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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
三章 異動
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 そもそも、なぜそれまで皇族女性の身辺を守る専門の部隊がなかったのかというと、その必要がなかったからだ。高貴な女性は、外に出るものではない。したがって後宮のまわりを警備するだけで、それなりにその身は守れたのだ。

 それだと後宮内の愛憎劇に対しては、ほとんど無力なのだが、そこまでは責任もてませんというのが、軍上層部の見解であった。

 だが、ここで一人の少女が関わってくる。皇帝の一人娘である。この時代、皇帝の娘を帝姫ていきと呼ぶのだが、この帝姫、高貴な身分にかかわらずお転婆な少女だった。そして、父親はそんな娘に甘かった。そして、心配性だった。


 ……だいたいこれで事情が出そろった。


「……まあ、なんというか、お姫様にもいろんな不自由があるんだとは思いますがね……」

 娘のわがままにに常時つきあえて、かつその身を守れるおもりが欲しかったんだな……。

 口に出したら、若干不敬罪なので、関小玉はそこまで言わない。


「俺も正直言って、おまえ手放すのは本当に本当にほんとーにっ、嫌なんだけどな!」

 なんといっても、今は人手が足りない。度重なる出兵で、将兵は疲労している。人数自体少ない。そして、ほぼ確実に、近々また戦があるだろう。

「あたしの部下たちについては、どうなりますか?」

「悪いが、置いていってもらう」

「そうですよね……」

 文林が自分の下についたときの比ではないくらい拒否権がないのは、小玉にもわかる。だが、心残りがある。




 関小玉は腕組みをしながら、宿舎へと続く道を歩いていた。最初は王敏之の前から退室した後、自分の執務室に向かおうとして、重要なことに気づいたのだ。そういえば今日、非番だったと。

 早めに気づいて良かった。このまま出勤してたら、良い笑いものか、憐れみの対象になっていたところである。帰ろう。

 関小玉は閑散とした廊下を食堂に向かって歩く。人気がないのは、あらかたが出勤しているからだけではなく、まだ食事時ではないからだ。そんな時間に、なぜ関小玉が食堂に足を向けるのかというと、別に小腹が空いているわけではない。


 厨房に向けて声をかけた。

「おばちゃん」

 振り向いたまかないの一人が、おやと声を上げた。

「あら、久しぶりにアレかい?」


 ところで、関小玉は何もせずに考え事をするのが苦手だ。

 物思いにふける時は、何かしら体を動かしていなければ落ち着かない。それは単純作業であればあるほど良い。以前は男連中のつくろいものなどを請け負い、小金を稼ぎつつ思索に耽っていたが、地位が上がってしまった今はそれも難しくなってしまった。上官に繕い物を頼むような勇者がいたら、そいつはその豪胆さで関小玉より出世しているに違いない。

 唯一、以前と変わらずやらせてもらえるのは、厨房の包丁研ぎくらいである。まかないのおばちゃんたちは、その辺り遠慮をしない。関小玉にとってはそれがありがたい。


 目の前にどかどかと置かれる包丁。一つを手にとって、関小玉は苦笑した。

「うわ、これまたずいぶん痛めつけたね」

「おとついイノシシさばいたからね」

「ああ、あの筋はきついよね」

 言いながら、差し出された砥石を受け取った。


 厨房の隅、光が差し込むところに座り、砥石を前にまずは深呼吸。右手に握った包丁をそっと砥石にあて、左手は刃にそえる。軽く息を吸い、腕をすっ、すっと動かし始めた。出来上がりに神経を集中させながらも、その奥では思考が目まぐるしく踊る。本当は研いでいるものだけに集中すべきなのだろうが、出来上がりに文句を言われたことはないので、研いでいる最中の関小玉の頭の中はいつもこういう感じだ。

