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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
一章 ある少女
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 宮城は広い。広すぎて訳がわからない。勤めて1年近く経つが、小玉は自分が職場を把握している自信をこれっぽっちも持っていなかった。宮城を人体で喩えるならば、多分自分は右足小指の爪1枚分程度しか分かっていないだろうと思う。だから柳隊正の後をひたすらに追う小玉は、「沈中郎将閣下」のいる所まで、どこをどう進んでいるのかまるで分からなかった。それでも進んでいるうちに、行き違うお兄さん(まれにお姉さん)が、何だかあか抜けてきているのはわかった

 自分はすごく場違いな気がする。なんだか落ち着かなくて、小玉はそっと自分の胸を撫でた。正確には、そこに収められている手紙を。どうやら手紙にはもうちょっとの間、本来の用途以外での活躍をお願いすることになりそうだった。

「ここよ」

 ある一室の前で柳隊正が立ち止まる。扉の前に立つ者と2、3言葉を交わし、取り次ぎを待つ。やや待ってから、室内に通された。柳隊正の後について部屋に入り、中にいる人間を確認するよりも早く跪いて礼をとった。頭を下げている隣で柳隊正が用件を手短に伝えているのを聞く。

「顔を上げよ」

 許されて顔を上げて、小玉は驚いた。この方が、沈中郎将閣下なのか。


 「きれーな人だなあ」というのが第1印象だった。

 「で、男?女?」というのが第2印象だった。


 目の前にいる人は、すっきりした顔立ちで色が白かった。多分男なんだろうとは思うが、自信はない。着衣が男物であるからといって、単純に男として見るにはためらいがある。かといって男装の麗人と表現するにも違和感があった。

「お前が関小玉か」

 問う声も男としてはやや高いが、女としては低い。

「はい」

 返事を返しながら、小玉はこの険のある美女に見えなくもない人物が、ますます男なのか女なのか本格的に悩む……わけもなかった。

 だって、他人の性別である。それも、多分今後関わることもなさそうな偉い方の性別など、気にしたって意味がない。人でさえあれば、性別など大した問題ではない。妖怪である方がよっぽど問題ではないか。

 小玉は激しくなにかが間違っている結論に至ると、さくっと沈中郎将の性別のことを忘れた。小玉には他に気にすべきことがあるのだ。粗相をしないでこの場を立ち去ることと、懐の手紙を読んでもらうことと。

「では、お前は出ているように」

「はい」

 ……あと、居るだけで頼りになりそうな柳直長が退室してしまったこと。

 しかし、小玉に抗議する権利などあるわけがなかった。


 沈中郎将とのやりとりは、型どおりに始まった。相手が小玉の年齢や出身を淡々と質問し、小玉も淡々と答える。その後、「後宮からの逃走阻止事件」の顛末についてやはり淡々と聞かれた。

 「なぜその時その場にいたか」「なぜ斬り合いになったのか」「なぜそうなる前に話しかけなかったのか」等々。

 以前柳隊正にも同じ事を聞かれているので、おおむねすらすらと答えることができた。時折つっかえてしまったのは、正直に「うっかり厠に剣を忘れてしまいました」とまで話すのが恥ずかしかったせいだ。あと緊張と。

 質疑応答が終わると、沈中郎将はそんな小玉をじっと見て、呟くように言った。

「随分と度胸が据わっている」

 小玉はそれを聞いて身を固くした。それは小玉が最近気にしていることだった。

 今も時々、剣が肉を裂いた感触が手に蘇って震える。思い出しては気が重くなることがある。実家に帰ってしまいたいとも思う。

 だがそれは、精神的な傷というには浅すぎる気がするのだ。許嫁に捨てられた時といい、自分は嫌なこと極まりない経験をしたにしては、落ち着きすぎというか立ち直りが早すぎる。

 小玉は、自分が人間としてどこかおかしいのではないかと思うようになっていた。それは今後、小玉の心につきまとうことになる思いだった。

「関小玉」

「は、はい」

 軽く落ち込んでいたところ唐突に呼ばれ、小玉は慌てて返事をする。

「今回のことは良くやった。今後とも職務に精勤せよ」

「はい」

 小玉は頭を深々と下げた。きっとこれで終わりだ。柳直長さまのところに戻ったら手紙……。

「ついてはお前に褒美をとらす。何か欲しいものはあるか?」

 終わりではなかった。

 



 褒美ですか。期待はしていなかったが貰えるとなると嬉しいものだ。そういえば、阿蓮も「貰えるんじゃない?」みたいなことを言っていた。

 しかし、「何が欲しい」と聞かれるとは思わなかった。こういうものって相手の方から渡すものをあらかじめ決めておくものではないだろうか。例えばほら、金一封とか。いや、銀でも銅でもなんでもいいが。

 こういうのは困る。すごく、困る。

 今こそ柳直長がいてくれれば良かったのに。あの部下の質問を先読みした彼女の慧眼ならば、不安げな目を向けるだけで助け船を出してくれたのではないかと小玉は思う。もちろんそれは願望にすぎない。

 えーと、えーと、えーと……。


 小玉は悩んだ。悩んで……そもそも自分欲しいものあったっけということに思い至った。これについては考え込む必要などない。今一番欲しい「物」……いや「事」はすぐに思い付く。

 小玉は力強く頷いた。これだ、という確信に満ちて高らかに言い放つ。


「手紙読んでください!」


 沈中郎将の表情が、この時初めて動いた。純粋な驚きに。それはやがて怪訝そうなものとなった。

「……手紙?何のだ?」

「実家から来た手紙です」

 小玉は柳直長に言われたとおり、聞かれたこと「は」素直に答える。

「なぜ私に読めと?」

「あたし字が読めないので、誰かに読んでもらおうと思っていたんです」

「……今持っているのか?」

「はい!」

 小玉は喜々として懐から手紙を出した。数日抱きしめていたせいでしわが寄ったそれを。

「……」

 沈中郎将は、無言で小玉の顔と手紙を数度見比べると、一度天井を仰いでこう言った。

「渡しなさい」

「はい!」

 小玉は勢いよく立ち上がると、のしのしと歩いて沈中郎将に手紙を渡した。

「あっ、ついでで良いんですが、返事を代筆してくれるととても嬉しいです」

「……いいだろう」

 微妙に震える声で沈中郎将は承諾した。

 そうして読んでもらった手紙の内容は、小玉にとってある決心を促すものとなった。小玉は少し考えて実家への返事を口にし、中郎将に書き留めてもらった紙をもらうと礼を言って退室した。

 後に残された沈中郎将が、墨の付いたままの筆をそこら辺に転がして、身を小刻みに震わせながらしばらく笑い続けたことを、彼女は知るよしもない。



 ~褒賞の受け方作法〈兵卒編〉~

 褒賞を受け取る時は必ず1回断りましょう。相手は必ずこう尋ねてきます。

「何か欲しいものはあるか?」


 ※回答例

 「お心だけで結構でございます」「滅相もございません」「そのような物をお受けする訳には参りません」……


 断った後、相手はこう言ってきます。

「そうか。では○○をとらす」

 ここで立てた功に相応の物品が下賜されますので、ありがたく受け取り、感謝の言葉と共に押し頂きましょう。この時は決して立ち上がらず、動く時はにじり寄ること。

 

 この場合、慣例を知らない新米が悪いのか、教えなかった周囲が悪いのかは各人の判断に任せる。

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