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皇帝の妃嬪は四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻によって構成される。
その中で関将軍に用意された位は「充媛」だった。九嬪の中でもっとも低い位だが、それでも官位は正三品の上将軍より高い正二品。
「本当は、夫人の位を空けていたんだがな」
「……」
関将軍改め関充媛は、皇帝をじろりと睨んだ。
その顔には明らかに「まっぴらごめんに決まっているだろうが、とっととその席を他の妃に与えろこの××××」(明らかになってない)と書かれている。そもそも皇帝は皇后の座すら空位にしているのだ。
しかし、まかり間違っても関充媛が皇后になる日はないと思われる。立太子こそまだだが、世継ぎと目される皇子の生母がいるのだ。彼女を差し置ける者がいようはずもない。
だから安心していいはずなのに、関充媛は胸になぜか不安がよぎるのを感じた。心配だからさっさと誰か立后してほしい。
……関充媛の希望は「さっさと」という点だけはかなった。
翌年皇帝は立后の詔勅を出したのである。新皇后として示されたのは関氏。残念なことに、関充媛と同姓の別人ではなく本人である。もっとも、立后直前の時点では彼女はすでに四夫人である賢妃となっていたため、関賢妃と言うべきである。
このとんとん拍子の出世の裏にはもちろん理由があった。それは後宮にはつきものの寵愛争いである。
「お上は何を考えていらっしゃるのかしら!」
若い女が絶叫した。ついでに、手近にあった杯をそこらに投げつける。中身が飛び散り、侍していた宮女にかかったが、女は頓着しなかった。
「叔妃さま、どうかお気をお静めくださいまし」
周囲が必死に機嫌を取り結ぼうとするが、淑妃の昂ぶりは中々おさまらない。
「そのような微賤の者がお上のお側に侍るなど、帝国の威信に関わるわ! 周囲の者は何故お上をお諫めしなかった!」
だが、彼女が本当に問題にしているのは関充媛の身分のことなどではなかった。
関充媛の後宮入りは、全後宮を悪い意味で色めき立たせた。他の妃嬪が慌てて関充媛の経歴を調べさせれば、彼女と皇帝が近しい間柄であったことぐらいはすぐわかる。
そして皇帝は、皇子こそ儲けたものの基本的に色事に対して恬淡としており、特定の寵姫がいるわけでもない。それがわざわざ勅命で関充媛を後宮入りさせたのだ。すわ強敵が現れたかと妃嬪たちが思うのも無理はなかった。
それは皇子の生母であり、皇后となるのも時間の問題とされている淑妃でさえ例外ではなかった。
実際は皇帝の寵愛と関充媛は月とすっぽんくらい無関係なのだが、この時点でそれを言ったとしても誰が信じたであろうか。たとえ相手が三十路過ぎの美人でもない元武官だったとしても、この時の関充媛は妃嬪たちの憎悪を一身に浴びていた。
やれやれ。ため息をつきながら、関充媛は身なりを整える。
「充媛さま……」
「ん」
後ろからかかった気遣わしげな声に、関充媛は振り返り笑みを浮かべた。相手は苦々しい顔をしている。それはこれから関充媛が向かう先についてのことだった。
「充媛さまが足をお運びになる必要などどこにもございませんのに」
「そうもいかないでしょう。相手はお妃さま方だから……」
この場合の「お妃さま」というのは、妃嬪全体のことではなく、四夫人のことである。前者だと関充媛も範疇に含まれてしまう。もっとも、本人に「お妃さま」の自覚があるかどうかはまた別の事である。
関充媛はその彼女たちに呼び出されているのだが、彼女たちが関充媛にどんな用事があるのかといえば、はっきりいってない。なにかと理由を付けて嫌みを言うのを用事というのならば、話は別だが。
充媛というのは、後宮全体から見れば相当な高位だが、上には最高で13人の上位者がいる計算となる。現時点では皇后・賢妃・昭儀・充容の位が空いているため、関充媛より上位の妃嬪は10人未満だが、後宮においても位というのは大きく物を言う。
たとえ皇帝の勅命で後宮入りしたとしても、関充媛は上位の、たとえば四夫人などの命令には基本的に従わなくてはならない立場であった。
帝寵を一身に浴びる寵姫ならば他の妃嬪の命令を無視したところで特に問題はないが、帝寵を受けていると思っていない関充媛は(たとえ思っていたとしても)上位の妃嬪の呼びつけなどには真面目に応じていた。
応じたとしても得る物はねちねちとした嫌みなどでしかないのだが、関充媛はこの件については自分以外に害がない限り上位の理不尽も甘んじる方針だった。それにこの程度の嫌みと嫌がらせで済むのならば可愛いものだ。
まあ、腹は立つのだが。
「立たない方がおかしいはずでしょう」
きっぱりと言われて、関充媛は苦笑した。
関充媛も木石ではないので始終それに晒されれば精神的に疲れるし、皇帝もろとも張り倒してやりたいとたまに思いはするが、はっきり言おう。関充媛は別に嫌がらせ程度でどうこうなるような女ではない。
ほとんど底辺からのし上がってきたのは伊達ではない。心ない嫌がらせどころか、間接的・直接的に命を脅かされたことも数え切れないほどある。それに比べれば、下手をすれば自分の娘であってもおかしくない年齢の妃嬪による嫌がらせなど、たかが知れていた。
むろん、油断はできない。寵姫の言葉で力のある官僚が追い落とされたという実例はいくらでもあるのだ。だから関充媛が妃嬪の呼びつけに応じるのは、相手が大事に踏み切る前に適度な鬱憤晴らしをさせながら、不穏な動きがないかこっそり伺えるという打算もあった。
しかし、それにかまけられていては困る相手がいた。
「お前馬鹿だな」
ほかならぬ皇帝陛下である。関充媛は真顔で、
「そりゃ、お前さんにくらべりゃ……」
おつむの出来はそうとう悪いよとのたまう。
もっとも、関充媛は博学多識とは言えないものの、実のところは結構な知識人であるのだが、皇帝はそのような事を競いたい訳ではない。
「誰がそういうことを言ってる」
「えっ、そういうことじゃないの」
「大体、連中のことは放っておくか、俺に相談すべきだよな」
「いやあ、心配かけたくなくって」
はははと乾いた笑いを上げる関充媛に、皇帝は冷めた目を向けた。
「嘘付け。お前、いびられないような立場にさせられるのが嫌だったんだろう?」
「……」
関充媛の口元が笑った形のままひきつる。この次皇帝が何を言い出すのかが、わかったのだ。
皇帝にしてみれば関充媛本来の目的はあくまで枕席に侍ることではなく、寵を競うことでもなく、武官としての能力を発揮することだ。他の妃にかまけられては困る。
「だから、お前を賢妃にした」
確定事項として伝える皇帝に、関充媛はなにか言おうとして、結局なにも言わないという動作を何度かくり返した後、たった一言だけ呟いた。
「恨むよ」
彼女の性格を考えれば、それ以上不平を言わなかったのは驚嘆すべき自制心だろう。そして賢妃になったときと同じような流れで、皇后となることが決まった時にはもはや何も言わなかった。そこまでとんとん拍子に立后に進められるのに、なぜ将軍として出世させられなかったのだなどと思ってももう遅いからだ。
毒を食らわば皿までという気持ちにもなっていた。
ここに、帝国史上類を見ない、身分も美貌も実子もないのに皇后となった「武威皇后」が誕生したのである。
ちなみに武威皇后とは、皇后の死後に送られる諡とよく勘違いされるのだが、実際は違う。しかし彼女は、後世においてこの呼び名で親しまれるようになる。