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張明慧と、敵将との戦いはますます苛烈さを帯びていく。双方一歩も引かず、完全に互角の戦いだった。そのような膠着状態に、関小玉が一石を投じた。
「明慧、そろそろ終わらせよう!」
「おお!」
返答とも雄叫びともつかぬ声を上げ、張明慧はひときわ激しい突きを繰り出した。それをかろうじて受け止めた敵将の顔に、軽い焦燥の色が浮かんだ。
彼は、微かに逡巡したように見えた。だが、その隙をついて張明慧が再び攻撃する前に、敵将は素早く体勢を立て直して身を引くと、号令をかけた。それは、退却を呼びかけるものだった。
「追うんじゃない!」
関小玉は、周文林に向けて叫んだ。思わず不満の声を上げると、彼女は釘を刺した。
「深追いは厳禁。これ常識ね」
周文林の眉間にしわがよる。それを見とがめた関小玉は、やや刺々しさを帯びた声で、
「いや、死にたいなら止めないけど……」
と、いいかけたところではたと考え込んだ。
「あ、ううん。やっぱ止めるわ、うん」
「どっちだよ」
止めるのは当たり前だが、一体何なんだ今の間は。
気づくと、敵影は遙かに遠かった。
「いや、すまないね。取り逃がしたよ」
張明慧が、武器を肩に担いで周文林たちの元へ戻ってくる。顔にはびっしりと汗が浮き、息も荒い。
「謝るこたないわよ、あんたで無理なら、うちの連中の誰にも無理。それに……」
関小玉は、ぐるりと辺りを見回した。
「……一番の目的は果たせたんだし」
周文林も、つられて辺りを見回す。いつの間にか、全体の形勢は自軍が圧倒的有利となっていた。
「うちの軍の勝ちよ」
その声に、関小玉の方を向くと、彼女はふっと口の端をつり上げてみせた。
「いやもう、すごかったぜ!いきなり、どっかの隊が前にズズッって出たと思ったら、敵がバラバラーッて散って……。あれ、なんていうんだ?ええと、何とかを散らす……いいや、手に持ったアズキを地面にぶちまけたみたいな感じでな、あとはもう、片っ端からバシバシやっつけるだけになったんだ!」
……語彙が貧相氏(仮名)の証言
「今回の戦いは、関校尉に対する評価を変えるだろう。これまでの関校尉に対する評価は、武勇に対するものが極めて大きかった。(中略)、彼女は自分の隊を突出させた。それは、各個撃破の良い獲物であるにもかかわらず、そうはならず、(中略)。軍隊には結節点というものがあり、それを突くことで散らすことができる。今回、関校尉はそれを成し遂げた訳であるが、それが容易いことではないのは、言うまでもない。しかし、今回の場合は (中略)。とはいうものの、今後、彼女は用兵家としての名を高めていくであろう。我々はその一歩を目にする機会を得たわけで、そのような意味では、記念すべき……」
……もっと簡潔によろしく氏(仮名)の証言
「ああ、すごかったな。うまく、敵の隙をついて、軍隊を解体する……しかも、自分の隊の統率もしっかりととれていた。あれは、見事だったよ、うん。関校尉のことは、多少イロモノみたいに思っていたし、そう思っていた奴は他にもいただろうけど、今後はそういう見方は変わるだろうね、劇的に」
……一番わかりやすい証言氏(仮名)の証言
などという評価を受けた関小玉。彼女は、今回も階級を上げるだろうと、大抵の人間は思っていた。そしてその通りに……。
「なんでならないんだ……」
周文林は愕然と呟いた。
「あたしとしては、これ以上面倒ごと増えなくて嬉しいけど」
周文林のその言葉に、関小玉は、真顔で言った。
「命令違反ぎりぎりだったからねえ」
張明慧以下他の同僚については、肩をすくめて苦笑している。
今回の出征では、勝利の立役者となった関小玉であるが、論功行賞で一切評価されなかった。一応それらしい理由はある。
関小玉とその部下達に与えられた命令は、「敵の攻勢を食い止めろ」というものであり、「敵に突撃せよ」というものではなかった。また、隊を突出させたことで、防備が一部薄くなり、その分味方を危機にさらしたというものだ。
「だが! 戦況を一変させたのは確かだろう!」
まあ、その一言に尽きるのだが。
張泰がまじめくさった顔で言った。
「上の皆さんが、小玉に少し危機感を抱いたのかもしれませんね。あまり劇的に出世されると、自分たちの立場を崩しかねない訳ですし」
「じゃあ、もしかしたら命令違反を口実に、処罰されてたかもしれないかな」
王将軍が頑張ってくれたのかもとつぶやき、関小玉は酒をあおった。現在、関小玉主催の「いろいろとお疲れ様会」による集まりの最中である。
今彼らがいるのは、帝都にある小料理屋である。なんでも、関小玉の友人の夫が経営しているとかで、おかげで個室に通された。人目がないからこそ、上に対する文句も堂々と言えるというものである。
「目に見える実績があったなら別だったかもしれないね。敵将の首とか……」
「いやあその場合、上の連中、明慧さんだけ出世させて、うちの人間関係にヒビいれようとするだけですよ」
「それもそうか」
首を取り損ねたことが今でも悔しいらしい張明慧に、隣に座る同僚がその肩をぽんぽん叩いて慰めらしき言葉を発する。
「あたしは、それはそれで一向にかまわないんだけど。ていうか明慧、功績の割に出世遅いと思うんだ」
「あたしは今の状態が一番居心地いいんだよ。小玉みたいに若い内に異様に出世しまくって苦労するより」
はっはっはと笑う明慧。
「うーわー……。今の……ちょっと来たわ……」
関小玉ががっくりと肩を落とす。一見脳天気に過ごしているような彼女も、それなりに苦労しているらしい。
いや、苦労していないわけがない。
周文林は自らの思考にはっとした。自分は、関小玉の表層だけを見て、その評価を下しているということを、改めて自覚したのだ。関小玉の態度に気を取られるあまり、彼女の長所を見なかったことにしていたのは、自分の了見の狭さの表れだ。
今回、関小玉が打ち立てた武功が、周文林にそのことを気づかせた。
周文林はひそかに自らを恥じた。今後、彼女に対する態度を改めようと思った。まあ、勤務態度については、今後もガンガン苦言を呈するつもりである。
それはそれ、これはこれというやつである。