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関小玉は金勘定以外での事務的な処理は苦手である。これまで、彼女と近い立場で仕事をしていた人間100人に聞けば、97人くらいは同意するだろう。なお、残りの3人は、関小玉より事務処理が苦手な人間である。元上司の王敏之とか。
金勘定に関して除外されるのは、主婦教育をみっちり受けてきたからだろう。細かい金のやりくりにかんしては、関小玉は多分周文林や張泰よりうまい。
そういう人間であるから、関小玉は基本、事務処理に関しては普段、信頼のおける部下に一任しているし、報告は受けてもよほどのことがない限り、口を出そうとはしない。
しかし、物事には限度というものがある。
その部屋は、端的に言うと、足の踏み場しかなかった。
よくぞここまでというくらいに積まれた物、物、物の間に、獣道のように一筋の谷間がある。しかし、前を向いて進めない。カニのように横ばいで歩まなければ、間違いなく色々なものが崩れ落ちる。
そうして獣道を乗り越えた先に、責任者が鎮座する場所がほんの少しだけあるという寸法だ。
前責任者がご老体であることもあいまって、これまで決済の印をもらいにいく者は、殆ど秘境の奥に住む仙人に会いに行くような心境だったという。
初めて秘境を目の当たりにした関小玉は、部屋に入ろうとする足をそのままくるりと後ろに向けると、振り返って言った。
「手の空いてる奴、全員つれてきて」
関小玉は、今日からここで働くということに、秘境の住人になりたくないという以前に、命の危機を感じた。
地震などがあろうものなら、物という物が、隣と折り重なりながら崩れ落ち、中にいる者を飲み込むだろう。そんな死に方は嫌すぎる。
中にあるものを全て運び出した時、日はとっぷりとくれていた。
その間に見たものを、関小玉は教訓として心に刻みつけておこうと思う。
部屋放置するとこーなるんだぞ、と。特に、元部下の独身者の連中に伝えてやりたかった。
わたぼこりなどはまだかわいいものだった。
積もりに積もった紙は一番下が腐り、悪臭をはなっていた。謎のキノコが生えていた。生き物かなんなのかは不明だが、なんだか黄色いネバネバしたものも生えていた。物を動かすたびに、ゴで始まる恐怖の甲殻虫が飛び出し、それを追いかけて丸々太った鼠が飛び出てきた。更になぜか猫も飛び出てきた。ここは自然界か。
「1匹見れば30匹……」
ぼそっとつぶやいた誰かに、満場一致で、
「忘れろ!」
と叫んだ場面もあった。そんな法則思い出したくもなかった。
運び出したもので五つの部屋の床が完全に埋まった。内訳は、大別すると書類4割、生ごみ3割、燃えないごみ2割、処理方法以前に正体がわからないごみ1割だった。
燃えないごみと正体不明ごみは、屈強な男達が地面に深い穴を掘って片っ端から埋めていった。燃えるごみは、演習場のすみで盛大に燃やした。怪しい煙を発していた。
問題は書類だった。いるものといらない物が完全に混在していたのだ。なぜか、去年の演習記録の下に、8年前の食材購入記録が重なっているという状態が当たり前の状態だった。
唯一の救いは、前責任者だけは書類の位置を性格に把握していたということだ。あの部屋は、片付けられない方々によくある「本人にとっては整理されている状態」だったのである。
したがって、関小玉は前責任者を付き従えて、かたっぱしから書類を分類していった。中には、保管義務があるのに見つからないものがあるという事態も発生したが、おそらくは文字通り腐り果てたのだろう。それについては、すっぱりとあきらめることにした。
いらない書類の処理もまた困ったものだった。軍の記録なので、埋める訳にはいかない。そもそも、文字が書かれている紙は神聖な物という扱いなので、専用の炉で焼かなければならない。そして、その炉は大きいものではない。
炉で燃やす係と、炉にいらない書類を運び込む係を決め、盛大に燃やした。生ごみも燃やしているので、そこら中がけむくなった。
関小玉は「別にそこらで燃やしてもいいんじゃないの」とは思うが、あくまで私見である。就任した直後に、優先順位の低いことでまで慣習を覆すのは、人望を考えると得策ではない。
そうはいっても、別に関小玉が就任初日から人望を無くしたという訳ではない。いきなり大掃除を教養したにもかかわらず、兵士達の顔はどこか穏やかだった。
最後に「お疲れさま」と関小玉が言ったとき、割と上位の兵士が、何かを悟ったような目でつぶやいたことが印象深い。
「いつかはやらねばならないことだったのです。それが今日という日だったというわけなのです」
要は、この駐屯地にいる全員が、あの室内秘境にうんざりしていたようだった。
関小玉が受け入れられたことに関しては、それで説明はつく。それにしても、すんなり溶け込むことができたのに対し、違和感は感じていたのだ。
それはすぐに氷解したが。