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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
五章 帰還
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「ありがとう。あんたいい男だった」

 掛け値なしの言葉だった。笑いかけると相手は驚いたように笑って、

「お前……お前、本当にいい女だなあ」

 と言って、自分の頭をぽんと叩いた。泣きたかったのに、妙に誇らしくもあった。


 それっきり、会っていない。


 自分の貧相な恋愛遍歴の中でもとびっきりのいい男だった。自分の出世が原因で別れたという点では他の男と同じだったが、それでも最後までお互いを思いやれたと思っている。

 別れてもう何年にもなるという相手だというのに、自分でも驚くほど喪失感があった。

 それは彼にまた会いたかったからだった。


 未練などではない。


 再会した時は、自分も相手も結婚していて、子供がいて、笑って昔あんなこともあったねと話す……そんなことがしたかったし、そんなことができる相手だったのだ、彼は。

 それができないのだということは、関小玉を存外に打ちのめした。仮に自分が結婚し、子を持っても、彼はそれができない。

 そして、その死に自分が関わっている。


 わかっていたじゃないか、と自身に言い聞かせる。こんな仕事を続けることの結果を。遺族に罵られたこともあるし、きっと今回もそうなるだろう。そのことに対して、関小玉は常に覚悟していなければならなかったはずだ。だが、同時に慣れてはいけないはずでもあった。

 だから、ただ静かに楊清喜の言葉を待つ。しかし、いくら待っても言葉はかけられなかった。相手の顔を見ると、なんだか困ったように言葉を探している。


 自分から問いかけることにした。

「彼、結婚は?」

「していません」

「隠し子とか」

「いそうな人でしたけど、いませんでした」

「……彼の最期はどんなだったの?」

「……よくわかっていませんが、きっと満足してたと思います」

 病気だったんです。ぽつりと付け足された言葉に、なんだか彼の最期の有り様が分かった気がした。

 寝床の中で死ぬのが似合わない人だった。きっと、彼らしい死に方を選んだのだろう。

 でも、遺すものはのこしていけばいいのに、あの肝心なところで甲斐性なし。


 もうこの世に彼の血は存在しない。おそらくは楊清喜か、もしいるならば他の弟妹が楊の家を継ぐのだろう。しかし、それは彼自身の存続ではない。


 これから数百年も続いていたかもしれない彼の流れを断ち切ってまでして、あの戦は何を得たのか。

「閣下、僕の兄は満足して死にました。けれど、僕は思う。兄の死にどれくらいの価値があったか。きっと兄はどうでもよかったのでしょうが」


 何もなかった。


 あの戦いは、前皇帝がなんとなく決めたもので、いたずらに将兵を死なせただけだった。

 だが、そう言いたくなかった。あの戦い自体が無意味だったとしても、彼らは無駄死にしていないのだと言いたかった。


 なら、どうすればいいのか。


 その意味を作らねばならない。そして、無駄死にをこれから増やしてはならない。「有意義」な死なら誰かを死なせてもいいというものでもないが。

 それはこれからの関小玉の働きによるものだった。


 手を見る。

 近頃の農作業ですっかりぼろぼろになった手だ。

 武器を握って生活している者とは似て非なる手。

 懐かしいこの手。


 だが、自分はここにとどまってはいけない。とどまらないほうがいいのではなく、いけないのだと関小玉は初めて気づいて身震いした。

 それはあの日、兄の身代わりで徴兵に応じた時から定められたものだ。あの時それを覚悟していなかったのだとしても、進んだからには引き返してはならないのだ。


 そしてあの日、沈賢恭を見送った時のように流された結果として行き着くのではなく、自分の意思で進まねばならないのだ。



 今や関小玉にとって運命は河の流れではなく、途方もない登山だった。登って登って……その結果、行き着くべきところに……頂上に、自分は行き着かねばならない。登頂した後の景観がどのようなものであるのかは知らなくても、目指すべきところは決定しているのだ。


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