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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
三章 異動
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10

「初めてお前とあった時を思い出す……実家にも、自分で手紙は書いているのだな」

「はい……まだ覚えておいででしたか」


 初めて会ったとき、いきなり状況もかえりみず、「家族からの手紙読んで下さい!」と言ったあの日のこと。関小玉本人はもう忘れていたいし、忘れてほしい。


「忘れられようもない」

 沈賢恭は口元に手を当てて笑った。少し離れたところから、彼らの様子をうかがっている沈賢恭の部下が非常に驚いた顔をしている。普段、沈賢恭がどのような態度で部下に臨んでいるのかが推し量れる状態だが、そんな彼の顔を見ているのは周文林だけだった。

 ひとしきり、くつくつと笑うと、沈賢恭は問いかけた。

「ああ、家族は息災か?」

「あ……」

 その時、関小玉は答えに詰まった。答えられないような事柄があるわけではない。ただ、こみ上げるものが、返答を拒んだ。

「どうした?何かあったのか?」

「先だって……兄が亡くなりました」

 ふるえる唇をしかりつけながら、関小玉は言った。



 その知らせを受け取ったのは、戦地から帰還した時だった。彼女が戦っている間に兄は死に、そして彼女の知らない間に埋葬されていた。

 関小玉の兄は、生まれつき足が悪かった。だから徴兵されたとき、関小玉が代わりに軍に入った。

 その後、関小玉の仕送りで買った薬で足が治ったのはいいものの、狩りに出かけた先で手負いの獣に体当たりされて死んだのだという。


 実感は、まだない。兄の遺体も、墓も見ていないのだ。

 だから涙をまだ流していない。


 帰りたかった。今すぐ帰って、兄の弔いに参加したい。墓の前で泣きたい。自分と同じように大事な人を失った、母を、兄嫁を、甥をなぐさめたい。


 だが、職務と責任が関小玉を帝都から離さない。それを選んだのは自分だと納得しながら皇帝の葬儀の準備をしていても、折々思うのだ。なぜ自分は赤の他人の葬儀に関わっていて、大事な家族の葬儀には関われないのかと。

 関小玉は、どこかで家族は死なないような気がしていたと思っていた。年齢上、母については多少覚悟していたが、兄一家はずっと村で元気に生きているのだと思っていた。それが、心のよりどころだった。


 母と兄嫁からは、戻ってこいとは言われていない。お役目を立派に果たし、生きていてくれ。それだけで嬉しいのだと、兄の死を知らせる手紙に書いてあった。それも悲しかった。

 帰ってきて欲しいのだということが、文面にはどこにも書いていないのに読み取れてしまった。それは、本当は兄の弔いに参加して欲しいからということではない。愛されているからだ。心配されているからだ。


 今、二人は、関小玉まで死ぬことを恐れている。


「そうか。愁傷なことだな……」

「ありがとうございます」

 いたましい表情で慰めの言葉をかけてくる沈賢恭に、関小玉は頭を下げた。


 帰りたいな。もう一度思った。




「なにがあった?」

「え……なに?」

 沈賢恭と別れてややあって、隣で歩いている周文林が問いかけてきた。固い顔、固い声。

 ただならぬ雰囲気に、関小玉は気おされた。

「なにも……ないのか?」

「うん、なにも……」

「いや、なにか、その……何事かあったような会話だったから」

「なに、それ」

 言いながら、お互い「なに」ばかり言っていることに気付いて、関小玉は「この問答、どういうこっちゃ」と思った。周文林は、この男にしては珍しく、言葉を探っているようだったが、やがて首を左右に振るとため息をついた。

「なにもないなら……いいんだ」

「そう。……そうなの」

 その後、周文林は一言もしゃべらなかった。居心地が悪い。


 関小玉は兄の死を、部下達には告げていない。

 理由は、余計な心配をかけたくなかったというのもあるが、自分が甘えるのを防ぎたいからということが一番大きい。

 どこかで、自分のせいで兄は死んだのではないか、という思いが浮かぶ。もし兄の足が悪いままだったら、おそらく狩りにはいかなかっただろう。そして、兄の足が治ったのは、自分の金のせいなのだ。

 もし……徴兵されていたら、前線には送られず、無事徴兵期間を終えて、村に帰って、足は悪いままでも今も元気でいたかもしれない。


 わかっている。それは仮定どころか妄想と呼ばれるたぐいのものなのだと。だが、その思いは頭から離れないのだ。

 そして、いつか誰かに言ってしまいそうだった。


 もちろん、誰もが「そんなことはないよ」と言うだろう。自分が、どこかでそう言われることを望んでいるのを知っている。楽になりたがっている。

 そんなことは、反吐が出るほど嫌だ。大事な部下達を、そんな自己満足に使いたくない。


 だから、兄のことは一言も言わない。

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