16.黄昏に想う面影鮮やかに
「……クロッセが“石”に呑まれた……?」
「ごく静かに狂っていて。どうしても正気に戻せず――助けられませんでした」
ゼフィーア王国の王都クラルテ、その王城の一隅にある庭園の四阿で、セインはイライアスと午後の一服を付けていた。
ただし、茶菓子代わりの話題は苦いばかりだ。
先のイライアスとの面会から二日後の昼下がり。
幾つか雑事を片づけていたらしいイライアスからお茶の誘いを受けたとき、セインは体調不良を通そうかと考えたが、ルドとアレイクに睨まれて結局応じることになった。
「それで……死んだ、のか。
聞くのは酷だが、遺体はどこに? 叶うならシルグルアに帰してやりたいだろう?」
「メルス王国の中央近くの、湖に沈んでいます。エレアザルの近くです」
「湖、か。エレアザルが近かったのなら、そこで何とかできなかったのか? ユークリッド家とは縁が深いところだろうに」
エレアザルはメルス王国の中央近くに築かれた法術士の聖地と言われる都市だ。
神の子〈アスカ〉降臨の地はシルグルア王国北端、セインの実家が建つ場所がまさにその生誕の地であるが、神の子〈アスカ〉が実際にその力を振るって魔を祓ったのはエレアザルである。
神の子〈アスカ〉が偉業を成し遂げ生誕の地へ戻った後も、法術士たちはエレアザルを神聖なる地として扱い自分たちの修行の場として占有し続けた。結果、法術士の法術士による法術士のための一大都市が築かれ、いつしかメルス王国はおろか他の国々のいずれの干渉も受けない独立都市国家となった。
法術士の最高位に置かれる神の子〈アスカ〉の一族であるユークリッド家とは、地理的には遥かに遠いが精神的には近い。そしてユークリッド家は都市を統べる大神官と同位に扱われるため、多少の厄介ごとを持ち込んでも対応されたはずである。
「……私の精神状態も、あまり良くなかったので……。そうしたことに頭が回りませんでしたね。ひたすらそこから逃げましたから」
イライアスの疑問に、自嘲するようにセインが応じる。
唸るような声を漏らしてイライアスは腕を組んだ。そして躊躇いがちに提案した。
「セイン、その……シルグルアに一度、戻らないか」
「――お断りします」
「取りつく島もないな、おい。今回の身許照会の件は本国にも報告をしているし、一応お前の意思を尊重する前提だが陛下からも帰国を促すようご指示を頂いているのだが」
「お断りします。“石”がシルグルアに流れているなら追うこともあるでしょうが」
やるべきことを果たすまで帰郷するつもりはない、そう言下に切り捨ててしまう。
はーっ、とわざとらしく溜息を吐いて、イライアスは茶器を避けて卓に突っ伏した。
「わかった、そう回答しておく……。
ああ、話は変わるがセイン。今回“石”に呑まれたという男、意識が戻ったそうだな? 私も一度様子を見てみたいのだが、会えるだろうか」
「は? イライアスが彼に会ってどうするんですか」
突拍子もない話にセインが怪訝な顔をする。イライアスは突っ伏した状態のまま顔だけを上げて「好奇心?」とややふざけた返事を寄越した。セインが更に顔を顰めると苦笑して姿勢を正し、真面目に応じてきた。
「すまん。お前の一族のことも“石”のことも解っているつもりだが、実際にその災厄に巻き込まれた存在を知らないからな。
……クロッセが、どうして呑まれたのか、それを理解する要素にもなればと」
セインは何かを言いたげに口元を歪めたが、自分もこの後訪ねるつもりでいたからと、結局イライアスの希望を容れて獄舎への同行許可をアレイクに申請した。
◆◆◆
外の暖かさも届かぬ牢獄の中、ひやりとした空気は思ったほど淀んでいないことにイライアスは感心した。所詮は罪人を留置する場、どれほど劣悪であろうかと覚悟していたのだ。
詰所のある入り口から薄暗い廊下が続き、両側に鉄格子の独房が並ぶ。
手前の方は空の房ばかり、少し進んだところでようやく人の姿が見えた。
「起きてたか」
「よぉ、別嬪さん」
「……、状態は」
カイルの『別嬪さん』呼ばわりにやや頬を引き攣らせつつ体調を訊く。
二日前ルドに強制的に眠らされ、昨日の朝に目を覚ました時には眠らせる前の混乱ぶりは一先ず収まっていたと聞いてはいるが。
「体調的には悪くねぇかな。飯も食えてるよ、量はまだ無理だけどな。
気分的っつーか、ココロの問題でいくと最悪すぎてどうしょうもねーよ?」
「だ、ろうな。中途半端に放り出して悪い。
班長さん、入れてもらえますか」
同行したアレイクは諦め顔で詰所から借りてきた鍵を取り出す。却下したところで前回同様、ルドが法術で開けてしまうのだろうから。
まずセインが入りカイルの寝台脇に膝を付き、今回はルドも続いて中に入ってセインの隣に立った。イライアスは逡巡したのち踏み込み、入り口脇に立つに止めた。
セインの機先をカイルが制した。
「じゃ、セイン。まずはお前が知ってる俺の状況を説明してもらおうか」
