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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
三章 異動
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 関小玉がさらさらと紙に文字をかきつける。その字はお世辞にも美しいものではないが、読解が可能という面では十分文字の機能を果たしている。

 彼女に文字を教えて数ヶ月、もう大分堂に入ったものだ。周文林から見ても、彼女の上達はめざましかった。


 関小玉が呼びかける。

「ねーえ、文林」

「何だ」

 周文林は顔も上げずに答えた。その語調から、大した内容でないことは読み取れていた。実際、大した内容ではなかった。

「あんたさ、女より男が好きなひと?」

「死ね!」

 ただ、周文林を激怒させるものであったというだけだ。


 仮にも上司に向かって暴言をはいた文林だが、後悔などみじんもない。周囲の人間も責めない。というか、公衆の面前でそのようなことを口に出す関小玉はいかがなものか。

 周文林の視界の端で黄復卿が必死に笑いをこらえているのが見える。ほっぺたがふくらんでいるのが、なんというかまあ、気持ち悪い。

「あー、ごめん。気にしないで」

「気になるわ! おまえは! どこを見て!」

「いや、むしろ何も見てない……あんたが女と仲よくしているところ自体見たことない」

「男とも『仲よく』したこともないだろう!」

「復卿と仲いいじゃん」

「すんません、そこで俺引き合いにだすのやめてくれませんか」

 真剣に嫌そうな顔で黄復卿が口をはさむ。周文林も嫌なのは確かだが、そこまで嫌そうな顔をされると、それはそれで……、


 全く腹が立ちません。

「まったくだ」

 完全に同調する。


 関小玉はぽりぽりと頭をかき、やや逡巡しながら答えた。

「あー……ん……。あんたのこといいなって人いたから……まあ、なんていうか、紹介しようかどうか迷ったんだよね。でもその感じだとね。やめとくわ」

「そうしてくれ」

 まだ声に怒りをふくませながら、それでも話を続けたくなくて、周文林はばっさりと切り捨てた。それで終わりだと思っていた。

 特に、その後の騒ぎのせいで。




 戦場はともかく、宮城で通常業務に従事している際は、武官にも休日というものはある。もっとも、決められた通りに休みを取れる訳がないというのは、お約束と言っても過言ではない。それにのっとり、小玉のこの休日も相当久しぶりのものだった。

 そんな非番の日に王敏之の所に行ったのかというと、朝衙ちょうがの時に呼び止められたからだ。朝衙は一言で言えば超大規模な朝礼である。非番だろうがこの時間だけは必ず出仕しなければならない。それが終わったら、家で二度寝しても昼間から酒飲んでも問題ないし、関小玉も久々の休みにうきうきしていたが、


「あーすまん。すぐ終わる用事だから、ちょっと来てくれないか」

 上官にそう言われて、「やだー」と言える軍人がいたら、お目にかかりたいものだ。


「いいですよ」

 円滑な人間関係のためには、重要なのは我慢である。

 ここで一歩も譲らず嫌われれば、階級降格も有り得るのかな……と思うことはあるが、実行には移さずにいる。思えば出世したいわけではないのに、それを避けるための努力をしない自分にも非はあるのだろうか。

「悪いなあ。なにか用事でもあったか?」

「いやあ、久しぶりのお休みだから昼寝したり、掃除したり、買い物したりしようとか思ってました」

 しかし、そこで素直に答えてしまうあたりが、関小玉の関小玉である由縁だ。

「……ごめんなさい」

 謝罪する王敏之。目が笑ってないというようなことは別になかったはずなのだが、なぜか改まった姿勢だった。

 王敏之の部屋に行くと、なぜか米孝先がいた。いや、王敏之の副官なので、いてもおかしくないのだが、彼も今日は非番だったはずだ。あれー動向表見間違えたかなーと頭をひねる彼女の顔を見て、米孝先はしみじみとため息をつく。

「あたし、なんかしましたか」

「君がされるんだ……」

「は?」

「まだ、正式に決まった話じゃないんだがな」

 王敏之が重々しく告げた。


 

「はァ!? 異動!?」



 王敏之、米孝先は首を横に振った。

「……なんて反応を予想していたんだがな」

「今回も予想を裏切ってくれましたね」


 異動を告げられた彼女の反応は、

「はあ、そうですか」

 というものであった。


「いや、そんなこと言われましても」

 何を期待していたのだ、あなたたちは、という態度で関小玉は苦言を呈する。

「あんまないことだからさー、びっくりすると思って今のうちに言っとこうと思ったのになー」

 不満げに唇をとがらせる王敏行。気持ち悪いからやめてくれ。

「まあ、そこまで取り乱す様子もないようなので、私は家に帰ります」

 多分、関小玉のことを心配して残ったのではなくて、びっくりする様子を見物したかっただけの米孝先。腹が立つから帰れ。

「おう、おつかれー」

「おつかれっしたー」

 米孝先が退室するのを、いかにも体育会系な声で見送った関小玉は「さて」とつぶやいた。

左玉鈐さぎょくけんですか……またなんで古巣に?」

「あー、それなんだけどなー」



 玉鈐衛ぎょくけんえいは、関小玉が軍人として初めて所属した衛だった。ただし、彼女が以前所属していたのは、右玉鈐衛なので、厳密にいえば違うところなのだが、この場合においては大した問題ではない。

 この衛は、宮城の西面において警備をするもので、位置的に後宮の警備も担当している。女性の武官が多いところだ。出征の時は、各衛から部隊が派遣され、一つの軍隊を構成するのだが、玉鈐衛から徴発される部隊は一番少ない。つまり、実戦向きの武官が少ない衛である。

 昔ならともかく、今の関小玉は実戦向きの武官だ。衛をまたいでの異動というのも異様だが、人選を考えると更に異様だ。


 ……その割に関小玉は、実はころころと異動しているのだが。


 王敏之は関小玉の疑問に、なんだか嫌そうな言葉で答える。

「なんかさー、試験的に新しい部隊作るんだとさ」

「玉鈐で?」

 なんでも、皇族女性の身辺を守る専門の部隊を、試験的に設置することになったのだという。当然女性だけで構成されなければならないが、上に立てるような人材が小玉しかいないのだという。

「えー……いやまあ、そんな事情だったら、わかるっちゃわかりますけど」

 もちろん関小玉と同程度の位階の女性武官はいるにはいる。だが皆、後方支援で出世した年かさの面々だ。戦闘に慣れて、一定以上の位を持っている女性武官は、本当に小玉しか「いない」。

「それって、もうちょっと女性陣の人材増やしてから作った方がいいと思うんですけど」

「その気持ちわかる!だが、これ、ほとんど勅命なんだ」

「うげっ」

 関小玉は、女性にあるまじき顔のしかめ方をした。


 当代の皇帝からの命令には、ろくなものがないというのが定説である。

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