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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
一章 ある少女
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 翌日。

 関一家は揃って村長の家まで来た。彼らを見た者は皆一様に怪訝そうな顔をする。それもそうだろう、旅支度をしているのは、兄ではなく妹の小玉なのだから。

 村長の家の前にはすでに他の四人とその家族が集っている。当然ながら皆男だ。彼らと並べば15才の彼女はとても小さく見える。

「これは……一体」

 戸惑いを隠せない顔で村長が呟く。小玉は一歩踏み出して、きっぱりと言った。

「あたしが行きます」

 周囲が息を呑む音が聞こえた。揃って同じ音を立てたため、存外大きく当たりに響いた。そして誰もが沈黙した一瞬の後。

「ばっ……馬鹿もん!」

 村長に罵倒された。

「なぜですか。一家から一人を出せばいいなら、あたしが行ってもいいでしょう。女が兵になったって話はあたしも聞いたことあります」

 本当にごく稀な話だが。それを盾に、昨日は家族を説得した。むろん大反対されたのは言うまでもないが、説得の成否は今彼女がここにこうしていることが示している。

 今もまた、村長に向かって言いつのる。

「うちには男は兄ちゃんしかいません。兄ちゃんがいなくなれば家がたちいかなくなるし、足が弱い兄ちゃんは帰って来れないかもしれない。そしたら面倒見てくれるんですか」

「いやしかし、」

「なにより兄ちゃんは新婚です」

「誰もが妻と離れるのだ。それくらい我慢……」

「兄ちゃんの話じゃありません。義姉さんの話です。兄ちゃんが行っちまったら、新婚なのに姑と小姑との三人暮らし。しかも兄ちゃんに何かあったらそのまんま寡婦としてずーっとうちにい続けるんです。子供もいないのに。あんた自分の娘にそんなひどいことできますか」

「……だがなあ」

「兄ちゃんに何かあったら、祖先の供養はあたしの子供がしなくちゃいけないから、結婚する必要がある。その場合、兄ちゃん行かせた責任者として、結婚相手世話してください」

「……」

 ここにおいて、村長は完全に黙り込んだ。勝った、と思った。

 村長は明らかに悩んでいる。良いと言え、良いと言え、良いと言え……と呪いのように頭の中でくり返す中、横から声が放たれた。

「良いではないか」

 徴兵しにきた軍人である。おそらく責任者なのだろうその人物は、あごをさわりながら、しきりにうなずいた。

「いや、孝女だな。実に見事だ」

「いや、ですが……」

 汗を拭きながらなにか言おうとする村長を、その人は大らかに笑って遮った。

「なに、心配ない。女でも使い道はある」

 使い道、という言葉になにやら不吉な予感を感じた。同じことを感じたのか母が声を上げた。

「あの、使い道というのは……」

 すると責任者らしい人間はこう言った。

「んん? まあ、後宮の警備などだな」

「コウキュウ?」

 耳慣れない言葉だった。横で聞いていた小玉も首を傾げた。

「お上のお妃さまの住まわれるところだ。男は入れんからな」

「で、では国境に送られるということは……」

「まずないな」

 母の顔が明るくなる。小玉の心も明るくなる。それはなんだか危険なことがなさそうな気がする。あとは徴兵期間の間になんとか自活する方法を探っていこう 。久しぶりに明るい未来をのぞけたような気がした。

 かくて関小玉は軍人としての第一歩を踏み出したのだった。




「あでで……」

 小玉は腰をなでて呻いた。先ほどうったせいで、じんわりと痛い。自然、腰を曲げた姿勢になってしまう。手にした剣を杖にしてしまいたいところだが、それが見つかれば上司に滅茶苦茶に叱られるだろうから、それはやめておく。代わりに、後宮の塀に手を添えて進むことにした。

 ひょこひょことへっぴり腰で兵舎の自分の部屋へと向かう。早く戻って膏薬を塗らないと痛みが長引いてしまう。ずっと老婆みたいな姿勢でいるのは嫌だが、それ以上に腰痛を抱えたまま仕事をするのが嫌だ。泣きたくなるくらい辛くなるのを、小玉は身をもって知っていた。

 でもその前に厠に行かなくてはならない。この腰で屈むのは想像するだけで身もだえしたくなるような責め苦だが、こっちもこっちで限界なのだ。こっちの限界と腰の痛みの両方を延々抱え続けるくらいならば、一時の苦痛を耐えて片方の苦しみを解消すべきである。決然と思いながらも、そうだよね、そうだよね! と誰に聞かせている訳でもないのに、同意を求めたりする。やっぱり痛いのは嫌だ。

 厠で予想通りの苦痛に苛まれ、ひいひい呻いたあと小玉がよろよろと部屋に入ると、同室の阿蓮あれんがあれま、と呟いた。同輩が怪我をしていることに特に驚く様子がないのは、彼女が薄情だからではなく、慣れっこな事態だからだ。小玉の物入れの中から、手慣れた様子で膏薬を出すことからそれが伺える。小玉も一言の断りもなく物入れに手を突っ込まれても何も文句を言わない。すでに暗黙の了解が出来ているのだ。

