰めたまま大神官と向き合う。視線を逸らさず、まっすぐにセインの赤土色の瞳を見つめる大神官の翡翠には、どこか切迫したものが感じられた。
「……別件、ね」
「ユークリッド様のご意見をお伺いしたい事象が報告されておりまして」
しばし眉間の皺を深めて考えてから、セインは踵を返した。
ルドを連れたまま、どさりとミシリーの隣に腰を下ろすと、目線だけで大神官にも着席を促す。その様子を見て、大神官が動くより先にカイルが腰を上げた。
「あ、俺向こう行くからこっちの長椅子どーぞ」
「あたしも外します~。なんなら部屋も出ときますけど?」
「――いい。今この場で縁切って出てってくれるってんなら別だけど、どうせ今後も纏わりついてくるんだろ? 巻き込むのは目に見えてるから、同時に聞いておいてもらう方があとで説明する手間が省ける」
セインの言い分に、ミシリーは「確かにお別れする気はないですね~」と軽く返してアレイクの居る卓子へと回る。同意を示すように頷きながらカイルは卓子の側の壁に立ち、ミシリーは空いていた椅子に腰かけた。
「あ、でも小難しい話は理解できねぇかも。ごめん?」
「理解できなくても言葉だけ丸覚えしておいてくれりゃいい。必要なときに思い出せれば充分だ」
「……了解」
茶化すようにカイルが上げた声にセインが容赦なく返す。
きっちり莫迦にされた元盗賊が項垂れるのを横目に、アレイクは苦笑を禁じ得なかった。セインの隣に腰を落ち着けたルドも微妙な表情になっている。
大神官がセインの向かいの長椅子に座り、姿勢を正したところでセインが話を促した。
大神官の表情は凪いだ湖面のようでありながら、微かな翳りを見せていた。同じく陰った翡翠の瞳でセインを見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「――――魔が湧く、という噂がございます」
時刻ネタ
日付は深夜更新、零ノ刻=十六ノ刻
正午が八ノ刻
時間カウント
一刻=90分
半刻=45分
四半刻=約20分
この回以降に時刻時間が出るかは謎ですが、一応作ったのでお披露目。




