7
皇帝崩御。
その報が届いたとき、遠征軍の指揮官たちは何も言わなかった。そっと目を見交わし、相手の瞳の中に自分と同じ思考を見いだした。
……空気読んで死んでほしい、皇帝。
退却の間際だった。準備を早めなくてはならないことが、この知らせで確定した。いくらこちらが勝利したといっても、この情報が届けば敵方の挫けた志気は高揚し、味方の勝利への安心は動揺するであろう。悪ければ敵方が追撃をかけてくるかもしれない。
背後から攻撃を加えられることがどれだけ恐怖をもたらすか。彼らはよく知っている。
箝口令は時間稼ぎにしかならない。いずれは伝わってしまう。できるかぎり急いで、それでいて敵にも味方にも気取られないように動く必要があった。
「殿はいずこが務める」
征討大将軍が問うと、いくつかの部隊からまばらに手が上がる。
関小玉も挙手をした一人だった。
浮かない顔をしていた関小玉が気になってしかたがない。そんな彼女は今、周文林の隣にいない。
「あんたには前で指揮してて欲しいのよ」
そう言われて、部隊の前方に追いやられた。本人は張明慧と共に後方にいる。軍団の殿の文字通り一番後ろ。敵に攻められた時に、すぐ戦いになる場所。
今この場で指揮権を握っているのは、副官である周文林だ。戦場で彼女とここまで離れたことはなかった。いつも側にいた。
「お前も大分信用されるようになったんだな」
黄復卿が彼の肩をぽんぽんと叩いたとき、嬉しかったが、同時にどこか身の置き所のなさを感じた。その感覚は今も続いている。気が急く。早く安全な場所まで退却したい。
別に、関小玉の身に危険が降りかかるのを恐れているわけではない。この職業、そしてこの状況だ。危険ではないことの方が少ない。
ただ、彼女がそうなるときに自分が側にいないことが嫌だ。この感情をなんと呼ぶのだろうか。不思議で仕方が無かった。
そんな思いに駆られる周文林は、皇帝……自分の異母兄が死んだことは、かなりどうでもよかった。これまで下されたろくでもない命令、絶妙な状況での死などについては苦言を呈したいが、それはどこか客観的で、評価や感想に近い。
以前の自分ならば、きっと違っただろう。もっと複雑で生々しい、どろどろとした思いを抱いていただろう。少なくとも、先帝である自分の父が死んだ時はそうだった。
「変わった」
最近、よく言われる。自分でもそう思う。
それがよい変化なのか、悪い変化なのか、自分ではわからない。そのくせ困ったことに、今の自分が嫌いではないと思うようになっている。そして、自分を嫌いではないと思うようになってから初めて、以前の自分が嫌いだったのだと知った。
少なくとも、以前の自分には戻りたくない。だから、この変化を受け入れようと思っていた。
「文林」
「なんだ」
黄復卿の呼びかけに間髪容れず答える。
「後ろから早馬だ」
確かに蹄の音が近づいてくる。それはすぐに周文林の前で止まった。
「申し上げます」
「ああ」
「『もう危険地帯抜けたから、もう少ししたらあたし合流するから〜』……だそうです!」
「……そうか」
言いたい。心底言いたい。
だが、報告に声まねまで必要なのか? という疑問は発さなかった。
相手が大まじめな顔をしていたからだ。たぶん、「言ったとおりに伝えて」と言われたことを、言葉通りに受け取ってしまったのだろう。
たまにいる。こういうまじめすぎて空転する人間。
「おまえ……本当に変わったな」
なぜ目頭をおさえているのだ、黄復卿。
「いや、以前ならずばっとつっこんで、相手をしょんぼりさせていただろうと思う」
人間の感情の機微をつかめるようになったんだなあとしみじみ呟く彼に、いらっとする。確かに以前ならば言っただろうが。
「……というか、今のはよく考えれば突っ込んでもよかった気がする」
「え、そう?」
でないと、彼は一生ああいう感じで報告することになるのではないかということに気がついた。
注意することも時には大事である。