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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
四章 左遷
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幕間〜戦友と下僕が〜

 もうすぐ雪が降る。

 指先をじわじわ冷やす外気に、張明慧はそんなことを思っていた。さっき旅立った周文林はきっと寒いだろう。


「なんだ、あいつもう行ったのか?」

 声をかけられるよりずっと早く、相手が近づいてきた時点で、そこにいるのはわかっていたが、後ろからの声で、振り向く。なんだか随分と着ぶくれた男がいた。

 胡乱な目をする。この男は、暑いのも寒いのも駄目だという、張明慧からしてみると、軟弱極まりない奴だ。

「お前、なんでそんな薄着でいられるわけ?」

 そして、相手から見れば自分は、おそろしく屈強に見えているだろう。この男からだけではなく、出会った人間のほとんどがそう思っているに違いないが。

 厚着した身を両手で抱えている彼は、見た目完全に女に見える。体型がわからないからだ。


 いつ見ても、自分と正反対な存在だと思う。黄復卿という男は。

 それでも昔は……関小玉と自分が会った頃は、この男は普通に「男」だった。女が大好きという点でも。

 それは今でもそうだが、当時は今とは比較にならないほどただれた生活をしていた。


 だからまあ、最初は天罰だと思ったのだ。


 ある日、性病に感染して高熱を発した。普段を考えれば、当然のことといえるだろう。だが、時期が悪かった。

 いつだったかの会戦の折で、出兵の当日。しかし、あまりの高熱で動けず、連絡もとれずという状態。

 そう、こいつ、出征の際に無断欠勤をやらかしてしまったのだ。しかも、病気の種類が種類なので、見事な醜聞しゅうぶんとなり、馘首かくしゅとまではいかなかったが、降格処分。そして、当時の上官に部隊からたたき出された。そしてどこの部隊からもつまはじきにされた。それでも現在、女遊びを続けていることについては、張明慧は心底尊敬している。普通、生死の境をさまよわせられたようなことがあったら、少しはそれに対してひるむだろうに。そんなある意味「終わった」黄復卿を拾ったのが関小玉である。

 常の態度からはとてもそうは見えないであろうが、黄復卿は恩義を感じ、そして、その日からまるで犬のように関小玉に心酔している。


 だから、今の女装がある。


 関小玉が黄復卿を拾った当初、二人ができているという噂が流れた。女好きで有名な男と、それをただ一人拾った女。噂にならない方がおかしい。

 関小玉は気にしていなかったが、黄復卿はとてつもなく気にした。そしてこう考えた。


 噂は否定するほど広がるもの。だから、もっと衝撃的な噂でかき消すしかない。


 方針としては間違っていないと思うが、とった方策があほすぎる。やつはいきなり女装して出勤した。そして衆目のある前で堂々と言った。

「お……わたくし、今日から女になります!」

 もちろん、言動も完全に女のものとした。女好きだった故に磨かれた審美眼のおかげだろう、挙措も作法も見事に洗練されたものだった。心底くだらない成果であるという意見をこぼしたのは一体誰だったか。関小玉も張明慧もまったく同感だった。

 新たな噂はとてつもなく激しい嵐となって吹き狂った。これまでの噂がどうでもよくなるくらいに。いくらなんでもあれはどうかと言ってくる士官、女ひでりのため、女装男でもこの際よしと言い寄ってくる男。本人が苦労する分には自業自得だが、直属の上官である関小玉もそれに振り回された。正直、関小玉はこっちの噂の方で苦労させられた。そして張明慧は手段を考えろと黄復卿を本気で殴った。気持ちいいくらい吹っ飛んだ。


 その後、噂が下火になった頃を見計らって、黄復卿は女装以外は普通の男に戻った。

 女装もやめればいいのだが、癖になったらしい。真の自分を見つけることができたというのであれば、それはそれで結構なことだと張明慧は思っている。


 ともあれ、そのことで明らかになったことは、「黄復卿は関小玉の下僕」だということだ。

 それも、彼女の意思に絶対服従する型のだ。彼は細かなところでは気が利き、言われる前に動く人間だが、大局においては勝手に関小玉の益になるかを推し量って物事を進めたりはしない。

 だから今回の左遷だって、彼は不満は口にしたものの、何も動かなかった。彼女がそれを拒まなかったからだ。(疲れ切っていた彼女を休ませたいという意思はあったかもしれないが、そこまでは張明慧の知ったことではない)

 そうでなければ、彼は最初から「彼」を排除していただろう。


 彼……周文林という男は、女好きの男でさえよろめきかねないような美貌の持ち主だった。ましてや、男の方が好きという男にとっては振るいつきたくなるような魅力を放っていた。

 そうであるとどうなるか。

 たとえばこうなる。


 周文林が関小玉の部下になって程無い頃であった。ある高官が彼に目をつけた。

 そして、いきなり関小玉に「あいつ抱かせろ」と迫ってきた。


 順番間違ってるよね?

