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始める前にこうなったらどうしようと悩んでいたことが、実現したら案外大したことがなかったりする。
張泰が茶を一口すする。
「……そのようなことはありませんか」
張明慧は彼を一瞥し、また目線をもとに戻した。
「……ああ、そうかもしれないね」
二人して見つめる先には、なにやら言い合っている上官2名。
この度配属された新人は、ちょっとした大物だった。なにしろ上から数えた方が早いという順位で武科挙に合格した俊英である。
実際のところ、武科挙に受かった者より、叩き上げの老兵の方が尊敬されるということの方が多いのだが、出世株には間違いない。階級だって最初からからかなり上の方である。そしてこれからどんどん上がっていくであろう。
そういう新人は古参の人間にとってとにかく扱いにくい。なんでそんな人間がここに来るのかと頭を抱える者もいれば、もしや監査の一環なのではと懸念する者もいた。まあ、その疑問とか懸念とか上への八つ当たりとかは、周文林の顔を見た瞬間、あーなるほどねーと氷解したが。
だが、周文林との顔合わせが終わった後も、皆の心に居座り続けた懸念もあった。それは、関小玉と新人の関係がこじれたらどうしようということである。
基本的に一言多い関小玉は、嫌う者にはとことんまで嫌われるタチである。そして、彼女を極端に嫌う人間は、優秀で、矜持と階級が高い者がほとんどであった。
さて、周文林氏の仕様を振り返ってみよう。一言でまとめると、
「10代で武科挙合格」である。
文句なしの優秀さ。そして、そのような自身に対する周文林の矜持は相当なものであろうと、アホでも予想できる。地位だって、関小玉ほどではないが高い。
見事に揃ったこの条件。彼らは、周文林が関小玉に対して爆発する日が遠い未来ではないと確信していた。
結論から言おう。見事にそうなった。
が、誤算も生じた。それは関小玉側のことである。
関小玉という人間は、どこか泰然とした人間だった。もっとも、けっして喜怒哀楽が判然としないわけではない。それどころか、よく笑うし、たまに怒ったりもする。だが、激して我を忘れるということは誰も見たことがなかった。
よっぽどのことがない限り自分から人を嫌うようなことをせず、相手に嫌われたとしてもあまり気にしないというのも、寛大というより醒めていると言った方が正しい。
つまり、関小玉は「ムキになる」ということがない人間なのだ。
そんな彼女を熟知している張明慧らは心底驚いた。
「うっさい、うっさい!」
まさか、関小玉が誰かに食ってかかる日がくるとは思ってなかった。
関小玉の名誉のために述べておこう。彼女は最初からこのような態度をとっていたわけではない。上官として、おおむね分別ある振る舞いをしていた。
ついでに周文林の名誉のために口添えしておく。彼もまた部下として申し分ない態度をとっていた。慇懃ともいえるが。
が、なにがきっかけなのか、二人の関係は険悪になっていき、それに伴い罵詈雑言が飛び交うようになってきた。今では、
「あんたの前世、出べそ!」
「そういうことを言うやつの前世の方が出べそなんだ」
やたら低次元な方向に突っ走ってしまっている。
これで業務に障りが出るようならば立派に問題だが、彼らは仕事をきちんとするし、口げんかに他人を巻き込まない。
だから最初ははらはらしていた周囲は、今ではぬるい目で二人を見るようになっていた。
なんというか、微笑ましい。
いまではこの二人の応酬がないと、なんだか物足りないような気さえするほどだ。
もし、周文林だけが関小玉を嫌っていたならば、たぶんこうはならなかっただろう。職場の空気は悪化しただろうし、なにより彼がここに溶け込むこともなかったはずだ。
常の彼は、美麗で知的で冷静という、取っつきにくさを人の形に整えたような人間だ。だが、関小玉と卵の割り方がどーのと揉めているところを見れば、そんな要素は霧散する。そこで話しかけてみれば、案外親しみやすい人間だったりするから不思議だ。
「不仲というのは……けっして悪いことだけではないんですね」
張泰はしみじみとつぶやく。
もしかしたら関小玉はこれを意図して、あえて不仲を演じているのではと言う者もいる。それくらい、関小玉の麾下はうまくいっていた。
「ところで、ああいうのって、なんて言うんだろうね。ああいう感じの関係」
「ああ、なんというか、あんな感じの……」
考え込む二人。そこに声がかかった。振り向くと、そこにはにこやかな笑顔の男が一人。
彼は、関小玉たちを見ると、はは、と笑い声を上げた。
「相変わらず仲良く喧嘩してるな」
二人は異口同音に言った。
「それだ」
そういう関係である。