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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
二章 ある少年
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 関小玉は感心していた。いっそ感動していたと言ってもいい。こんな経験はじめてだった。


 こいつ、なんてそりが合わないんだろう!


 一目見た瞬間に、相性がわかる相手というのは存在するものだ。それが悪い方の相性であっても。

 小玉は今まさにそれをしみじみと実感していた。しかし、会った瞬間にそりが合わないことがわかるのだということは、逆の場合もあるのだろうか。

 ……あるんだろうな、一目惚れという言葉もあるのだし。


 どちらかといえば、そっちの方を経験したかったなーと、関《独身・恋人無し・もういい加減嫁き遅れ》小玉は、なんとなく思った。


 しかし、そんな相手は、見目だけならば大抵の女性が相性の良さを望みたくなるような顔立ちである。要するに美男子……というには少し年齢が足りないから、美少年と呼ぶべきか。

 小玉より3歳年下だというが、小玉が30年かかっても追いつけないほど優秀なのだろう。なんとなくそんな感じがする。

 実際、彼は武科挙に合格している。武科挙とは、武官の登用試験のことだ。文官の登用試験にくらべると適当なものではあるが、これに合格した者はまず選良と言っていい。徴兵された小玉とは対極に位置する存在である。


 小玉はうんざりした。言っておくが自分の部下が優秀であることに対してではない。何ヶ月か前に武科挙の手伝いにかり出されたことを思い出したのだ。戦が終わった直後で、戦死した者が多かったために人手が足りなかったのだが、あれは面倒くさかった。

 まあ、それはいい。振り返っても不毛なだけの過去だ。


 問題は、新たな部下が出世株だということである。叩き上げの小娘の下につけるのはあきらかにおかしいだろう。相性の悪さ以前の問題だ。べつに叩き上げが悪いという訳ではありませんが、こういう場合、もっと人生経験豊富な者におまかせするのが妥当なんじゃないかと思いますし、そもそもあっちの禁軍に入れるべきだと思うんですが、あたしの考えどこか間違っているんでしょうか。



 と、関小玉は王敏之に食ってかかった。もちろん、周文林は退出させたうえで。



「いや、まあ……」

 王敏之は困った顔で、頬をぽりぽりと書いた。

「関。お前は、あの周という奴をどう思う?」

「えらく目の保養なツラだと思いますが」

 そう言うと、王敏之はぱっと破顔した。

「そうだよな、いやそう言ってくれて助かった」

「あたしだって、キレイなものがキレイだってわかるくらいの目は持ってますよ。大体、そこまで喜ぶことですか、それ」

「ちゃんと話が進むから嬉しいんだよ。お前、『普通もっと別のこと言うよね』型人間だから、いつも話の腰、変な折り方するだろう」

「なんですかそれ」

「綺麗な花見てみんながわあキレイとか思ってる時に、『これ便秘に効くんですよ』とか言ったりとかさ……」

「いいじゃないですか、毒にも薬にもならないより」

「そういうことじゃない」

「わかってますけど……というか、将軍の方が話の腰折ってますよ。わざとですね」

「むう、バレたか」

 黙って二人の会話を聞いている米孝先が、あきれ顔で首を左右に振った。


 王敏之はきりっと顔を引き締め、重々しく言った。


「関。お前はよく知ってるだろうが……軍には青春がない」

 言ってる内容に重みがあるのかは、また別の話である。

「はあ?」

「まあ、男にとってはだがな」

「あー……なんか分かった。あたしの下に女が多くついてるのと同じ理由の人事ですか?」

「その通り。いやー、飲み込み早くて助かる」

 嫌そうな顔をする小玉に、王敏之と米孝先がぱちぱちと拍手した。



 軍は基本的に男社会である。そして外部での出会いは滅多にない。したがって、大抵の場合、男性武官の恋愛対象は数少ない女性武官となる。逆に、女性の方はよりどりみどり。容姿の整ったものは限りなくゼロに近いが、ここでならもてはやされること間違いなし。小玉ですら、その気になれば恋多き女になれるような場所だ。

 だが、かならずあぶれる男というものは出る。そして、残念だが欲求不満が高じて暴行に走ろうとする馬鹿もいるものだ。そのような者には苛烈な処分が下されるのだが、関小玉は数多くの士官の中でもとくに厳正な処分をする者として名高かった。



 以前、関小玉の部下に暴行を加えようとして捕まった武官がいる。その武官には当然、処分が下されるはずだったのだが、なかなかの家の出だったそいつは、金で事件をもみ消そうとした。

 ありがちな話である。関小玉は不問に処すようにと主張するそいつとそいつの上司の言い分を聞くと、いつもの飄々とした様が嘘であるかのように静かに言った。同席していた米孝先に向かって。

