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紅の闇  作者: 水無神
第一章 ゼフィーア王国
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17.哀愁は谺となりぬ旅立ちの


 春は盛りを越え、夏に向けた爽やかな風が流れ始めていた。

 セインがゼフィーア王国王都クラルテに足を踏み入れてから、ほぼ一月ひとつきが経過している。春の最後の月である藍月らんげつを迎えたその日、セインは王都外壁の西門に立っていた。



「セイン、無茶は程々にしておけよ。ルド、頑張ってセインの手綱を握れ」

「班長さん、酷くねぇ?」

「酷くないよ、切実だよ。班長さん、僕、頑張りますから!」


 にこやかに笑うアレイクと顰め面のセイン、真面目な顔で拳を握るルド。

 心地よい早朝の陽光の中、わざわざ見送りに来てくれたアレイクとぐだぐだな挨拶を交わしてセインとルドはクラルテを発つ。

 揶揄からかわれたことに憮然としつつもセインは別れの言葉を唇に乗せた。


「……お世話になりました。さようなら」

「ありがとうございました!」

「ああ。またな、二人とも」



 向かう地はゼフィーア王国の南西に位置するメルス王国。

 今後は不法な出入国をしなくても済む。イライアスが手配したシルグルア王国発行の身分証が与えられたからだ、ルドの分も一緒に。


 そのイライアスは身分証をセインに渡すと、早々に駐在先であるメール港湾都市へと帰って行った。



「セイン、本当に、カイルさんのこと、良かったの?」

 歩き出してしばらく、ルドが僅かに弾む息で話しかけてきた。

 いつものごとく歩調がルドには速すぎるものになっていたと気付いて、セインは足を緩めた。

「……心身の回復は順調だったし、〈鬼〉として問われる罪の、ゼフィーア国内のものに関してはほぼ赦免を約束してもらえたし、……私が出来ることはもうないだろ」

 そう、どこかすっきりとしない表情のままセインは答えた。



 本音を言えば、イライアスという伝手と最高位貴族ユークリッドという権力を使って母国シルグルアで保護して貰えば万全だろうかとも考えたのだ。だが、それがカイルの意思を無視した、セインの自己満足な考えに過ぎないために口に出すことは控えた。


 結局、保護とまではいかないが口利きをイライアス経由で頼み、結果、ゼフィーア王国とシルグルア王国とで取引が成立したと聞いている。

 カイルは「ゼフィーア王国内の罪科については断罪に及ばず、しかし大陸南部からゼフィーア王国へ入るまでに犯した罪については各国司法の判断に委ねる」という曖昧な扱いで釈放されることになる。――〈鬼〉の被害者たちの救済は二国が負ってくれる。


 ここまでシルグルアが出張ってくれたことで、セインは強制送還もあり得るかと僅かに緊張したが、イライアスに帰国の意思はないことを明言していたおかげか、取り立てて帰国を迫られることはなかった。

 ……それはそれで不安を煽ったが。今後、本格的に帰国した際にどんな無理難題を押し付けられるのだろう、と。


 いずれにせよ、釈放されたあとのことはカイル自身の判断に任せるしかない。

 ゼフィーア王国に留まる限りは一般市民と同等の待遇を得られるだろう、必要なら身分証発行の手続きも取るとはアレイク経由で国の意向を聞いている。

 だが、カイルの故郷は大陸最南端のイーハ公国を拠点とした南部三ヶ国の国境だ。そちらに戻って捕縛されても、シルグルアもゼフィーアも手出し口出しのしようがない。



「でも、諸々の処置処遇以外にもまだ何か気になってるって顔してるよ?」

「……お前は本当によく私の顔色を読むよな……。そんなに顔に出てる?」

「う~ん、割と無表情で読みづらいけど。慣れかなぁ」


 屈託なく笑って見せるルドに苦笑を返す。

 本当にいつでも、するりとセインの心に入り込んでくる。


「正直に言えば、末期状態から回復できた人物を見るのが初めてだったから気になってる。過去に二人、カイルと同じような状態で“石”を引き剥がしたけど……一人はその瞬間に死んだし、もう一人も正気には戻らず数日後に息を引き取ったし」

「……どちらも、僕を拾う前、だよね?」

「ん」


 セインは軽く目を眇める。

 ルドと出会う前。義兄と共に旅していたころに一人、義兄を失くし独り彷徨っていたころに一人。セイン自身も今回同様に無事ではなかったが、それ以上に手の施しようなく散った命。

 目の奥に紅の闇が滲む。


 固く目を閉じて紅を漆黒で追い払う。

 そうしてルドと二人、長い道の先へ足を踏み出した。


 が。


「あ~、来た来た。セインさーん、ルドくーん! やほ――!」

「っなぁんでお前がいるっ!!」


 王都から僅か数刻、街道のど真ん中で待ち伏せていたのはミシリーだった。

 これまでと変わらぬ動き易そうな衣服に包まれた柔らかな肢体、鮮やかな蒼天を映す大きな瞳、艶のある真っ直ぐな黒髪は初対面時より僅かに伸びたよう。

 黙っていれば文句なしの美少女は、セインの怒声ににんまりと笑ってみせた。


「なんでって、報酬の取り立て。満額一括払いしか受け付けませんからね?」

「……報酬の、取り立て?」

 怪訝そうに睨みつけるセインの視線にも臆することなくミシリーが答えた。


「王妃様の簪を奪取する際にご提示しました報酬のお支払いを頂いておりませーん」


 沈黙。

 にんまり笑顔のままのミシリーと、怪訝を凍り付かせたセイン。その間でルドが小さな両手で口元を覆って肩を震わせていた。

 沈黙を破ったのは、セインの呻き声。


「うぇ……っと……抱擁ハグでチャラ、とか……」

 セインにしてみれば譲歩である。『満面の笑み』など出そうと思って出るものではない――少なくとも、セインにとっては、今ミシリーが浮かべているような嘘臭い笑顔ですら、意識的に作るのには苦労するのである。

