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紅の闇  作者: 水無神
第一章 ゼフィーア王国
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14.確認は手を出す前に口頭で

 芋主体の朝食を平らげた後、ミシリーは再び〈鬼〉を睨みつけていた。

 静かな呼吸だけを生存の証として横たわる〈鬼〉は、捕縛直後に比べて随分と血色は良いように見えた。



 捕縛直後の〈鬼〉は、死体とほぼ同義だった。


 診察のために露わにされた体の皮膚のほとんどが健康的な色味を失っていた。骨と皮のような痩せた体、無数に見られる傷痕。多くは古傷のようだったが、一部、負傷後に放置したが故に膿み、そのまま爛れるように悪化しているものもあった。



「とりあえず息をしてる、って感じよねぇ……」

 しげしげとその黄赤だいだいの髪を眺める。濃い髪色の多いゼフィーア王国から出たことのないミシリーには馴染みがない。

「夕焼け色か朝焼け色か。いや、柑子みかん色が近いか? 人参か、柿色ってのもありね。蜂蜜色……は、金髪だよね~」

 たとえがだんだん食べ物に移っていくのは四日間の侘しい食事事情による。


「夕焼け色ってどっかで聞いたことあるなー…。どこでだっけ。まあルド君くらいの茶髪は最近多いけど。それでいくとセインさんの髪は不思議よねー」

 月夜の坑道で初めて会ったときは青みがかった銀髪だと思った。再会した宿の蝋燭の明かりの元では濃い金髪に見え、日中の屋外で柔らかな陽光を受けると淡く薄い金で。


「……あ、セインさんに会いたくなってきた。あーいたーいなー。さーみしーいなー」

 無駄に綺麗な顔を思い浮かべて欲求を素直に口にする。

 この数日で見た顔といえばどれも、厳つくて無骨でむさ苦しい野郎どもの無愛想な顔ばかりなのだ。


「あの兄さんが爽やか系に見えるってもう末期よね~…」

「どの兄さんのことよ?」

「朝晩やってくるはなだの手貫緒の兄さん」

「今まさに来てるよー。おーい、ご指名ー」

「って、うぉう!」


 完全に独り言のつもりで喋っていたところに入った合いの手に、思わず普通に返事をしていた。挙句に話に出した人物を召喚されたらしいと気付いて、悲鳴より奇声を上げたミシリーである。


「名前を憶えられていないってのもどうなんだろうな」

 噂の班長が苦笑と微笑の間の表情で牢獄の薄暗い廊下に姿を現した。

 これのどこが爽やかよ、と茶化す警備担当の兵士を軽く小突くようにして黙らせる。

 ミシリーの房の前に立つとアレイクは微笑を消し、苦笑一色で声をかけた。


牢獄ここに三泊もしているのに元気だなあ、お前」

「あっはっは。感心するなら解放してちょーだい」

「もうじき沙汰が出るから待っていろ。それより面会人だ」

「あたしにぃ? 生き別れの親父とかじじいとかいないからね? 変なのに引き渡したりしないでよ?」

「……どういう警戒だ。安心しろ、お前も今まさに会いたがっていただろう」


 言って、アレイクは顎をしゃくる。

 示された先、牢獄の入り口に近いところに立つのは緑に包まれた美女。

 薄暗い光の下では銀に見える髪。すらりと背の高いその姿は、


「……………………セイン、さん?」

「……どーも」

「………………………………」

「例の“石”の件は本当に助かった。ありがとう」

「………………………………」

「不自由な思いをさせて悪いけど、近く改善するからもう少し我慢していてください」


 あっさり無表情な上に最後の一言はほぼ棒読みだった。だが、その言葉はひとつもミシリーの耳には届いていなかった。ミシリーは目を見開いたまま固まっていたのだ。


 ミシリーの眼前に立つのは、ミシリーが会いたいと言っていたセイン本人。

 淡い色の髪と赤土色の瞳、すっと通った鼻筋に薄い唇。背はミシリーより頭半分高いのに肩幅は同じくらいという細い体。

 すべてミシリーの思い描くセインの姿そのものであるにも関わらず。


「………………なぜ女装?」

「………………これで正装」

「………………………………」

「………………………………」


 鉄格子越しに手を伸ばせば届く距離。ミシリーは言葉を失くしたまま、その距離に立つセインの姿を頭の天辺から足の先までゆるゆると観察して手を上げては下ろし。

 セインは無表情でミシリーのそんな反応を眺めていた。


 ――別に男だと名乗った覚えはないし、勝手に期待して勝手に絶望されても責任なんざとれねぇし。


 着替えてくれば良かったのだろうが、巻き込んだという負い目があるからイライアスとの面会を切り上げるとすぐにこちらへ足を向けた。アレイクに「真摯に向き合ってやれ」と言われたこともある。

 そして何より。いまだ目を覚まさぬ、一族の犠牲者に会いたかったのだ。

 

 意識を若干飛ばしていたところにミシリーの両掌が自分の胸に押し付けられた。


「………………………………おい」


 セインの抗議を無視してミシリーの掌と指が、ふに、と微かに動く。

 男の胸板とは確かに違う、ささやかながらも柔らかな感触。

「……薄い……」

「班長さんと同じこと言うな」

 呆然とミシリーが発した感想、応じたセインの科白セリフ――それを聞いて声を上げたのは牢獄警備の兵士たちだった。


「なんだとダシルバ! お前この姫さんの体に触ったのか!」

「うわぁ~、堅物班長の意外な一面発覚~」

「ずるいぞ! なんだかんだで侍女とか女官からもお前評判良いし!」

「誰がですか何がですか! セイン、誤解を招く物言いをするなッ!!」

「第二師団って割とゆるい奴らの集まりかぁ」

「違っ……!」


 ガァン!!


