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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
二章 ある少年
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 そう、そんなこともあったな。


 つい先日のことを思い出しながら、物陰で兜を脱ぐ。いまだ乾かない血液がぽたぽたとしたたり、周文林を汚す。だが、すでに血まみれの体に、多少血が加わったところで、外観に大きな変化はなかった。露わになった髪が風になぶられると、かすかに心地よい。ふと、これまた先日の上官の言を思い出す。

 なるほど、確かに髪が短いと楽だろうな。

 周文林は納得した気分で内心頷いた。だからといって、関小玉の断髪が正しいとは思えないが、短髪であることに利点があることは認めよう。


 本当はそんなことを思っている場合ではない。だが、今は思考をどうでも良い方向に向けていないと……。

 吐き気を覚えた周文林は、意識を再び内側にそっと向けた。


 周文林は戦うことがはじめてではなかった。その容姿からならず者に目をつけられたことは数知れずあり、それを自力で切り抜けるだけの手腕もあった。人の命をうばったこともあるし、はじめて殺した時も平静を保っていられた。

 荒事には慣れているつもりだったし、その自負に関してはけっして過大評価ではなかった。

 だが、戦場は荒事とはまったく違う次元のものだった。これまで周文林が経験してきた戦いは、自分に危害を加えようとする者に対する反撃という形がほとんどであった。

 また、戦いを終え、数歩歩けば法と秩序に守られた世界に戻った。だが、ここには生、名利、あるいは他のなにかの欲求によって研ぎ澄まされた殺気が、ただひたすらにぶつかりあう。そしてそれがどこまでも満ちている世界だった。

 どうやら自分は甘かったらしい。なにもかもに腹が立つ。自分の甘さ、そして自分を過大評価していたということ。


 こんなことで、と周文林は忌ま忌ましさに舌打ちした。

 こんなことで自分は上まで行けるのだろうか。もっとも身近にいる上官の振る舞いを見るにつけ、その思いは強まった。冷静さを保ち、それでいて下の者の士気を鼓舞する明るさを保っている。

 それに比べて自分はどうだろう。やるべき仕事をやることしか出来ていない。

 ぎり、と歯ぎしりをし……いきなり目の前に突き出されたものに、目を見開いた。


 桶。


 ……いや、なんで。

 その桶を持つ手をたどって目線を上に上げれば、そこには黄復卿がいた。さすがに戦場でまで女装はしないだろうと思っていたが、きっちり髪を結い上げて頭に色の付いた布を巻いている。実に徹底している。

「ほら、吐け」

「……なんで」

 吐き気があることがわかったのか。

 それを問うと、黄復卿はあきれた顔をした。

「お前。明らかに「吐きたいです」って顔色してっぞ」

 もしかしてそれで隠してるつもりだったのかと言われ、周文林は突っ伏しそうになった。隠しているつもりだった。

「いやもうバレバレ。他の連中も心配してた」

 周文林は轟沈した。

「だからもう、心置きなく吐け」

「……いや、いい」

 周囲にやせ我慢がばれていたからといって、じゃあ吐きますという気にはなれなかった。ここで我慢できなかったら、自分の甘さに拍車をかける。

 そんな周文林に、黄復卿は肺を空にするようなため息をついた。

「お前なー。なに意地はってんの」

「意地なんか……!」

「今吐いたって死にゃあしねえが、我慢してたら確実に死ぬぞ」

 ぞっとするような真摯な声に、周文林はそれ以上言葉を発することができなかった。

 黄復卿は、膝に置いた桶に両手を載せて滔々と語った。

「……大体な、体の声を裏切ってたら、いつか体に裏切られんだ。言っとくが、戦なんざ体が資本なんだぜ?しかも、ただでさえ体に無理かけてるってのに」


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