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さて、関小玉の言動からわかるとおり、焼けぼっくいに火が付くことはありえない。しかし、関小玉に元許婚に対する情はあるかと聞かれると、ほんの少しあると言っていい。だがそれは、愛などというものではなく、好意ですらなかった。感傷も懐旧も一切入る余地はない。
今や、関小玉の過去において、その念をもって思い出す故郷での記憶は、家族に対するものでしかない。そして、その家族は義姉しか残っていない。
では、元許婚に対する情は何か。強いていえば、義務感に近い。
自分は元許婚を求めていない。そして、元許婚が求めているのは「自分」ではない。
彼の中にいる関小玉は屈託のない少女だ。けらけら笑いながら野原をかけ、鳳仙花の汁で爪をそめてはにかむような。だが、そんな娘はもういない。仮に一時そのような自分に戻ることがあったとしても、彼の前では絶対に戻れない自分を、関小玉は知っていた。
だが、同時に今の自分がその「関小玉」の後身であるのも事実だった。ならば「彼女」の責任は「自分」が取るべきだった。
「彼女」が元許婚にその存在を焼き付けたのなら、「自分」はそれを焼き尽くさなくてはならない。
ただ、それをどうやればいいのかが問題なのだ。
一発ブン殴る? 多分それで解決するだろうし、個人的にはいろいろな思惑からそうしたいのだが、そうするにはご近所づきあいというものが立ちふさがる。村六分が村八分になられるのは本当に困る。義姉と甥の手前。
そういった点で、この男はちょっと厄介だった。
だが、この男を前にすると、他のことで悩む。というより、もともとあった悩みが顕在化するといった方が正しい。その悩みの方が深刻ではあった。
元許婚という存在は、関小玉にとって過去の象徴だった。その存在を自分は求めていない。ならば、未来において自分が求めているのは何なのか。
こんなことをこの年になって悩むなんて、と自嘲する。自分と同年代の女は、この村では大きな子供がいる主婦で、娘がいるならば、そろそろ娘の結婚で頭を悩ませる頃なのに。
自分が、とてつもなく停滞している気がした。もどかしかった。
「……あー、小玉」
「ってあんた、まだ帰ってなかったの!?」
暇人だな!
相手を打ちのめそうという意志ではなく、素で発した叫び声だったが、却ってそっちの方が心に痛手を負ったらしい。すごすごと帰っていった。
それと入れ替わりのように甥がやってきた。
「おばちゃん、帰っておいでって、かあちゃんが」
「何? わざわざ迎えになんて」
「なんかねー、都から誰か来た」
それって……。
なんだか、既視感がした。
「え、それってやたらと目立つ男だったりしない? 」
「? 目立つって、どんな感じで?」
「なんか、ずっと見てると……そうね、妙にいかがわしい感じで」
関小玉が、今頭に思い浮かべている人物のことを、普段どう思っているのかが如実にわかる言葉である。
だが、
「ううんー」
首を横に振る甥に、ほっとし……かけたところで、いややはり安堵はできぬと気を引き締める。
付き合いはじめて、この甥の感覚が若干ずれているのを初めて知った。実は……ということもありうる。まずは帰ろう。
甥と手をつなぎながら家路を急ぎつつ、関小玉はふと思った。しかしどうしてこの子、こういう性格なんだろう。
それが叔母似であることを、叔母本人だけが知らないというのは、いわゆるお約束というやつであろう。