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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
二章 ある少年
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 数年前、今の自分を予想できていたら。


 ……まあ、予想していたとしても、他に選べる道はなかったというのが正直なところなのだが、もうちょっと色んな事を考えていたんじゃないかなあと関小玉は思う。



 この国では、文官でも武官でも女性の登用が認められている。だが、数は圧倒的に少ないし、出世においても男性に比べると相当不利だ。とくに武官はその傾向が顕著である。

 歴史上、皇帝の后妃がそれなりの規模の軍勢を率いたことはあるが、彼女たちは武官としての位を持っていなかったので、これは例外といっていい。

 後方支援関係に身を置く場合はそれなりに出世する機会はあるが、それでも将官級まで出世したことはない。前線で戦う女性武官は数自体が少ないのでなおさらである。出世したとしても校尉止まりがせいぜいで、それも、かなり年齢がいってからの話である。


 それを考えれば、関小玉の「20歳で校尉」というのは、桁違いの出世速度だということがわかる。男性だって、ここまで急激に出世することは滅多にない。実際、関小玉と同じ年代の校尉は何人かいるが、それらは皆家柄がいいか、武科挙ぶかきょ出身者かのどちらかだ。関小玉が平民出や女性の武官から、多大な期待と多少の嫉妬を受ける由縁である。

 

 そんな、初の女性将官誕生なるかと注目されている関小玉だが、本人はそのことについて、喜びをあまり感じていない。確かに、自分の仕事が評価されたこととか、給料増額とかは嬉しい。

 だが、自分の立場というものを考えると、けっこう微妙なものだ。


 関小玉は貴族とか、武科挙出身者からはかなり嫌われている。それはそうだろう。叩き上げの小娘が、自分たちに比肩し、そして追い抜いていくのだから。

 そして、平民出、女性武官からは、多くの支持を得ているが、全員が全員という訳ではない。そして、そういう類の連中の嫉妬が、一番根深い。関小玉はかなり楽天的なタチだが、時々これがどうしようもなく堪える。

 大体、周囲に年下の人間がいないという事実が、どうも納得できない。関小玉はまがりなりにも士官なので、側近と呼ぶべき存在がいるが、関小玉より年下の者は一人もいないのだ。しかも、大半が元同輩だったり、元上官だったりする。

 べつに誰かに対してお姉さんぶりたい訳ではないが、正直、やりにっくいわーとか思うことはある。


 一番アレだったのは、同じ地方出身のおじさんが部下になった時だ。相手がなにを勘違いしてか、小玉に自分を出世させろとか抜かして騒いだせいで、幸か不幸か異動ですぐに自分の前から消えたが。


 まあ、やりにくいといっても、多分部下の方はもっとやりにくかろう。良くついてきてくれるものだ。

 よほど人間が出来ているんだなあと、関小玉は心底感心している。もっとも、人間が出来ていない奴は、最初から関小玉のところに留まるわけがないのだろうが。


 しかしまあ、人間関係をぎくしゃくさせる変則的な存在って、もしかしたら一番軍に必要ないんじゃないだろうか。自分の出世に対して、もう少し年齢を気にして欲しかった関小玉だが、

「なに、あと数年すれば、めぼしい武将がかなり死んで、お前以外にも若手が台頭するはずだ。もう少しの辛抱辛抱」

 王敏之は、堂々と不謹慎な発言をして呵々と笑う。そんな彼は、関小玉に目を掛けてくれている数少ない高級武官の一人である。だがアホみたいに急な出世と、それに伴うめんどくさい仕事や人間関係が彼のお陰だということを考えると、時々ちょっと恨めしい。


 少数のお偉いさんに相手にされず、直属の上官にはそこそこ目をかけられていれば、関小玉の軍隊生活はもっと気楽だった。

 後方で、補給関係でぜんぜん目立たずに仕事やって、戦死しなければじわじわと出世して、退役する際にどこかに畑買ってのんびりやる……そんな人生が約束されていたに違いない。関小玉が、数年前、軍で生きていくと決めていた時に思い描いていた未来だった。なのに、なんでその逆の展開。

 もう、退役だってままならない。やろうとしたら、大騒ぎになるだろうし、関小玉自身もそれなりに責任感というものを持ち合わせているため、やろうとは思わない。


 だからね、もう、本当に。

 年不相応な出世なんかするもんじゃない。


 関小玉は、おそらく今、軍の中でもっとも年功序列を愛している存在である。




 やれやれ。

 ちょっとした小言をもらい、上官の元から退出した小玉は、長い廊下を歩いた。自分に与えられている執務室に向かう。

 覗き込むと、部下連中がなにやら慌ただしく働いている。宮城にいなかった間に溜まった仕事とか、連絡事項の伝達とかで忙しいのだということはすぐにわかった。そして、自分もすぐ、その忙しさに巻き込まれるということも。

「おや、おかえり小玉」

「いるんなら、早く入って! ああ、もう、待ってたんですよ」

 関小玉に気づいた部下たちが、口々に声をかけてくる。関小玉は部屋を突っ切り、自分の席に座った。ここに座るのは久しぶりだ。もぞもぞと尻を動かし、おさまりの良い位置を探す。


