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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
二章 ある少年
22/86

 一人歩いていたら、数名の男に絡まれて薄暗い路地裏に連れ込まれそうになった。

 そんな事態に陥った場合、人の行動は大体三つに分類されるものと考えられる。


1.大声で助けを呼ぶ

2.とにかく逃げようとする

3.ひたすら抵抗する

 だが、周文林の場合、そのどれにも当てはまらない。


 馬鹿が。

 周文林は心の中で嘲った。誰をといえば、もちろん自分をこの場に連れてきた男共を。目の前の得物が従順に従ったことに、有頂天になっている馬鹿。もうすぐその体を意のままに出来ると信じて疑っていないことが、手に取るようにわかる馬鹿。あまりにも馬鹿すぎて、こちらの心が躍り出す。


 周文林は機嫌良く問いかけた。

「ところでお三方、私が男であるということは、ご承知で?」

 自分を女と間違えてちょっかいをかけてきたのなら馬鹿だし、男と知ってなお絡んできたのならば大馬鹿である。

「もちろんよぉ」

「なに、すぐ俺たちの女にしてやるからよ」

 他、下卑た言葉が続くが、それは聞き流し、周文林は微笑んだ。婉然、という言葉が似合う。


 よろしい。

 一点の狂いもない馬鹿。叩きのめすのに不足はない。


 周文林は、馬鹿には生きている価値はないと思っている。ちなみに、この場合の「馬鹿」は、「変態」と限りなく同義に近い。

 烏合の衆。どうとでもなる。

 幼少の頃から、変態に絡まれ続けた周文林である。相手がどの程度の技量の持ち主か、見ればわかるだけの目は備えている。そうでなければ、周文林の貞操は、ちょっと人様には言えないことになっていただろう。

 いっそ愉快な気分で、周文林は拳を握った。数瞬後に、目の前にいる出っ歯の男が地に伏すことを、彼は疑っていなかった。


 だが、

「はい、そこまで!」

 ゴッ!

「ぐへぁっ!?」

 こういう形で地に伏すとは、カケラも思っていなかった。


 突如上がった鈍い音、品のない悲鳴、自分の方に倒れてくる出っ歯。なにが起こったのかはわからなかったが、出っ歯に寄りかかられるのはご免だったので、驚きつつも体を横にずらす。

 なんの障害もなく母なる大地への抱擁を果たした出っ歯に心からの祝福を捧げる。「だい!?」だの、「アニキぃぃ!!」だのと叫びながら、出っ歯に駆け寄るすきっ歯と八重歯を横目に、周文林は足下で動く物体に目を止めた。

 ごろーん、ごろろーんと右に左にと揺れる人頭大のそれは……。

「カボチャ……?」

 まさしくその通りであった。

 

 カボチャ。

 秋の味覚の一つ。じっくり煮込めば甘くて美味。

 固い野菜の代表格であり、鈍器としての適性は他野菜の追随を許さない。直撃すれば、人一人昏倒させるのは容易いだろう。下手すれば息の根だって止められる。そんな便利な野菜である。


 だが、カボチャは空を飛ばない。


 当然、誰かが投げて、出っ歯にぶつけたに決まっている。順当に考えれば、それは出っ歯が昏倒する直前に響いた声の持ち主だろう。

 周文林は目を上げ、路地の入り口に立つ人影を認めた。光を背にして立っているせいで、特徴はなにもわからないが、とりあえずこの人物がカボチャを投擲したことに間違いはなさそうだ。

 なぜって、片腕になんだか丸いものを抱えているからだ。多分あれは、カボチャ第2弾。


 周文林と同様に、すきっ歯と八重歯も人影に気づいたようだった。うつぶせに転がる出っ歯を仰向けにすると、二人は立ち上がった。周文林のことはすっかり無視だ。この握った拳のやり場はどうなる。

 周文林は二人の後を追い掛けた。勢い、路地の入り口に近づいたため、立っている人間が先ほどよりよく見えた。女だ。日に焼けている事と、いささか髪が短いこと以外、とりたてて特徴はない。それよりも、脇に抱えたカボチャの方がよほど印象的だ。


 無表情でこちらを見据える女に、すきっ歯と八重歯が詰め寄る。

「おうおう姉ちゃんよぅ」などと、まるで独創性のない台詞を吐きながら。

「俺たちの邪魔しやがって、良い度胸してやがんじゃねぇか」

「なにしやがるんだ、このスベタ……」


 女がぴくりと動いた。あ、投げる。

 と、思いきや。


「ほいっ……と」

 どっ!