「はい、腰出してー」

「はーい……」

 のそのそと帯をとき、ぺろんとめくる。粘りのある液体が塗りつけられるひんやりとした感覚に、小玉は軽く身を震わせた。

「はい、いいよ」

 小玉はのろのろと衣服を整え、自分の寝床にうつぶせになって寝ころんだ。ようやく人心地がついた思いに、我知らず深いため息をすいた。

「今日もだいぶしごかれたねえ」

 膏薬を片づけながら、阿蓮が言う。

「うん……」

 小玉は力なく答えた。


 徴兵された後、小玉は都へと連れて行かれた。王領ならばきっと王城に連れて行かれたのだろうが、小玉の故郷は皇帝の直轄ちょっかつ領にあったため、帝都に連れて行かれた。そこに至るまでにも実は結構大変なことがあったのだが、過ぎてしまえば瑣末なことだ。というか、それが瑣末に感じられるくらい、帝都についてからが大変だった。

 小玉は後宮周辺の警備に配備された。徴兵しに来た役人の言った通りになったわけだ。しかし、小玉はまだ15歳の、しかも結構発育の悪い上に武道など嗜んだことのない少女だ。まともに警備できる訳がないということは、本人を含めた誰もが正しく認識していた。

 その場合どうするのかというと、そういう人間は、実際に警備をしている兵の付き人のようなものをすることになっている。要は使いっ走りだ。小玉も例外ではなく、その立場に落ち着いた。

 特に不満はない。小玉の主目的は故郷から離れることであって、軍人として大活躍することではないのだから。それに人にはそれぞれ向き不向きがある。少なくとも警備よりは小間使いのようなことをしている方が自分には向いていると小玉は思っていた。

……のだが。

 小玉がついている人はりゅう銀葉ぎんようという。もちろん女性だ。警備隊全体の中では割と偉い人だと小玉は認識している。そして、剣術のイロハもしらない徴兵されたばかりの者達の教育係の一人でもある。

 決して悪い人ではない。むしろとても親切な人だが、仕事中はとても厳しい。いや、それは職業人として大変結構なのだが、剣術のしごきをかける時の彼女は親切な時を差し引いてあまりあるほど恐ろしい。しかも……これは誰にも言えない考えなのだが、彼女が自分をしごく時は他の者より厳しい気がするのだ。

 おかげで修練が終わった時にはまるでボロ雑巾のようにへろへろになる。

 といっても、自分にだけ厳しいのではというのは、自分でさえ被害妄想のようにも思えたりする。あるいは単に、自分が使っている娘に対してはより力を入れて鍛えてやろうと思っているのかもしれない。そういう生真面目なところがある人だし、仕事と修練を除けば、彼女はとても優しい。それに今小玉の腰痛を和らげている膏薬をくれたりもする。


 そういう訳で、勤めて1年弱。小玉は職場に概ね不満なく過ごしていた。あとは小玉が上司のしごきに耐えられるだけの技術と体力を身につけることさえできれば問題はない。もし問題があるとすれば、徴兵期間終了後の身の処し方が決まっていないことくらいだ。阿蓮などは「ここで結婚相手を探してもいいんじゃない?」という。実際、そういう風にして結婚していった女性も何人か知っている。

 当初は自活する方法を……と考えていたのだが、そういえばここには自分の前歴を知る者もいない。よしんば小玉の抱える事情を知ったところで、この程度で結婚をためらうような風潮はないのだというから、それもありなのだろう。しかし、相手を探しに行こうと思うほど積極的にはなれなかった。去年の一件以来、結婚というものがなんだか面倒くさくなってきたのだ。これは男性不信になったせいなのか、それとも生来のものぐさのせいなのか……あるいは単に、今それどころではなく忙しいせいか。

「寝るよ。消すよ」

 阿蓮が明かりを吹き消そうとしている。小玉は慌ててそれを止めた。

「待って、剣の手入れまだ……あ」

 言いつつ、腰に手をやった瞬間、小玉は大変なことに気が付いた。

「剣……忘れた」

 顔から血の気が一気に引く。

「えっ、どこに!?」

 阿蓮も動揺して尋ねる。質の良いものではないが、れっきとした官給品。無くしたとなれば、まず上官の叱責以上のことはまぬがれないからだ。小玉は慌てて記憶をさかのぼりはじめる。稽古終わった時はあった、その後部屋に引き上げる時もあった……あったはず。うん、杖にしたいとか何とか思った覚えがある。その後、厠行って……ああ。

 小玉は両手で顔を覆った。

「用たした後、そのまま手ぶらで出てきちゃった……」

「ああ、ありがち……」

 実によくある話である。

「どうする、明日の朝行く?」

「ううん、今行くよ……」

 よっこらせと立ち上がる。腰に走る痛みに軽く顔をしかめるが、先ほどよりは軽減されている。これなら行って戻ってくるくらいは大丈夫だろう。

「あたし行ってこようか?」

 阿蓮の親切な提案に、一瞬それもいいかなと考えたが、すぐに考え直す。

「いいよ阿蓮。あたしのだし……それにお湯使っちゃったんでしょう。風邪ひくよ」

 そう言って、上着を羽織ると小玉は部屋を出た。

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