「閣下。あたしを処分してください」

 その時の関小玉について、米孝先はこう述懐する。

「あたしがこれからこいつのイチモツをちょん切りますので」

 底冷えする眼光に背筋が凍った、と。

 軍法で裁かないのでしたら、あたしがやります。といっても私情で人を傷つけるので、処断はいかようにでも。甘んじて受けますとも。ええ、こいつと違って。階級が二つや三つや四つ下がったところで、あたしは一向に構いませんがなにか。



 ……そういう事例が何度かあるために、関小玉の部下に手を出そうとする者はまずいない。ただ、関小玉にしてみると、それは当然のことであるし、実際、暴行に対して厳正な処分をしている武官の方が大多数だ。

 関小玉がとくに有名になったのは、若い女性士官ということでなにかと注目されていたというだけのことだ。だが、理由はさておき名を馳せてしまったために、ちょっと気弱そうな女性武官などは、安全を図って関小玉の麾下きかに送り込まれる傾向があった。


 周文林は彼女たちと同じ理由で、関小玉の部下となったのである。


 断っておくが、周文林はどんな人間が見ても、「気弱」という要素を母親の腹の中に置き忘れてきたかのような人間だ。だが、それを補って……というか、食いつぶしてあまりあるほど容姿に難があった。この場合の「難」とは、美貌であるということである。

 女性武官の数は少ないし、そんなに美人でもない。欲求不満のあぶれた男たちの中には、「穴があってなおかつ顔が良ければ、男でもいいんじゃね?」という考えに至るものがいる。必ずいる。

 南衙なんがと違い、女性が一人もいない北衙ほくがの禁軍にそんな危険人物を放り込める訳がない。それどころか、南衙でさえ配属先を厳選する必要があった。周文林の艶冶えんやさは、たとえあぶれていない男でも、思わずよろめきかねない危険性をはらんでいた。


 が、ここで関小玉は小首を傾げた。

「ええ? 確かにキレイな顔ですけど……そこまでキレイですかね」

「お前がそうだから安心できるよ。上官のお前が肉体関係強要するはずないからな」

「……」

 他にも、「するはずない」人はいくらでもいるんですがね。

 と、関小玉は思ったが、口を閉ざした。なぜ自分に白羽の矢が立ったのかがわかってきたからだ。


 たかが一人の人事に上層部がここまで頭を悩ませていたのには訳がある。戦争が続き、慢性的な人材不足の中、多少難があったとしても優秀な人材は貴重だった。それが暴行で使い物にならなくなると困る。部隊全体が恋のさや当てで使い物にならなくなるのも困る。

 よって、暴行の心配がなく、周文林が入っても浮き足立たないほど指揮がしっかりしている所として、いくつか候補が上げられ、そして関小玉が選ばれた。決め手はやはり、

「ほら、買ってでも苦労しろっていうやつ」

「やっぱりそれですか」


 そう、面倒なことはいちばん若い奴に押しつけようというアレだ。


「でもさっきも言いましたが、経験豊富な人の方が……」

「まあ、もし駄目だったら、俺か米が変わるから。とりあえずやってみろ」

 なんて場当たり的なと、関小玉は顔をしかめた。

「あの、なんか今から駄目な感が漂うんで変わってくれませんか」

「挫折早いな。でも駄目」

「どうしてですか!」

 抗議する関小玉に、王敏之は予想していなかった答えを返した。

「お前、多分周の奴と相性悪いと思う」

 関小玉はぱちくりと目を見開いた。その通りだ。だが、それとこれとどういう関係があるのか。

「だからあ、おじさんとしては、そういうのと付き合ってみる経験が必要だと思うのだよ」

「ムカつく奴とはけっこう付き合っていますけど……」

 だから、それなりに割り切って過ごす程度の処世は身に付いていたつもりだ。


 だが、それを言ったところで、この人事はくつがえらないだろう。関小玉はあきらめた。


 仕方がない。これも給料の内だ。正直、そんなにたくさんもらっても使い道がないのだが、金をもらっている以上は相応の仕事はしようと思っている。

「わかりました。やってみますよ」

 その言葉に王敏之がなにか言うよりも早く、米孝先が動いた。差し出される書類。多分、周文林配属に関するもの。

「では、書類のこことここに署名と押印を」

 発言を遮られた形となった王敏之が、気まずそうに口を閉ざす。

 押し売りみたいと思いながら、関小玉は持っていた校尉の印を押した。書類を受け取ると、米孝先はさっさと部屋を出て行った。なんでいるのかと思っていたが、どうやらこの人がずっと同席していたのは、書類に印を貰いたかったかららしい。二人の押し問答にさぞやじりじりしていたのだろう。


「……ま、頑張れ」

「はあ」

 二人の声は、なんとなく間抜けな響きを含んでいた。



 この人事が、長じては国家の行く末まで左右したことを、彼らが知るのは十数年後のことだ。

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