 そんな彼女に、張泰ちょうたいが待ってましたとばかりに、声をかけてくる。手には沢山の紙の束。

 張泰は30代中頃の男だ。武官ではなく、軍属の文官である。関小玉が配下の大部分を率いて金吾衛の手伝いにかり出されていた間、宮城に残って事務処理や、連絡を行っていた。

「よろしいですか」

「覚悟は出来てる」

 いない間に起こったあれやこれやそれやを、延々と聞かされることを。

 喉が渇いていたが、この忙しい最中に誰かに飲み物を求めたら、頭カチ割られかねないなと思い、関小玉は黙って聞くことにした。




「大体このようなもので……」

「あ、終わり?」

 関小玉は顔をほころばせかけたが、

「あ、そうそう」

「まだあるんだ」

 一枚の紙を取り出した張泰に、軽く落胆した。張泰はそんな関小玉にまるで頓着しない。

「今度新人が来るらしいですね……さきほど、米中郎将の所で聞かれましたか?」

「いや?」

 張泰はほう、と呟いた。

「珍しい……私経由で伝わる話だから言わなかったのか……」

「王将軍来ててね、それどころじゃなかったんじゃない?もういい加減引っ越せーとかは言われたけど」

「ああ、それで遅かったんですか……いや、米中郎将の言ったことは、もっともです。本当に引っ越しましょう、校尉」

 おっと、藪を突いて蛇を出したか。関小玉は首をすくめた。

 関小玉ほどの地位になれば、宮城の外に家を構えるのが普通であるが、関小玉は兵卒の時から今日にいたるまで、宮城の敷地内にある宿舎に起居している。外聞が悪いというのが、上官及び側近の大半の意見である。


 現在、宿舎にいる武官の中で一番階級が高いのが関小玉である。だが彼女の名誉のために述べておくと、彼女はお山の大将を気取りたいから宿舎に居続ける訳ではない。そもそも、周囲のおばちゃん達が気取らせてくれる訳がない。


 関小玉が転居しないのは、もっと現実的で身も蓋もない理由からだった。

「だって、引っ越しって、面倒な上に出費かさむんだもん」

「いい年こいて、『もん』とか言わない。ですがね……」

「ここにいると、出勤楽だし、ご飯は出るし……引っ越ししたら、確実に一刻は寝る時間少なくなる。これけっこう重要」

 と、関小玉は主張する。もう何回もやったやり取りである。


 そんな関小玉の前に、茶碗がコトンと置かれた。


「あ。ありがとう」

「いや」

 張明慧ちょうめいけいはそう言って、口の端をふっと上げて笑った。そして、張泰にも茶碗を差し出す。この二人、姓が同じだがべつに血縁関係があるわけではない。

「あ、これはどうも」

 筋骨隆々とした手に乗ったそれは小さく見えるが、張泰の手に渡ると相応の大きさに見える。不思議だ。

 湯飲みを渡すと、張明慧は、張泰に向かって言った。

「べつに問題は無いと思うんだがねえ。一緒に住む者から苦情は出てはいないし……」

「そうそう」

 尻馬に乗って関小玉も頷く。関小玉だって、人の迷惑を顧みないわけではない。これで同じ宿舎に暮らしている女性達から、上官がいると居心地が悪いという意見が出たのならば、関小玉はあっさりと転居したであろう。

 だが女性武官用の宿舎は、元々士卒入り交じっている場所だったため、それに慣れきった女性武官たちは誰かが飛び抜けて階級が高いからといって、あまり気にしなかった。なんだかんだ言って、関小玉が好かれていたというのもある。


 関小玉の生涯においての人間関係は、ほとんどの場合、極端に好かれるか、極端に嫌われるかのどちらかであった。その中でも女性、とくに年上の女性にはよく好かれた。したがって、この頃の関小玉は立場の差はあるものの、おばちゃん武官に猛烈に可愛がられていたのである。本人の自覚はイマイチだったが。


 だから、この件について関小玉に苦言を呈しているのはほぼ全員が男である。

 一部、関小玉の立場を考えて、転居を勧めた者もいるが、関小玉にその気がないことがわかると、あまり深くは勧めようとはしなかった。その程度のことだった。

「あたしほらまだ若輩者だし、家持つのはちょっと早いと思うんだよね。まあ、将官だったら宿舎にいるのはまずいけど……」

「言いましたな?確かに聞きましたよ」

「……?」

 張泰はふふと笑うと、立ったまま茶を一口飲んだ。

 言質を取られた関小玉は、近い将来に引っ越すことを知らない。

 結局、関小玉の引っ越し論争にまぎれる形で、新人がやってくる話は尻切れトンボに終わった。そして誰も蒸し返さなかった。




 関小玉がそれを後悔したのは、その新人とはじめて顔を合わせた時である。

周文林しゅうぶんりんと申します」

 関小玉ははっとした。こいつ……。

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