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「なんか、行く前から疲れた……」
首をこきこき鳴らしながらそんなことをぼやく関小玉に、最近毒舌家の名をほしいままにしている周文林でさえ、「行く前からそんなことを言うな」とは言えなかった。
ここ数日の彼女の動きは誰から見ても超人的だった。こちらの衛に来ての軍議、練兵、演習に併せ、あちらの衛での引き継ぎ、帝姫の相手等々……冗談交じりに「関右郎将は分身したのでは」とささやかれたくらいだ。本人からしてみると、「冗談じゃない!」と言うだろうが。むしろ「本当に分身できないかな……」とさえ言うかもしれない。
何でも帝姫が相当関小玉の手を焼かせたらしい。らしいと言うのは、関小玉が後宮であったことを決して口にしないからだ。どうも不敬罪云々以前に、帝姫に対して好意を持っているふしがあるから、愚痴の一つも言わないようだ。
苦々しい。
自分の姪が関小玉をわずらわせている。そう考えると、自然と眉根に力が入る。姪といっても会ったことはないし、おそらく相手は自分の存在を知りもしないが望むところだ。そんな相手と関わりを持ちたくないと心底思う。
「はへー」と関小玉がどこかのおっさんくさくため息をつく。兵卒の前では決してそのようなそぶりはみせない彼女が、自分たちの前では気を抜いていると思うと、少し優しい気持ちになれるような気がする。
だから「大丈夫か?」と声をかけたら、信じられないという顔で見られた。解せない。
「あんたに心配されるなんて、あたし今度こそ戦死するかも」
「おい」
さすがに洒落にならない。そう言おうとする前に、関小玉は右のこめかみに手をあてて、つぶやいた。
「ごめん。今駄目ね。すぐ組み立てるから」
「……わかった」
最近、彼女の受け答えの呼吸が絶妙になっている気がする。おかげで二人が言い争いをする機会は格段に減った。
「え? 今の言葉で言いたいことわかんのか?」
「……?」
黄復卿の言葉に、周文林は不思議に思った。今の発言は誤解のしようもなかっただろう。
――(言い過ぎて)ごめん。今(緊張感がなくて)駄目ね。すぐ(戦用に思考を)組み立てるから。
「お前ら……いつのまにそんな仲になってたんだな……」
「何を言っているのかが本当にわからないんだが」
「月日は……流れるのが早いものだなあ……」
しんみりとつぶやく黄復卿。するとその横で、いきなり張明慧が朗々と詩を吟じ始めた。黄復卿の発言を受けたものなのだろう、時のはかなさ、人生の流転を題材とした詩だ。おそらく即興なのだろうが、そのわりにはなかなかのできだ。
思わず張明慧の方を見ると、白い歯をきらりと輝かせた笑顔を向けられた。どう答えろというのだこの状況。
出征のために馬の背の上でゆれている現状とあまりにも不釣り合い。この混沌とした空気はなんだろうと疑問に思わざるを得なかった。
そしていつの間にか静かになった関小玉はというと、いつの間にか寝ていた。なぜ危なげなく馬の背で姿勢を保てるのだこの女。
寝息、詩吟、馬の蹄の音、武器ががちゃがちゃ揺れる音。それらが渾然一体となって作り出されるこの場に、心底叫びたい。
本当になんなんだろう、この空気!
周文林が結局叫ばずにすんだことは、彼の驚嘆すべき忍耐力の賜物だろう。
あるいは、心に余裕が出来ていたからなのかもしれない。それは戦端が開かれてから強く実感したことだ。
前回の出征に比べると、体が軽い。いや、迷いがない。
周文林は敵を切り伏せながら思った。
目の端にうつる背中を見る。あれに任せていれば安心なのだと思っている自分がいる。これは危険なことなのだろうか。
いや、そうではない。周文林は自答する。関小玉は自分を任せるに足る相手だ。
問題はある女だが、それが何だというのだろう。
はあ、と肩で息をつく。息切れがひどい。
天鳳6年。後に「伊江の戦い」と呼ばれる戦いは、珍しく宸側の大勝利で終わった。
しかし、この戦果がほとんど顧みられなくなったのは、同時期に発生した出来事による。