 混沌としだした空気を打ち破ったのは鉄格子が派手に蹴られた音。

 セインは衣裳の裾がふわりと舞うのも構わずに膝上辺りの鉄格子に足を掛けたままの姿勢で静止、一気に沈黙した兵士たちに無表情に暗い眼を向けて、


「……うっさい、下衆げすども」


『申し訳ありませんでしたァ!』

 アレイク含め四人の兵士が、こんな時ばかりは訓練の行き届いた兵士らしく見事な斉唱振りで謝罪した。ざっ、と頭を下げる動作も深さも揃っている。


 とりあえず邪魔、と牢獄担当の兵士たちを入り口向こうの詰所へ追い遣り、再硬直しているミシリーも放置してセインはここへ来たもうひとつの目的へ向き直る。



「意識、一度も戻っていないんだったな」

 薄暗い石牢の奥に横たわる人物。ピクリとも動かないその身体。

 知らず、セインの表情が歪んでいく。

「ああ、毎日昼前と夜に医師と法術士が診療に来ているが、まだ」

 先程の騒ぎの片鱗も見せずにアレイクが応えてくる。

 その言葉に頷き、セインは鉄格子に設けられた低い出入り口に手を掛ける。


「班長さん、中に入らせてくれ」

「却下」

「……ルド」

「はーい」

 アレイクの容赦ない拒絶に、セインはそれ以上粘らなかった。ずっと大人しくアレイクの陰にいたルドに声をかけ、出入り口から一歩身を引く。


 鉄格子の出入り口前に立ったルドは、いつものように杖を胸に構えて小さく詠唱を行う。手元に生まれた淡い光を出入り口の錠に触れさせると、かちりと高い音が響いて錠が開いた。

「え? ありか、そんな術?! あ、待てセイン!!」


 制止しようとしたアレイクは、見えない壁に阻まれてそれ以上〈鬼〉の房に近付けなくなった。

「ルド?」

「すみません、班長さん。僕は基本的にはセインに逆らわないんです」

 ふわふわとした笑顔はいつも通りのルドが、開いた出入り口の前に立ち塞がって杖を構え続けていた。


 房に足を踏み込んだセインは躊躇いもなく〈鬼〉が横たわっている狭い寝台の脇に膝を付いた。

 肉の削げ落ちた頬、目の下の隈は濃く顔色も血の気がない。“石”に心身を蝕まれ、死の淵ギリギリまで操られていた哀れな贄。だが、その表情はいっそ穏やかなほどに凪いでいて、それが一層セインを昏い思いに突き落とす。


 ――死に顔、みたいだ。


 頭を強く振って忌まわしい想像を追い出す。

 再度その顔を見れば右顎に小さな切り傷が残っていた。セインがつけた、ごく小さな傷はしかし、消毒以上の手当はされずに放置されたらしい。命を引き留めることが優先され、そんな些細な怪我の治癒は後回しにされたのだろう。

 うっすらと肉が盛り上がって治り始めている傷口にセインは指を伸ばし、――触れる直前で手を引いた。


 牢獄に新たに複数の人間が入ってきた気配を感じたのだ。

 鉄格子の側に戻り、入り口の方へ眼を遣れば、どうやら定期治療に訪れたらしい医師と法術士と知れた。どちらも白を基調にした長衣を纏い、手に提げている薬箱と杖とがそれぞれの身分を示していた。


 セインは初見だったが相手方は違ったようだ。

 セインが〈鬼〉の房内に居るのを見るや、彼らは顔色を変えて騒ぎ出したのだ。

「な、何をしておいでで……っ!?」

「貴様、隣国の姫に何をさせている!」

「は、いえ、本人の意向で」


 責められたアレイクがやや面倒臭そうに応じるが、医師も法術士も聞く耳を持たず、アレイクでは話にならぬとばかりに言葉を切って、セインに向き直り慇懃に退出を勧めてきた。


「ともかくも早く出られてください」

「斯様な不浄な場に御身を置かれてはなりません」

「治癒は我々が必ず。どうか憂うことなく――」

「うっさい」


 二人交互に発せられる言葉を、苛立ちを露わにセインが遮る。

 暴言に白衣の二人は押し黙り、次いでセインが頭を下げたことに息を飲んだ。


「とうに事切れていても不思議でなかった彼の命を、今日まで引き留めてくれたことには感謝を」


「は……、これは、恐れ多い……」

 辛うじて法術士が返事をしたが、二の句が継げない。セインの素性は知らされている。あの神の子〈アスカ〉の一族の末裔。世界中の法術士の最高位に置かれる神の子〈アスカ〉の、その奇跡の業を継ぐ存在が、まさか頭を垂れて謝意を示すとは。

 直前に貴族としてあり得ないほど雑な言葉を発した人物であることも忘れて二人は畏まった。


 セインがとりあえず医師と法術士を沈黙させたところで、その間に挟まれていたルドが身じろぎした。

 その気配に何を察したか、セインは勢いよく房の奥を振り返った。


 〈鬼〉の体はピクリとも動かない。呻き声すら聞こえない。

 セインは大股に奥へ戻ると狭い寝台の脇に片膝を乗せ、両手を〈鬼〉の顔の両側に突いてその顔を覗き込んだ。

 近付けば、眉根を寄せて瞼を震わせているのが確認できた。

 

 セインは懇願を込めて囁く。


「…………戻って、来い。あんたの在るべき場所は、そこじゃない」


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