 だが取り立て屋ミシリーは容赦がなかった。


「それオマケですから。無くても仕方なしの副賞ですから。本報酬ください」

「……っ、お前、人の胸触ったろ! 慰謝料と相殺だ!」

「女同士でそんな理屈通用しませんよ? なんならあたしの触っときます? あの班長さんが触ったってんなら、生涯収入巻き上げても足りないですけどね~」


 うふふふ、と歪んだ笑みを深めてミシリーが立ち塞がっている。

 セインが再び呻いて頭を抱えたところで、その腰辺りから爆笑が響いた。

 胡乱な眼を遣れば、堪えきれなくなったらしいルドが両手を口元から脇腹に移動させ、身を捩って笑っていた。文字通り、抱腹絶倒の勢いである。


「……ルド」

「あはっ、や、ごめ……っ、あは、あははははは!」

「あ~、いいわぁ、ルド君。セインさん、にっこり笑顔でなくとも爆笑でも手を打ってあげますよ? ほら、一緒に笑ってみません?」

「…………なんの拷問だよ…………」


 ぐったりと項垂れてぼやくセインをそれはそれは楽しそうに眺めながら、ミシリーは更なる選択肢を提示する。――そのいずれをも、セインが選ばないだろうことを承知の上で。


「まぁ、今すぐ払えないって言うならそれでもいいですよ~? ただし取り立て屋はしつこいと相場が決まってますから? 問答無用で旅の道連れが増えますけどね?」

「なんでそうなる!!」

「人の命懸けの働きに正しく報いない薄情者には嫌がらせという名の鉄槌を」


 両手を腰に胸を張り、すぱん、と言い切ったミシリーには一歩も譲らぬ確固たる決意がみなぎっていた。

「ミシリーさん、最高です!」

「……おい」

 そして笑いの波からようよう帰還したルドがその決意を支持してしまう。


「ありがとう、ルド君。どうやら長い付き合いになりそうだからよろしくね」

「はい! ぜひセインを爆笑させてください! 楽しみです!!」

「……こら」

 拳を握って返事をするルドに、セインは半眼で睨みつつ声を掛けるが、ミシリーとの会話に熱中している子供の耳には届かない。


「お? ルド君でも見たことないの?」

「ないですね~。ささやかな笑顔がほんのちょっとと、あとは苦笑いと薄笑いで」

「うわぁ、微妙だなぁ。本当に取り立てに時間かかりそう~」

「おい!!」

『はい?』

 セインのさすがの怒号に、きゃっきゃとはしゃいでいた二人が声を揃えて首を傾げて振り向いた。


「勝手に話を纏めるな進めるな人の話を聞け!!」

「えぇ~。そもそも『お礼は満面の笑みでよろしく』っていうあたしの主張を拒絶しなかったのはセインさんじゃ~ん。『抱擁ハグ付き大歓迎』には『ソレはない!』ってソッコー拒否ったくせにぃ。今更抱擁で誤魔化して踏み倒そうとか~」


 ミシリーは唇を尖らせてうだうだとセインの非をあげつらう。傍目には非常に愛らしい素振りであるが――セインの発火した頭には油を注ぐ結果にしかならない。

「うっさい!! 大体私のンな顔を見て何の足しになるってんだ!」

「目の保養と心の栄養」

「――ッ」

「あははは! ミシリーさん、本っ当ーに最高です!」


 迷うことなく返された言葉にセインは絶句し、その隣でルドが再び爆笑の波に乗り出していた。見れば目尻に光るものが溜まっていて、心底おかしくて楽しいらしい。


「ルド!! 何であっさりコイツの同道を受け入れる!!」

「ふふ、いい機会だよ、セイン。女の子教育してもらいなよ、あははっ」

「あはっ! ルド君、任せて!」

「ざけんなルド任されるなミシリー! 誰が認めるか――ッ!」

「あ、路銀は自前で持ってるからご心配なく~。勝手に付きまとうけど負債回収したら素直に消えてあげますよ? ――初めて会ったときも、約束は守ったでしょ?」

「う、ぐ……」


 月夜の坑道での邂逅を思い返してセインは詰まった。

 ミシリーの望み通りの科白セリフを口にすれば確かにそれ以上に絡まれることはなく、さっさと坑道を後にできた。

 ――そのときのミシリーはセインの微笑に固まっていて、ちょっかいを掛ける余裕がなかっただけ、という事実をセインは知らない。


「はい、セインの負けー。ミシリーさん、どうぞヨロシクです」

「はいヨロシクー」

「…………よろしくない……」

 

 がっくり落とした肩につられるように落ちたセインの呟きは、爽やかな風に攫われて誰の耳にも届かなかった――――。


これにてゼフィーア編終了です。

賑やかになったセイン一行の旅はまだまだ続きます。

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