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そのお目付役こと楊清喜は、当初、村人から変な目で見られていた。彼らにとってみれば、若干遠巻きにしていた事情持ちの女を追いかけてよそからきた少年だ。こうやって事項を羅列しただけでも怪しすぎる。
だが、彼は如才なかった。あの巨大布包みから、土産を取り出して近所に配布。さらに積極的に交流を持ち、あっという間に地域に溶け込んだ。
「すごーい」
のほほんと呟く関小玉に、楊清喜は、なんだかうろんな目を向けてきた。何故だ。
「誰の真似だと思っているんですか」
誰だ。いや、文脈から自分のことを指していることはわかるし、納得もできる。
多分、今の自分なら、器量の上では故郷の連中との関係修復はできただろうなと思う。
だが、現状を特に困ったものとみなしていないために、力を注ぐつもりにすらならなかった。仕事でもないのに。
「閣下って、実は結構仕事人間ですよね」
「それ以外の何に見えるの」
「そうでした」
そう。この関小玉の発言、自分のことを理解していない故の過剰な自己評価などではなく、まんま真実である。
なんといっても、給料は仕送りか貯蓄しかしていなかった関小玉である。
読み書きができるようになっても、実は兵法書とか、歴史書しか読んでいない関小玉である。
趣味らしいものは、せいぜい食堂のおばちゃんの包丁研ぎの手伝いくらい……といったら、多分「趣味」という言葉が泣く関小玉である。
要するに、人生の大半を仕事に捧げているのが、関小玉という人間であった。それに不満を持っていないのは、生い立ちによるものだろう。なんといっても元農業従事者。朝から夜まで生活のために働くのが当然だったため、現在のありようはその延長線上にすぎない。
実をいうと、周文林の方が、多趣味だったりする。裕福な家に生まれたため、教養もしっかり身につけている周文林は、余暇を詩とか書画に費やしているらしい。こちらも幼少期からそうなので、違和感はないないらしい。住む世界が違うと関小玉はしみじみ思う。やだわ、絶対こいつと一緒に住みたくないわと思う要素の一つである。
「僕、閣下と校尉って合うと思うんですけどね」
最近よく言われるし、実際息は合っていると思うが、仕事上のそれは私生活のそれと合うとは限らない。あと、今は母の服喪中で、本当に私生活に男を組み込むことが考えられない。
……あ、嫌なこと思い出した。
過日からさりげなく言いよってくる許婚のことは、楊清喜がこちらに来てから、少し変な感じになっている。
まず、事情を知った楊清喜は、明らかに気分を害した様子だった。
いや、なんであんたがそんなに眉間にシワよせるのよと関小玉は思ったが、とりあえず黙っておいた。
「それは災難でしたね」
「そこまで言うほどのものではないと思うけど、嫌だったわ、うん」
ただひたすらにうっとおしいのだ。たとえれば、暗い部屋の中でずっと飛び回っている蚊の羽音のような感じだった。
しかし、そんな比喩を口にして、「どのくらい元許婚が嫌か」ということを説明するより早く、楊清喜は力強く頷いた。
「わかりました!」
今ので、何が、どうやってわかったというのだ。
「これからはその迷惑な方を、僕が応対します」
「別に大丈夫よ。自分でなんとかするわよ」
「そんなこと言って、閣下。めんどくさいからって、そのうち半端に放置することになりませんか?」
「……」
否定できなかった。
「だから、僕が撃退しますよ。これも従卒の役目です」
「うん、違う」
自分の経験から、きっぱりと否定しておく。
この少年にとって、「従卒」とはどういう存在なのか。彼の中にある「従卒」像の万能感がすごすぎて、そのうち本気で訂正する必要がありそうである。
それをいつにしよう。そう悩むより先に、紙と筆の前で悩んでいるのは、
「とりあえず、閣下はさっさと都に手紙書いてくださいよ。みなさん待ってますから」
と、楊清喜にごり押しされたせいだ。だが、本当に書くことがない。大根の葉っぱが3寸伸びたことは、どの時代においても熱い話題にはならないであろう……そうか。
ふと思いつく。
……元許婚のことを書けばいいか。
さて、ここで関小玉は思った。みんな忙しいから、一々全員に手紙書かなくてもいいわよね、と。母への香典へのお礼は全員分、気合と心を込めて書いたが、それとは全く違うはずだ。あと、自分が面倒くさい。
ここで手紙を出す代表人物として副官である周文林を選定したことに、裏も何もない。
そして、多忙な人物に出すのだからと、簡潔な記述ですませたことにも、なんの裏もない。
ただ、その文面を見て、人がどう思うかまでは、考えが足りなかった。
「前略 元気? なんかね、最近元許婚に迫られて嫌 。かしこ」
これは「何書いてもいいんです!」と言った楊清喜のせいとするにはあまりに酷だ。また、いい年した女の手紙を、楊清喜が添削することもないのだから、それは関小玉のみに帰すべき責任であろう。
とにかく、原文ママでこの文は周文林の手元に届くことになったのである。