 うん。

 いや、順番以前のものをいろいろと間違ってると思う。


 当時、自分達がかわした会話である。其の場に周文林がいないのはもちろんのことだ。

 関小玉は、当時周文林と限りなく不仲であったが、彼には何も言わずに庇った。彼女いわく、「それはそれ、これはこれ」なのだという……まったくもってその通りである。

 ともあれ、高官の命令を拒んだせいで、関小玉はそいつの恨みを買い、嫌がらせを受けた。相手側としては、根負けした関小玉が周文林を差し出すだろうという思惑があったのだが、関小玉はあまり堪えなかった。


 手始めとして、戦果を上げたのに昇進しなかったという件。

 ……本人は今に至るまで一切気にしていない。


 続いて、栄転と称した後宮への事実上の左遷。

 ……有事の際にはきちんと出兵し、しかもまさかの帝姫お気に入りになるという事態。


 ある程度の馬鹿ならば、このあとも色々と失敗を重ねるのだろうが、さすがに宮中で悪どく立ち回る輩は2回で方向性を変えた。

 すなわち、関小玉と周文林を引き離す方向に。


 関小玉本人にちょっかいをかけ続けるのは危険だと判断したのだろう。なにしろ関小玉は、一部とはいえ、軍上層部の人間に目をかけられている。

 特に、かつて従卒として仕えていたという相手、沈賢恭は彼女の身の危険を隠然とだが排除していた。しかも宦官という立場として後宮に長く勤めていたため、暗いところから明るいところまでの人脈を持っており、その高官も沈賢恭を敵に回したくなかったのであろう。

 だから、ちまちました嫌がらせをするよりはと、思い切って関小玉を田舎にどかんと飛ばした。

 高官本人にしてみると、結構どきどきしながらの措置だったのだろう。下手をすると沈賢恭が牙を向く。だが、幸か不幸か関小玉はその話に結構喜んで乗り、直属の上司である王敏之の思惑も重なってその計画は見事に成功した。


 あとは、周文林を手に入れるだけだったのであろうが、ここにきて、初めて事情を知った当の本人が牙を向いた。

 周文林にしてみると、とてつもなく屈辱的だっただろうなと張明慧は冷静に思う。守るべき姫君のように大事にされていたのだ。そして、自分だけ除け者にされていたのだ。

 だから、彼に当り散らされても、張明慧はまったく怒りを感じなかった。当然のことだと思ったからだ。黄復卿も動揺の色を見せなかった。その顔が驚きに満ちたのは、例の高官が失脚したときだ。なんでも汚職が暴露されたのだという。

 時期を考えると、周文林がなんらかの手を回したに違いない。しかし、彼がどのような伝手を持っているというのか。帝都でも有数の豪商の出だとは聞いていたが……。

 高官および、その下で甘い汁を吸っていた輩が皆処刑されたとき、張明慧は二の腕にうそ寒いものを感じた。夏だったのに。


 ともあれ、わかったことがある。周文林は、張明慧が思っている以上に底が知れない男であることだ。

 そして、関小玉に執着していること。その度合いまでは知らないが、相当なものだと黄復卿が言っていた。

 関小玉に心酔している者同士、気が合うのだろうか。でも多分、二人の心酔の方向性はまるで違う。


 黄復卿はきっと、関小玉の意思のために死ぬであろう。

 その時自分は少しだけ彼のために泣くだろう。


 周文林はもしかしたら、自らの理想の関小玉のために、彼女を窮地に、追い込むかもしれない。

 その時、自分はどうするだろうか。


 ため息を一つついて頭を振る。考えてもせん無いことだ。その日まで自分が生きていることすらわからないというのに。まずは関小玉が戻ってくるのを待つ。今のところ、それが全てだ。


 戻ってきた彼女は、記憶に残っている最後の姿よりも少し、髪が伸びているだろう。

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