13
そこで取り乱さなかったのは、周文林の誇りが許さなかったからに他ならない。
「詳しく、説明してもらおうか」
「実は……」
関小玉は重々しくうなずくと、口を開いた。
「……どうしてこうなったのかわかんない」
「ふざけんなよ、お前!」
さすがに頭に血が上り、手近にあった枕をぶん投げた。ぼすっと音を立てて、関小玉の顔面に激突する。
その事実に幾分か頭が冷えた。
しまった、と思った。いくら関小玉でも女性に一方的に暴力をふるうことは、やっていいことではない。特に今、彼女は自分に申し訳ないと思っていたから、あえてよけなかったのだ。それがわかってしまっただけに、周文林は自分が狭量な男に感じた。
「あ、いや、すまん痛くなかったか? あと、わからないって?」
「やー、本当にごめん。酒飲みすぎて記憶飛んだ」
昨日はそんなに飲んでいただろうか……と記憶をさかのぼり、周文林は背筋に冷や汗を感じた。
自分も、覚えて、いない。
「そういう訳で、やっちゃったことは状況的にわかるんだけど、原因はわからない。あとは、あんたの記憶がた、より……」
関小玉の言葉が、不自然に途切れて止まった。
「……もしかして、あんたも覚えてない?」
「……」
無言でうなずくと、関小玉は頭を抱えた。「最低な状況だな……」というつぶやきが周文林の耳に飛び込んできた。
全くの同感だった。
少しの沈黙の後、関小玉は顔を上げて言った。
「とりあえず……あんた服着てくれる?」
そう、関小玉はきっちり服を着ているが、周文林は全裸のままだった。そこに思い至らなかったあたり、なんだかんだいって動揺していたらしかった。
体の汚れをぬぐい、服を身につけると、部屋の外で待っていた関小玉が仏頂面で戻って来た。
「ところで、ここは?」
「どっかの若干あやしげな宿」
「それは……」
まずいんじゃないかと思ったが、関小玉が握り拳を作って言った内容に、その思いは一瞬で氷解した。
「阿蓮のところでいたさなくてよかった……!」
「まったくだな!」
昨日一緒に酒を飲んだ店は、関小玉の知己が営んでいる店だった。もちろん周文林も面識がある。そのような場所で事に及んでしまっていたかもしれないということを思えば、現状のなんと素晴らしいことか。
「しかし、どうするんだ?これから……」
着替えながら周文林がずっと思っていたのは、二人のこれからの関係だった。これはもう、自分が責任を取るべきではないのか? いや、確実にそうだろう。
「決まってるじゃない」
案の定、関小玉も何を当たり前のことを言っているのだと言うように鼻で笑った。
つまり、そういうことだ。なんとなく頬が熱くなってくる。
「そ、そうだな。俺は別に……」
だが、
「もちろん、今回のことはなかったことにする!」
関小玉の台詞に、思考が瞬間凍結された。
「お前、今、何言った……?」
「いや、だってそうでしょ?二人の間でまあどうせろくな会話があったとは思えないけど、どんな展開でこうなったのかお互い覚えてないし、実際にやってるときのことも覚えてないし、これはもう、『なかったことにしちゃいなよ!』っていう酒の神さまの思し召しだと思うのよ」
「その酒の神のせいで、俺たちこうなったんじゃないのか?」
「つまり、酒の神さまは、お互い一晩だけ欲求不満解消させるつもりだったのよ!」
「俺は別に欲求不満じゃなかった!」
「じゃああたしの欲求不満が解消されたってことにすればいいじゃない!」
「お前欲求不満だったのか?」
「あー、そんな自覚なかったけど、今すっごくすっきりしてるから、そうだったんじゃない?」
「すっき……! お前、いくらなんでもはしたないだろ!」
「今更すぎるわ!」
…………。
二人とも肩で息をし始めて、ふと我に返った。
「だめだ、話それてる」
「そうだな、戻そう……お前は別に責任とるような問題に発展させたくないんだな?」
関小玉は片手で前髪をかきあげて答えた。
「そーね。それ言っちゃうと、あたしこれまで付き合ってた男達全員と結婚することになるし」
「……そうか」
すこしいらっとした。仮にもさっき寝たばかりの相手に、過去の男性遍歴を話すかお前?
「それにあたし、来月異動になるし」
「おい、そこでその話持ってくるか」
「大事な話でしょ。あー……でも」
「なんだ?」
その気持ちのまま、言いよどむ関小玉に言葉の先を促すと、彼女は少し困ったような顔をしながら言った。
「子供が出来てたら、さすがにこの先のこと、相談するわ」
子供。関係を持った以上、出来る可能性はあるわけで。
「そうか……そうだな。ああ」
結局、出来なかったのだけれど。
「なに人の腹見てため息ついてんのよ。いいじゃない夜食くらい。この年なんだから、多少太ってもいいでしょ」
水で練った小麦粉を伸ばして焼いたものを火にあぶりながら、妻が笑う。
彼は目の前にいる妻の腹部を見た。仕立ての良い生地で覆われているそこは、今も昔も平らなままだ。
もし、あの時、彼女の腹に自分の子が宿っていたならばと、今も思わずにはいられない。