セインはしばらくカイルの顔を見つめていたが、やがて重い口を開いた。
一族が造り出した“石”のこと、それを得た人物が狂わされること、“石”に自我を乗っ取られ、国を巻き込む災厄を齎したり知らぬ間に死に至ったりすること。
淡々と、できるだけ解り易いと思われる言葉で一通りの説明をした。
「……セインのご先祖様のステキ遺産か。それでやたらと謝ってたのか、セイン?」
「一族の行いの犠牲者だし、私が先に回収できていればあんたの今の状況はなかった」
カイルは仰向けに寝たまま両腕を顔の上で交差させて表情を隠していた。感情は読み取れないが声は落ち着いているようだった。
「うん……。うん、わかった。セイン、もう謝るなよ」
「でも、」
「今の状況で謝って戻るモノってねーよな?」
「……はい」
黙ったセインに「よし」とだけ言ってカイルも黙り込んだ。
しばらく沈黙が狭い石牢に蟠ったが、その沈黙をカイルの深く重い吐息と小さな呻きが破った。
「……お頭っ……」
謝るなと言われてセインには掛けられる言葉が見付からない。重い物を胸に抱えたまま、ただ黙ってカイルの傍らの冷たい石床に座り続けるしかない。
そのセインの隣に座り込んでいたルドがぴょこんと立ち上がってカイルの枕元に近寄っていった。ちょいちょい、とカイルの服の袖を引っ張って顔を見ようとしている。
「ルド、今は」
「ちょっとだけー。カイルさん、ちょっとだけいいですかぁ?」
ルドの幼い声にカイルが僅かに腕をずらし、隙間から片目だけを覗かせた。
充血してしまっている夕焼け色の目に、ルドはいつもの穏やかな笑みで語りかける。
「今、カイルさんが泣いている理由は、ご家族をご自分が殺したという自責の念ですか、ご家族を亡くした哀惜の念ですか?」
ぎしり、とカイルが固まった気配を感じた。
ルドが何を言い出したのか分からず、セインはルドの顔を見つめる。入り口脇に控えたイライアスもその向こうにいるアレイクも同様に、ルドの背中に視線を注いでいる。
「自分の記憶にないことの責任なんて考えてもしょうがないですよ。覚えてないけどごめん、とか、却って無責任です。
今、カイルさんにできることは、大切な人を失くしたことを悲しんで、悼んであげることです。自分の中に根拠のない罪悪感に浸ってても時間の無駄です。むしろ体の回復にも障りがあるのでしばらくは棚上げして忘れていてください」
顔を覆っていたカイルの腕がゆるゆると落ちる。充血した目が大きく見開かれて、目の前の幼子を食い入るように見つめていた。
「思い出すことがあれば、それとちゃんと向き合って考えて、二度とそんなことにならないよう頑張ればいいんです。謝っても何も戻らないって言ったのはあなた自身じゃないですか」
大真面目な顔で紡ぐ言葉に幼さはなく、だがかなり暴論だった。
眉根を寄せたセインとは対照的に、イライアスもアレイクも、言われている当のカイルもただ呆然とルドの言葉を聞いている。
「人は二度死ぬって言うでしょう。カイルさんが皆さんのことをずっとちゃんと覚えていれば、彼らは二度と死ぬことはないですよ。
ああ、カイルさんが死んだときに、皆さんも改めて死ぬことになりますから短慮は起こさないでくださいね、本当に殺したくはないでしょう?」
にっこり笑顔。
呆然としていたカイルが小さく「お前、何……」と呟くまで、場の空気は凍ったままだった。
「あ、すみません。僕はルド・ギクスって言います。セインと一緒に旅をしていて、“石”のこともちょっとは解っているつもりです。
あと、僕はこれでも法術士なのでー。小賢しいお説教は仕事の内ですよ、手の掛かる保護者もいますからね?」
ちらりと隣で顰め面をしているセインを見遣る。
後ろから感じられた小さく噴き出す気配に、セインは房の外を一瞬睨んでからカイルに視線を戻し、軽く息を落とした。
「恨み言は聞く。憎んでもらってもいい。ただ、私の命で贖うことはまだできない。
代わりと言うと失礼だろうが、あんたが今後問われるだろう罪科については減免を申請している」
カイルは見開いていた目をぱちくりと瞬かせてから、ふっと口角を上げた。
意識を取り戻してから初めての笑顔だろうかとセインは思わず見入ってしまった。
「セイン、真面目だな。真面目すぎて色々損してるクチだ」
「……」
「表情が硬いのも損するネタだぞー。向かいの房に居た姉ちゃんくらい賑やかになれとも言わねぇけど、もちっと笑えー」
ちなみにミシリーは昨日の午後に無事釈放されている。それまでにカイルとも多少なりと話をしたのだろう。ミシリーの騒々しさを思い出して、笑うどころか渋い顔になってしまったセインである。
その渋面を見てカイルが声を上げて笑った。
「ははっ、は……。ま、坊主に愛想尽かされない程度に頑張れや。坊主も、あんがとな」
「坊主じゃなくてルドですー」
ぷぅっと頬を膨らませてルドが抗議する。そのルドの頭にカイルは手を乗せて、柔らかな茶色の髪を掻き混ぜた。
「ありがとうな、ルド」




