10
今日は仕事とは別のところで疲れた。周文林は首を回しながらため息をついた。ごきっと固い音が響く。これは相当凝っている。
さっさと帰ろう。そう思って、馬の足を速めた。
宮城からさほど遠くない所に周文林の家はある。つまりは一等地である。とはいっても、周文林の家は貴族だとか高官だとかいうわけではない。いわゆる商人というやつだ。ただし、かなりの豪商だった。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
門番に頭を下げられながら家の敷地に足を踏み入れると、すかさず人が集まってくる。周文林は馬からひらりと降り、手綱を手渡した。屋敷に入ると、家令がうやうやしく頭を下げながら呼びかけてきた。
「坊ちゃま……」
周文林はうんざりとした表情を顔に浮かべた。
「お祖母様がお呼びなら、忙しいと伝えてくれ」
出征することが決まって以来、事あるごとに呼びつけて行くなと言ってくる祖母に、周文林はうんざりしていた。
職業軍人にそんなことが出来る訳がないだろう。
今日も祖母からの呼び出しだと思っていた周文林だったが、家令の言葉は予想に反したものだった。
「……いえ、大旦那さまがお呼びでございます」
「なに?」
周文林は家令を一瞥した。
「……そうか、今日お戻りになる予定だったな」
「はい」
周文林の祖父は商談のため長く家を留守にすることが多い。
「わかった。すぐ行く」
その言葉に、家令は再び恭しく頭を下げた。
「戦に行くと聞いた」
「そうですか」
そのやりとりの後は言葉が続かず、周文林とその祖父の間に沈黙が寝そべる。
ややあって、その状況を壊したのは祖父の方だった。
「文林。お前は……」
「なんでしょうか」
周文林の問いかけに、祖父は目を伏せてため息をついた。
「お前は、なぜ、軍人になった」
今更というべき言葉だった。
「それは、もっと早くにお聞きになるべきでしたね」
「わかっている……」
苦悩の色をその顔に滲ませる祖父を、周文林は無表情を保ったまま見つめた。
「お前がなにを望んでいるのかが、私にはわからない」
再びの沈黙のあと、祖父は呟くように言った。
「簡単なことです。私の望みは、自分が食い物にされないための力を身につけることです」
それは、周文林が自分の出自を知った時から抱く願いだ。
「私の跡を継ぐことでは、それは成せないのか」
「……成せません」
理由を述べようとして、周文林はやめた。おそらく、祖父を打ちのめすであろう言葉だったからだ。
「お話は以上でしょうか」
「ああ」
「それでは失礼いたします」
周文林はそう言うと、祖父の部屋から退出した。胸にもやもやとした思いがわだかまる。
周文林は祖父も祖母も嫌いではなかった。だが、好きと言い切れないくらいには、二人との関係は複雑なものだった。祖父母の方もそうだろう。だからこそ、会話にはつねにぎくしゃくしたものが漂う。
これは、原因を取り除かない限りどうしようもないことだ。だが、それは時を駆けない限り不可能なことだった。