「ぐ」

 女は一気に距離を詰め、カボチャを八重歯の腹にめり込ませる。

「なっ……!」

 すきっ歯は驚きながらも、小刀を抜き女に斬りかかろうとする。女は慌てず騒がず、頭上に掲げたカボチャで刃物を受け止め、すきっ歯の股間を容赦なく蹴り上げた。前のめりになったところで、小刀がささったままのカボチャが頭に炸裂。すきっ歯は声もなく倒れた。


 強い。周文林はそう思った。

 女は、確実になんらかの戦闘訓練を受けている身だ。カボチャで戦っていてもそれがわかる。正直言って、カボチャがなくても男達に余裕で勝てただろう……カボチャ下ろして戦えよ。


 女は、カボチャに刺さった刃物を抜いて投げ捨て、周文林に向かってつかつかと歩みよった。軽く身構える。だが、女は周文林を軽やかに無視して、その横をすり抜けた。思わずその動きを目で追うと、出っ歯の横に転がるカボチャを拾い上げた。

 そろそろ覚醒しかけているのか、微かに呻く出っ歯の頭を蹴飛ばして再び夢の世界へ送り込むと、両脇にカボチャを抱えた女は文林の前に立った。


「怪我は?」

 身長が、殆ど同じだった。

 なんだか腹が立った。


 今の周文林の立場は、唯々諾々と男達に路地裏に引きずり込まれたあげく、自分と大して背丈の変わらない女に助けられたということになる。しかも、カボチャで。

 あえて馬鹿共の懐に飛び込んで叩きのめそうとしたのだと主張したとしても、その事実は変わらない。周文林の立つ瀬も立場もないではないか。

 かなり八つ当たりである。だがそれを自覚する余裕もなく、苛立ちがそのまま口をついて出た。

「余計なことを……」

 言葉をぶつけられた女は、しばしの無表情の後、眉を寄せた。それは不快感というより、困ったという感じであった。ふむ、というように首をかしげると、口を開いた。

「はい、これ」

 言葉と同時に差し出される右手……のカボチャ。思わず受け取ると、ずしりと思い。女は、周文林にカボチャを持たせると、

「しっかり持ってて」

 と言うやいなや、空いた手で周文林の襟元を掴み、一気に引き寄せる。同時に、女の顔も勢いよく近づく。当然顔と顔が接触するが、重なったのは唇……などではもちろんなかった。


 ドゴッ!

 接触どころか、衝突という言葉の方が正しい勢いで、おデコとおデコがごっつんこ。


「……!」

 とてつもない衝撃に、目の前で光がバチバチと点滅した。周文林はたまらず仰け反ったが、女がいまだ襟元を掴んでいるせいで後ろに倒れ込むことは免れた。

 出っ歯にカボチャが直撃した時よりも激しい音がしたにもかかわらず、あっぱれなことに周文林は意識を失うことはなかった。のみならず、手にしたカボチャを取り落とすこともなかった。もし落としていれば、周文林は額だけではなく、足の甲にまで深刻な打撃を受けていたであろう。

 周文林はくらくらする頭を叱咤して、女を睨み付けた。その憎らしいほど涼しげな顔からは、なんら痛痒を感じ取れない。

「な、なにを……!」

 する、と言い切る前に、女は、真顔で答えた。

 

「八つ当たり」

「は……?」


 一瞬、痛みさえも忘れた。女は、周文林から手を放すと、すたすたと歩み去る。周文林が呼び止めようとすると、それを感じ取った訳でもないだろうが、ぴたりと立ち止まり、振り返った。

「だから、気にしないで」

 言い捨てると、今度こそ振り返らずに、女は去っていった。周文林は、それを呆然と見送った。女の姿が完全に見えなくなると、周文林は視線を手に持つカボチャにゆるゆると落とした。ふつふつと怒りが湧いてくる。

 周文林は手に力を込めた。

「あの女……!」

 ぎり、と爪が食い込むカボチャの皮には、幅の狭い穴が開いている。薄暗さに慣れた周文林の目は、それをはっきりと捉えていた。

  

 あの女、傷物になった方を押しつけやがった!


 気にするなという言葉の使い方間違えているとか。気にするに決まっているだろうとか。そもそも八つ当たりってなんだとか。

 色々な怒りに後押しされ、文林はカボチャを力一杯投げた。

 倒れている誰かに直撃したが、それが出っ歯かすきっ歯か、それとも八重歯かなど、周文林には心からどうでもいいことだった。




 周文林は、数ヶ月前に起こったその事件を忘れようと、積極的につとめていた。その甲斐あって、記憶はかなり朧になってきていた。しかし、それが一気に色鮮やかになったのは、目の前の女……周文林の上官として引き合わされた武官を目にしたからだ。

 そう、周文林のはじめての上官は、理不尽で理解に苦しむこと天災のごとき、あのカボチャの女に他ならなかった。

 腹が立つ。だがそれは、数ヶ月前の頭突きに対するものではない。そこまで根に持つ性質ではないし、後で冷静になってみれば周文林にしても八つ当たりじみた発言をしたのだから、一概に相手を責められないことはわかっている。

 しかし、しかしだ。

 関小玉という上官。その、明らかにはじめて出会った者を見る目。


 この女、忘れてやがる……!!


 反感を抱かずにいられるわけがない。

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