 関小玉はこの時間が嫌いではない。他のどんな作業をやっているときも、刃物を研いでいるときが一番頭が冴えている……ような気がする。

 その頭の中で考えたことは、これからの身の振り方だった。自分と、何百人もいる配下達の。


 自分がいなくても、多分彼らはやっていけると思う。


 それは関小玉の、自身に対する過小評価であったが、同時に正確に理解していることもあった。

 彼らが、自分を頼りにしてくれていること、そして自分がいなくなることで精神的にぐらつくこと、それが彼らの死亡率を高めること。


 彼らに死んで欲しくなかった。




「馬鹿?」

 冷たい声でぼそっとつぶやいた黄復卿の言葉が、その場にいる人間の心情を表現していた。

「とりあえず、あたしがなんかしたわけじゃないからね」

「知ってますよ、あんたに言ったわけじゃないです」

 今回の件、関小玉になんの問題もないことは、周文林もわかっていた。悪いのは皇帝である。そして、それが顔も見たことがないが自分の兄だと思うと、途方もなく腹が立つ上に、恥ずかしくてしかたがない。


 関小玉がいなくなる……それは、周文林が思いも寄らなかったほどの衝撃だった。のどがからからに渇く。手がこわばる。これは……不安だ。彼女がいなくなったあと、この隊はどうなるのだろう。それがまるで見えない。自分はいつのまにここまで関小玉に頼っていたのだろうか。

「でもまあ、こうなった以上はしかたがないね。これからのことを考えるべきだろう」

 難しい顔で張明慧が言う。

「そう、明慧。そのことであんたに頼みたいことがある」

「わかってる」

「明慧……」


 張明慧は重々しくうなずいた。


「……あたしが玉鈐について行けばいいんだね!」

「違うよ!?」

「何ッ!?」

 この上なく予想外だという態度で目を見開く張明慧。いや、いくらなんでもそれはないだろう。彼女の性別的にはありだが、外見的に駄目だ。


「じゃあ、俺が……」

 黄復卿。おまえは外見はともかく性別的に駄目だ。

「バカタレ!」

 関小玉が一喝した。ああ、確かにこいつはバカタレだ。



「あたしが頼みたいことっていうのは、あたしがいないあいだ、部隊のことを任せたいってこと」

「あんたの代わりに誰か他の校尉が来るってわけじゃないのかい?」

「来ない。この部隊は米中郎将預かりになって、実務は明慧と文林に任せることになる。この部隊が出兵する際は、玉鈐からあたしが来て、指揮することになる」

 他の上司はこない……その言葉は、周文林に不安ではなく、安心感を与えた。

 他の誰かがこの部隊にやってきても、関小玉以上にうまくうごかせるとは思えない。それは、全員に共通した思いだろう。

「あたしはここに戻ってくるつもりだから。だから……その間、お願い」

 関小玉は一人一人の手をとって頭を下げた。


 その手が熱かった。




「あー……本日は、お日柄もよく……ちょっとあんたたち、大丈夫?」

 関小玉が去る日だった。最後にあいさつをということで、部隊の前に立つ小玉に、むくつけき男どもが、涙を流しながら別れを惜しむ。周文林は文字通り、一歩引いた。気持ちはちょっとわかるが、同類と思われたくなかった。

「まあ、あの、訓練さぼんないで、がんばれ。たまに顔だすから」

「校尉……!」

「関校尉、お元気で……!」

「あんたがいないと、俺らは……!」

 おうおうと泣き伏す者が出てきた。関小玉は困った顔で、ぽりぽりと顔をかき、視線をさまよわせた後、言った。

「あー……あっちの方、女の子多いから、あんたたちのことそのうち紹介できるかもよ」


 その瞬間、身内の通夜のような状態だった男たちがしゃっきりと顔をあげた。

「まじっすか!」

「頼みますよ、関校尉!」

「俺、今年こそ結婚したいんです!」

「露骨だなあんたら!!」


「よーし、みんな、関校尉の前途を祝して、胴上げだ!」

「待てこら、いらん!」

 もちろん、そんな言葉は誰も聞いていなかったが、仮にも女性が相手だということで自粛した野郎どもは、胴上げではなく、関小玉の周囲を踊り狂いはじめた。


 どう見ても、怪しい儀式だった。

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