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「初めてお目にかかる。私、陳希崇と申す」
「ご丁寧にいたみいる。私は周文林と……」
いきなり自己紹介などというものをしているのは、人脈を作るためと言ったら聞こえが良いが、正直なところ他にすることがなかったからだ。
あの後、関小玉と性別不詳の人物がいきなり立ち話を始める……ということはなかった。合議の刻限が迫っていたからだ。
だから簡単に挨拶を交わして、再び歩き出して……周文林は、それで終わりだと思っていた。
だが、
「『久方ぶりゆえ、話をしたい』と……」
先ほど、性別不詳の人物の後ろで、文房具を抱えて困っていた男が、合議が終わったとたん、声をかけてきた。
「わかった」
関小玉はあっさりうなずき、そして現在に至る。
宮城の中にはいくつかの中庭があり、更にその中には東屋がある。二人はそこに腰掛け、会話を交わしている。その声が聞こえない程度、それでいて二人の姿が見える程度の距離で、周文林と性別不詳人物の後ろで文房具抱えて困ってた男こと陳希崇は待機していた。
性別不詳……といっても、周文林は、この時点でその人物のことをある程度知っている。
というか、元から噂は聞いていた。
……沈賢恭。
……宦官将軍。
……辺境を守る盾。
……美貌と人望。
こまぎれの噂程度だが。
周文林が軍に入った時点で、すでに中央にはいなかった存在なので、無理はない。だが、彼を直接知っている世代からは莫大な人気を誇っているのも事実だ。
それにしても関小玉が入軍した時期の前後にこの将軍は中央から異動したはずだが、彼女が直接知っているというのは驚きだった。また、直接見知っていたとしても、当時関小玉は一般の兵卒だったはずだ。すでに将官だったはずの沈賢恭が彼女のことを覚えてして、親しげに声をかけるというのも不思議だった。
どこか胸がざわつく。自分は彼女のことを、実は全然知らない。
「かねがね、関右郎将閣下の噂はうかがっておりました」
「いえ、私の方こそ、沈将軍閣下のことは……」
陳希崇と当たり障りのない会話を交わしながら、周文林は二人から目を離さなかった。
ああ、とてもなつかしい。5年ぶりだ。
「息災であったか」
「はい。なんとか……」
関小玉は、久しぶりに自然にほほえんだ。ここ最近、意識しなければ笑うこともできなかった。それだけ心が疲れていた。
沈賢恭は優しく言った。
「お前が出世した由、こちらにも伝わっている……よくやったな」
「ありがとうございます」
「折につけ、文を交わしていたが……近頃は、自分で書いているのか?」
「おわかりでしたか」
と言いつつも、そりゃわかるわななどと思う。以前はそれなりに綺麗に書ける人間に代筆を頼んでいたのが、いきなりカックカクのガッタガタな字になったのだから。
でも、書けない時ならともかく、書けるようになった今、他人に頼んで綺麗な手紙を出すのは、何か「違う」という気がしていた。見栄を張っているような気がするのだ。まあ、「あたし字が書けるんだよ〜」みたいにとられると、かえってそちらの方が見栄っぽいともいえるが。
「そうか……感心なものだな」
「お目汚し、恥ずかしく存じます」
「そこまで言うほど見苦しいものでもないだろう」
苦笑いをされた。しかし、沈賢恭はふっと表情を戻すと、どこかまぶしいものでも見るような目で言った。
「立ち居振る舞いも見事になった。立派な将官の器だな」
その時、少し泣きたくなった。
この人が本気で言ってくれているのがわかる。そして、これまで会った上官の中で、そのような態度を取ってくれる人があまりにも少なかったのを思い出す。
尊敬できる人が、尊敬できるままでいることは難しい。そして、この人が尊敬できる人のままでいたことが、とてつもなく嬉しい。
かつて、自分はこの人が好きだった。今会って、この人への恋は完全に過去のものだと実感した。ただ、この人を好きだった過去がとても誇らしかった。