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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
五章 帰還
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3

 自分自身、なんか変だなと思う。周文林とのいざこざで妙な刺激でも受けたのだろうか。妙にぴりぴりとしている。

 ともあれ、本筋から離れたことで思い悩むことができるほど暇ではない。

 今回は生きて帰れそうなのは確かだ。この後、戦後処理のことであれこれ動かなければならない。今はそちらに思考を巡らすのも必要だった。


 ある程度一段落がついたら、上司の王敏之に上申もしなくてはならない。今回の部下達の指揮の様子と、その傾向にあった兵を率いるようにさせたいということ……。


 この時、関小玉の頭は職務のことで一杯だった。だからかもしれない。「それ」を知った時、周囲も驚くほど衝撃を受けたのは。




「うそよ」

 関小玉はぽつりとつぶやいた。


 その手には数枚の紙。出征中に、宿舎の私室に蓄積されていた手紙だ。


 母の不調を知らせる手紙。

 母の容体の悪化を知らせる手紙。

 ……母の死を知らせる手紙。


 うそ、うそ、と繰り返しても、手紙が消えるわけでも、内容が消えるわけでも、いきなり夢からさめるというわけでもなかった。

「……どうして、うそじゃないの」

 くらくらとめまいすらする頭を押さえ、関小玉は食いしばった歯の間から呻き声をもらした。


 母が死んだ。


 理屈の通りではある。娘である自分よりも、母のほうが早く逝くということなど。そして、人間はいつ死ぬかわからない。年齢の近い兄ですら不慮の事故で死んだのだ。自身もいつ死ぬかわからないこともあり、関小玉はそれを痛感している。

 だが、兄の時とは違う。即死だった兄。死ぬまで間があった母。

 しかたないのだ。知らせが届いたとき、自分はここにいなかった。

 だが、母はそんなことを知るわけがない。きっと手紙を読んだ関小玉が帰ってくるのを待っていたに違いない。どれだけ待ったことだろう。そして、死の瞬間、関小玉がいないことにどれだけ悲しんだだろう。

 仮に、関小玉が戦場にいることが伝わっていたとしても、それはそれで、娘が前線にいることに死に際母の心に負担がかかっただろう。


 なんて親不孝な女なんだろう。

 今日ほど自己嫌悪を覚えた日はない。


 なにより、関小玉は、母が苦しんでいる間、母のことなど何も考えていなかった自身を憎んだ。

 戦いのこと、戦後処理のこと、部下のこと……一片も家族のことを考えていなかった。


「母ちゃん」

 徴兵に応じたあの日から一度も会っていない母。

 あれが最後の別れになるなんて、思いもしなかった。


「……母ちゃん」

 もう、我慢できなかった。

 どれくらいぶりだかわからないくらい、身も世もなく泣きじゃくった。子供のようにわめいた。声を聞きつけた張明慧ら女性兵にすがりついて泣き続けた。




 翌日、王敏之の前に関小玉は立った。いつも飄々としているはずの彼がかなり驚いた顔をする。

「どうしたお前、それ」

 王敏之を驚かせた「それ」とは、おそらくほとんど開けられなくなった関小玉のまぶたのことだ。いきなり目を真っ赤にした部下が現れたら誰でも驚くだろう。

 頑張って冷やしたのだが、全然開けられなかった目が、多少開けられるようになったくらいにしか回復しなかった。

 そこで「ものもらいか?」と聞かないあたりが、王敏之の肝心なところで細やかな部分である。

 関小玉は口を開いた。目が腫れている理由であり、ここに来た理由であることを。

「母が死にました」

 王敏之がはっと息を飲んだ。

「それは……つまり、『1年』か?」

「はい」

 王敏之は額に手を当てて言った。

「そうか……とりあえずは、言わせてくれ。泉下せんかでの母堂ぼどうの冥福を祈る」

「ありがとうございます」

 関小玉は深々と頭を下げた。




 翌日、馬上の関小玉は郊外の丘の上から帝都をふりかえっていた。

 1年間、あそこには戻らない。

 これから故郷に帰るのだ。待つ人が少なくなったあの地へ。

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