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あの日から、沈賢恭のことが気になって仕方が無い。
「え、恋?」
と真顔でのたまった黄復卿については、あとで報復しておくこととして、とりあえず周文林は沈賢恭の情報集めをした。
正確には、気になるのは沈賢恭と関小玉の関係だ。
時間をかけて戦歴の一つ一つに目を通し、一時期それが関小玉のそれと重なっていることに気がついた。
二人の関係は……?
「え? 小玉は昔、沈将軍の従卒やってたんだよ」
「……そうなのか」
あっさりわかった。
「王将軍の下にいるのが長かったから、あんまり知られてないことなのかねえ。うちの官舎の女衆の中では常識なんだけど……」
と、首をかしげる張明慧。最初から彼女に聞けば良かった。ついでに彼女は色々と教えてくれた。
「あと、沈将軍は、従卒持ったのが小玉だけだからか、いろいろと気に掛けててね。折に触れて文を交わしてるそうだよ」
その最後の言葉に、なんとなくもやっとした。
皇帝の大葬の儀が終わり、新帝が即位した頃、関小玉に一頭の馬と、小さな包みが送られた。
沈賢恭からのものだった。
「なんだろう、これ」
「もう少し丁寧に開けろ」
がさがさと自分の前で包みを開ける関小玉に、思わず言ってしまった。父親か自分は、と内心で突っ込みをいれてしまいつつ。
存外しっかりと包まれている包みを開けると、そこに入っていたものがあらわになった。
「あら」
関小玉がふっと笑う。
その表情に、もやりとしたものが胸の中でざわめいた。
包みの中には筆、墨、硯、紙……いわゆる文房四宝とよばれるものが入っていた。どれも上質なものだということが、目の肥えている周文林にはすぐわかった。そして手習いの手本と……手紙。
それを手に取った関小玉は、包みを開けるときとはうってかわって、丁寧な手つきでそれを開いた。
もし、彼女が字を知らなかったら、おそらくは周文林が読み上げることになっただろう。そのような状態ではないことが、なぜかもどかしかった。かつて、彼女が文盲だったことに不快感を覚えていたはずなのに。
やがて、彼女がつぶやいた。
「ありがたいことね……」
そっと手紙をたたむ。
なにが書いてあったのか聞きたかったが、聞ける立場に周文林はない。だが、周文林が物言いたげな目でもしていたのか、彼の方を向いた関小玉が話し始めた。
「あたしが出世したから、立場にふさわしい馬を送ってくださるって。それから、この前話した近況、覚えてくださってたのね。文房具の良いものを送ってくださって、それから法要の……」
言葉がふつっと途切れた。聞き逃さなかった周文林はすかさず尋ねた。
「法要?」
「あー……」
関小玉の目が軽く泳ぐ。そこで聞くのをやめるようだったら、周文林が関小玉の副官などやっていられる訳がない。
「誰のだ?」
「……まあ、もういいか!」
そういって、彼女が話してくれた内容は、家庭の事情だった。
出征中に家族が死んだ……よくある話とはいわないが、あり得るべき事柄だ。だから、周文林がその話に動揺したのはそれが珍しい話だったからではない。
なぜ、身近にいる自分がそれを知らされず、沈賢恭が知っているのか。
「いやさ、あんまり心配かけたくなくてね……あと、話の流れというか」
では、あの将軍にならば心配をかけても良かったというのか。
それは怒りに近い感情だった。しかし、同時に理性は、それが理不尽な感情でもあるという判断を下した。だから、周文林は、
「そうだったのか」
と言い、お悔やみを一言述べてから、そこから逃げるように立ち去った。
10年以上経って、皇帝となった周文林はその頃のことを苦く思い出す。
あれは嫉妬だったのだと。
もしそれを自覚していれば、あるいはそれを、八つ当たりでもいいからあの場ではき出してしまえば、もう少し自分たちはまっとうな結びつき方をしたのだろうと。
思えば自分たちは、男女関係にいたるまでの転機という転機をことごとく踏み外した結果、今の、ある意味どうしようもない関係に落ちついてしまった。そして、その踏み外した原因の大半は、この時期の周文林の無自覚と、この時期に限らず一貫して有り続けた関小玉の無頓着さにあった。
せめてお互いのどちらかの要素がなければ、もっと違った形で……というのははかない願望だ。だが、この時期の周文林が無自覚ゆえに煮詰まっていたことは事実であった。
だから、周文林は、あの日二人の間で起こったことの責任は自分にあると信じている。