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紅の闇  作者: 水無神
第一章 ゼフィーア王国
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09.駆け抜けて向かう先には落とし穴

 訓練棟を抜けて背丈の倍ほどの石壁を乗り越えて、がさごそと茂みを掻き分け覗いたその先。

 白亜の居城の一画から、その貴婦人は姿を現した。


 ――うん、運が良い。あれはきっと王妃様。だって着てる衣裳の質とお供の数が半端ない。


 あっさりと目的の人物その一を発見したミシリーだが、周囲を固める人垣に顔を引き攣らせる。

 王妃一行はゆっくりと建物を回り、どうやらミシリーが越えてきたばかりの石壁の方へと足を運んでいた。葉や枝が音を立てぬよう気を付けながら、ミシリーは一行の声が聞こえるところへと移動する。


「……王妃様、これより先は……」

「外は、いけません。今は特に、何やら危険な賊が街に出たとか」

 侍女と兵士が口々に王妃を止める言葉を紡ぐ。

 中央の貴婦人は、ふんわりと微笑みながら彼らの言葉を退ける。

「街に、でしょう? 私は別にそこまで出かけるつもりはありませんよ」


 だが、周囲の制止に足を止めざるを得なくなった。

 そうして左右の人垣を見回しながら話をする王妃の、黒髪に埋もれるように控えめに飾られた黒玉。銀細工に留めつけられたそれは、午後の日差しに鈍く、どこか禍々しい光を見せていた。


 ――アレっぽい? 初っ端で大当たりじゃん、待っててね笑顔全開のセインさん!


 内心で快哉を叫びつつ、王妃とそのお供たちの立ち位置を慎重に確認する。

 ミシリーの位置から見て、王妃はミシリーのやや右手に顔を向けて立ち止まっている。

 そっと懐から細縄を取り出すと、両端に鉤手の付いたそれの一端を、音を立てないように慎重に己の肩辺りの小枝に掛ける。


 そうしてもう一端を握ってそろそろと左手側――王妃の背後側に移動。途中、長さが足りなくなったので、もう一本、同様の細縄を出して鉤手同士を絡めてつなぐ。

 一呼吸入れて細縄を目一杯引けば、小枝が折れる勢いでしなり、派手な音を立てた。


『何者!!』


 誰何の声と共に一行の視線が一斉に茂みへと向けられる。

 王妃を背後に庇う形で兵士たちが警戒態勢になり、侍女たちがさらに王妃を囲む。

 王妃の背後も侍女が囲んでいるが、兵士ほど気配に敏感でなく、かつ反射の早くない侍女が相手であればミシリーにとって壁にはならない。

 潜んでいた茂みから一気に駆けて、王妃の背に張り付いていた侍女の背を踏み台に王妃の頭上をかすめるように低く跳び越える。踏み台にした侍女が「うぎゅっ」と言って潰れたので、心の中で手を合わせておく。


 王妃の前方、侍女たちの隙間に降り立つとさすがに兵士が剣を抜いて構えていた。

 が、王妃の前に立つ賊に無暗に剣を振るえば、王妃にまで類が及びかねない。兵士たちの逡巡を逃さず、彼らと王妃たちの隙間からミシリーは駆け出した。

 その右手にきらりと銀の簪。黒玉が鈍く日差しを反射させる。


「……簪を! わたくしの簪をお返しなさい!」


 駆けるミシリーの背後に、悲鳴に近い金切り声が上がる。

 すぐに距離が開いて言葉は拾えなくなったが、それでもなお喚く声が耳に届く。


 ――うわ、高貴なお方の振る舞いじゃない気が。つか、あんなに取り乱すって……。


 ふとミシリーの脳裏にセインの苦しげな表情が浮かぶ。


――持ち主が渡すのを異常に拒む場合は無理するな。狂気に堕ちた奴から“石”を引き剥がすのは常人には難しい――


 ミシリーは思わず胸元を押さえる。懐に放り込んだ簪――そこに留め付けられた、黒玉。

 セインの首にある紅玉の小粒の物と同じ大きさと形状。しかし、決定的に違う色合い。

 血を求める、闇の石。


 ぞわりと背筋をつたった悪寒を振り払い、ミシリーはひたすらに走った。




  ◆◆◆




 潜り戸を抜けたアレイクの目に映ったのは、大剣を手にした細身の男がセインに向かって斬りかかる姿だった。



 閑地の中央付近にいた〈鬼〉は、セインが潜り戸から姿を現す前から不気味な笑みを浮かべていた。

 セインが現れる直前にその笑みは深く妖しく、狂気を体現した。

 そうして、陽光にごく淡い金の光を返す髪が潜り戸に見えた瞬間。


「――アァァスカアァァァァ!!」


 獣じみた叫びに怯みもせずにセインは〈鬼〉に突っ込んでいく。

「手は出すな! 第二師団師団長アルフレッド・ノーマンの名において一切の手出しを禁じる!!」

 周囲を囲んでいた兵士たちが〈鬼〉の動きに反応して動こうとするのを、セインが一喝して止める。

 次の瞬間には〈鬼〉がセインをその間合いに捉えていた。


「セイン!」

 潜り戸を抜けたアレイクが思わず叫ぶが、〈鬼〉の一撃をセインは横に跳んで避けた。

 追撃を受けても再び横跳びに避けるだけで、セインは剣を抜かない。ひたすらに〈鬼〉の斬撃を躱すことに集中しているらしかった。

 そして〈鬼〉も、周囲の状況を一切無視して、セインだけに意識を向けているようであった。


 アレイクは迂闊に手出しすればかえってセインが危険になると判断し、壁沿いに待機していた兵士たちから一歩前に出たところで足を止める。

 その背後に、展開していた小隊の隊長が近寄り、低く声をかけてきた。


「……ダシルバ、どうなっている」

「申し訳ありません、俺……私も、よくは。ただ、〈鬼〉は生け捕りたいと、客人が」

「それを言っている状況か? 辛うじて躱してはいるが、いつまでも保たんだろう」


 セインと〈鬼〉は閑地のほぼ中央から動いていない。セインが誘導するように〈鬼〉の周りをぐるぐると移動しているからだ。

 だが、セインは徐々に追いつめられている。斬撃の全ては躱しきれず、決定的な傷はないが服の端を数か所、裂かれている。

 状況を打破するものがあるとすれば、セイン曰く、“石”のみ。


 ――何とかなるんじゃなかったのかよ、セイン……ッ!


