7
厠に行くため席を立った関小玉は、ふと廊下で立ち止まると額に手を当てて、ため息を一つついた。
甘えているな、あたし。
誰に、といえば旧来の部下たちに。
周囲が楽しそうに見ているのをいいことに、周文林との関係を良い方に持っていこうとはしない自分は、ダメな上官だろうと関小玉は思っていた。
でも、別に周文林が嫌いという訳ではない。
彼の優秀さはすごいと思うし、おかげで仕事が楽になったのは嬉しいと思う。文林と言い合っているのが楽しいときもある……25回中2回くらいは。
ただひたすらにそりがあわないのだ。その一言に尽きる。
早いとこ出世してくれないかなあ。
そうすれば周文林は関小玉の下から外れる。それが、両者にとってもっとも幸せな結末だ。
幸い、彼は出世株だ。こっちも頑張って後押ししてやろう。関小玉はそう思っていた。そう、けっして嫌いなわけではないのだ。
周文林は部屋の入り口をちらりと見やった。
「便所」
と言って席を立った関小玉がまだ戻ってこない。
「遅ぇなあ」
まるで彼の心を読んだかのように、黄復卿が言う。周文林は黙って頷いた。戻って来次第、直球きわまりない中座理由宣言について一言もの申そうと思っていたのだが……気勢がそがれた。
やれやれと首を振り、手元の書面に目を戻そうとして、
「復卿」
戻ってきた関小玉の声で、再び顔を上げた。固い顔をしている。
「なんすか。腹具合でも悪いんすか」
「それは絶好調。王将軍に呼ばれた。全員連れてきて」
ガタン
色々と言葉が足りないことおびただしい関小玉の発言だったが、黄復卿は聞くなり立ち上がり、足早に部屋を出て行った。次に関小玉は、眉を顰めてそれを見送る周文林の方を向いた。
「文林、それ急いで書いて」
「……はい」
その言いようにカチンときはしたが、それでいちゃもんをつけるほど周文林は馬鹿ではない。おそらく、なにかあったのだ。言い捨てた関小玉は自分の席に着くと、腕と足を組み、目を閉じて黙考し始めた。眉間には軽く皺がよっていた。
全員が集まったのは、ほどなくのことだった。
関小玉は目を開いて立つと、端的に言った。
「来月出征が決まった」
「また!」
「この時期にそれ!」
一同の反応は、お世辞にも芳しいものとは言えなかった。それもそうだろう。
「今年、ここ新兵が多いのに……」
「しかも入ったばかり」
黄復卿がぼやくと、張明慧が吐き捨てるように続けた。
戦争の際に出兵する軍隊というのは、実は混成部隊である。一つの軍を丸ごと動員すると、普段その軍が司っている職分が果たせなくなるからだ。
したがって、各軍の将官の中から適任と思われる者を選別し、行軍元帥という臨時の役職を任命して指揮官とし、その指揮官が各種の軍隊から徴発した兵士を率いて出征することとなる。関小玉率いる部隊は、今回見事に徴発されたのである。
張泰は眉間に皺を寄せて、関小玉に問いかける。
「なんでよりによってうちの部隊なのでしょう。他に、全体の練度が高いところはあるでしょうに」
そう、張泰の言う通り、他に適任の隊はあった。周文林もそれを不思議に思ったが、関小玉の返答はあっさりしたものだった。肩をすくめて、
「さあ?」
この一言である。いくらなんでもそれはないだろうと周文林は思ったが、抗議することはできなかった。関小玉は表情を引き締めて、全員の顔に目を走らせた。いつもの太平楽な雰囲気をまるで感じさせない態度に、周文林は気圧された。
「決まったもんは仕方ない。それより時間がない……泰」
「はい」
「手はず整えといて。糧食と武器その他の申請。いつも通りに」
「いい機会だから、文林。泰と一緒に仕事して。今後あんたにもやってもらうことだから」
「はい」
周文林はあごを引いた。それを見るや否や、関小玉は張明慧の方を向いた。
「新人さんの調子はどう?」
言葉遣いはけっこう軽いが、声は重々しい。
「かなり……」
「アレなんだね」
「アレだね」
そして二人してため息をつく。
「訓練予定をね、編成しなおして。この際、明慧、あんたが直接教えてくれてもかまわない」
「わかった」
「それでね、10日後と、15日後、場所取ってきたから演習しよう。そのつもりで予定組んで」
はいこれ演習場使用の許可。関小玉は張明慧に懐から出した紙を手渡した。張明慧はそれをまじまじと見て、
「がんばったね」
「王将軍からぶんどってきた」
「どんな弱み握ってるんですかあんた」
関小玉は話に割り込んできた黄復卿の方を向いた。
「明慧が練兵にかかり切りになる分、他の仕事滞ると思うけど、その分は復卿、あんたにしてもらうから。全部」
「……」
関小玉はにっと笑った。
「復卿。あんた今回は仕事してもらうわよ」
「……はいヨ」
黄復卿は苦笑いしている。
関小玉は更に矢継ぎ早に指示を下すと、半ば小走りに部屋を出て行った。
「じゃあ、あたしこれから来月に向けての軍議あるから。あとはよろしく」
という言葉を残して。
一同はそれを見送り、
「さて、始めますか」
という張泰の一言で一斉に散った。やることは山のようにあり、時間は少なかった。