 アレイクが内心で焦ったところでどうにもならない。

 力の限り握りしめた剣、その違和感に眼を落とせば訓練用の模擬剣。


 ――そして俺はどんだけ慌ててたんだ! 今この状況で武器が模擬剣て!


 そう自分の迂闊さに突っ込みを入れたところで、はたと思い至る。

 模擬剣。本来鋭く砥がれているべき刃を潰した、殺傷能力の低い武器。

 うっかり腹を薙いでも切り裂くことはできない、鈍器としてしか使えない武器。

 当てる部位は要注意だが、それでも。


「――――ッ!」


 閑地の中央で、セインの押し殺した悲鳴が上がる。

 その瞬間、アレイクは地を蹴って動いていた。




  ◆◆◆




「――――坊主! ここまでだっ!」


 たったか走るルドの前にノーマンが回り込んできた。不意を突いて距離を稼いだつもりだったが、さすがに体格差二倍近く分の歩幅であっさり追い付かれたらしい。

 しかし、問題の閑地に続く潜り戸は既に見えている。

 そして感じる昏い気配。


 じゃあここで、とルドは杖を胸の前で握りしめる。すぐに足元に術式が浮かび、ほの白い光がルドを包む。

「お、おい……?」

 法術に攻撃性がないことは知っているが、この幼子が一体何を始めたのかはわからないノーマンがたじろぐが、ルドは答えない。

 正しくは、小さく口の中で呟く程度に詠唱をしているのだから答えようがない。


 ふわりと白い光がルドの手元に収束し、鳥のような形状を取る。

 その光を空に放って、次の術式を展開させる。

 数歩先に立つノーマンの足元ギリギリまで範囲を広げた円陣に結界を張り、待ち人の気配を探る。


 ノーマンは結界に触れていいものか判断できないためにルドには近づけず、さりとて幼子を騒動のすぐ近くに放置するわけにもいかずで、所在無く立ち尽くしていた。内心の空しさとは反対に、立ち姿だけがやたらと凛々しいのは長年の軍隊勤務ゆえである。


 閑地の方から怒声とも悲鳴ともつかないざわめきが聞こえ、ふとノーマンがそちらの方に顔を向けたところに、反対方向から甲高い娘の声が響いた。


「――――わぁーい、ルド君発見はっけーんっ! 探したよビビったよこの光る鳥っぽいのルド君の仕業かーいっ!!」


 白く光る鳥を先導に本城の方向から駆けてきた娘は、その勢いのままルドの結界に足を踏み入れてルドの側で止まり損ね、ノーマンの方へ突っ込んだ。

 突っ込んだがノーマンに突撃はしなかった。その手前にあった結界の壁に激突して止まったからだ。白い鳥は結界に触れると同時に消滅していた。


「……いひゃい……」

「すみません、ミシリーさん。“石”を僕に貰えますか?」

 座り込み顔面を押さえて呻くミシリーに手を差し出す。ミシリーを立たせるための手ではなく、“石”を要求する手である。

 心配してよぅ、とルドの顔を見上げると、そこにはいつもの柔らかい表情は欠片もなかった。

「お願いします、早く」


 セイン以外の人間と話す時はやや舌足らずな喋り方を心掛けているルドだが、今はそれに拘ってはいられない。

 切羽詰っているルドの雰囲気に圧されてミシリーは懐から簪を取り出す。


「ええと、たぶんこれだと思うんだけど……合ってるか判る?」

 ルドは受け取った簪を一瞥して頷く。

「ありがとうございます。ミシリーさんはここで休んでてくださいね。この結界、僕の許可した人しか入れないようにしてますから安心してください」


「……ちなみに俺は入れるのか……?」

 結界の外からぼそりとノーマンが問う。

 そのどこか寂しげな様子に、固くなっていたルドの表情が微かに緩んだ。

「試してみたら、分かると思いますよ」

 くすり、と零して自身はノーマンの方へ進む。

「ん? お前さんが出ても結界は維持されるのか、すごいな。じゃ、なくて。

 坊主、出てきたら俺にとっ捕まるぞ?」


「セインにこれを届けないといけないので押し通ります。失礼します」

 言って左手に持つ杖を軽く振る。

 途端、ノーマンの脇に細い光の道が生まれる。結界を部分拡張して潜り戸まで道を拓いたらしい。

 そう認識してノーマンは慌ててルドに手を伸ばした。

 手を伸ばしたついでに足も一歩前に出し、ルドの結界内に踏み込んだ。


「……入っちまった」

「ちなみにこの結界、入れるけど出れない仕組みなので。留守番よろしくです」

 ルドはにっこりと無邪気な笑顔を向けて、拡張した結界を大本から切り離す。

『って、ちょい待て――――っ!!』


 高低のきれいな唱和を背に、ルドは潜り戸までの道を駆けた。


初登場時のセインの緊張感はどこ行った、というくらいノーマンがヒドイ扱いです。

おかしいなぁ…。

とりあえず、ごめんね師団長。

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