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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
序章
2/86

 上官の言葉は実にもっともだったので、関将軍は一度家に帰り風呂に入った。


着替えて家人に外出する旨を伝える。

「お供は……」

「いや、いいから」


 一人で街に出た。仕事が仕事なので基本男装の彼女だが、だからといって私生活までそれを通している訳ではない。その時に応じて一番楽な服装をしている。

今はきちんと女物を着ている。男物の方が変な輩に絡まれた時に立ち回りやすいが、男装の女は人目を引く。

女性の夜歩きが珍しくもないほど治安のいい昨今、あえて男物を着る必要もない。それに今日は一応訳ありなのだから、余計目立ちたくなかった。


 それに若い娘ならばともかく、彼女はもう孫がいてもおかしくない年齢だ。さして美人でもない関将軍に絡む男などいる訳もなく、彼女は何の支障もなく待ち合わせの店に着いた。

店員に声をかけると、既に話が付いており個室に通された。先客はいない。部屋には酒肴が置いてあった。先に一杯やろうかとも思ったが、少し考えてやめた。


 窓を少し開け道行く人の流れを眺めながら待つ。風呂上がりの肌に吹きつける風が心地よい。


 どれくらい待っただろう。複数の人の気配が近づくのを感じ、関将軍は立ち上がった。扉が開き、人が入ってくる。上官とそれからもう一人。

 それが誰なのか確認した直後、関将軍の動きはまさに神速と呼ぶにふさわしいものだった。膝を折りながら後ろ手で素早く窓を閉める。背後でぴしゃりという音が鳴った時には既にひざまずき、礼を取っていた。


 皇帝に対する、臣下の。


 そして数拍。

「……」

「……」

「……」

 その間、関将軍の頭はめまぐるしく動いていた。ここはまず何と言うべきだろう。


 皇帝と見てうっかり跪いてしまったが、考えてみればこれはお忍びであった。しかし礼を取った以上何か言わなくてはならない。御意を得ます?  皇子殿下の誕生の御事、祝着至極に……明らかに違う。いつもならばぱっと思い付くのだが、あまりにも予想外すぎる事態に混乱して最初の言葉が浮かばない。


 悩んでいると、ぼそっと声が聞こえた。

「……『ご尊顔を拝しまして』」

「あーそう! 『ご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じ奉ります』!」

「はい、じゃあ『立つが良い』」

 助言と同じ声が許可を出す。

「はっ」

 雄々しく返事すると、関将軍はすっと立ち上がった。数年前までは毎日拝んでいた美貌がそこにあった。

「お前、窓を閉めながら礼取るのやめような」

 数年前までは毎日のように聞かされていた小言もそこにあった。

「あいえ、陛下。関は陛下のお姿が外に見えないように配慮した訳でして、そもそも窓を開けたのは陛下がおいでになることを伝えていなかった臣の落ち度であります」

 数年前まではたまにあった取りなしもそこにあった。まあもっとも以前の取りなしは尊敬語ではなかったが。


「……」

「……」

「……」

 そして再び沈黙。

 誰もがこのような形での再会を予想していなかった。関将軍はそもそも再会自体を予想していなかった。だからどう反応して良いのかわからなかった。


 最初に口を開いたのは皇帝だった。

「ああ、以前のような言葉遣いで構わない。お前がいつ噛むかハラハラして仕方がない」

「……どうも」

 最初がそれかと思わないでもないが、ありがたい言葉ではある。関将軍はぽりぽりと頭を掻いた。そういえば言っておきたいことがあった。


「子供できておめでとう」

「ああ、どうも」

 素っ気ない。


「いま2才か。可愛い盛りだね」

「まあ、それなりに」

 素っ気ない。


「名前なんだっけ」

「皇太子候補の名前くらい覚えておけ!」

 一喝された。



 やれやれと首を振りながら皇帝が座る。上官も関将軍もそれに習った。

「では乾杯」

 それぞれ酒を満たした杯を干す。しばらく三人とも黙って酒を飲みながらつまみを食べる。やがて関将軍が口を開いた。

「それで、一体何でわざわざ皇帝陛下のお出ましなの」

 その言葉に皇帝と上官の手が止まる。目配せをすると皇帝が居住まいを正して関将軍の目を見た。

「頼みがある」

 固い声に、自然に関将軍の顔も引き締まる。

「なに」


「後宮に入ってくれ」

 関将軍は一瞬もためらわずに、目の前の男の顔に酒杯の中身をぶちまけた。


「関!」

 上官の叱責を無視してことさらゆっくりと杯を落とす。からんという音をたてて床に転がるや否や、相手の胸ぐらをひっつかんだ。そして凶悪に笑う。

「ふざけんじゃない」

「俺が」

 だが皇帝も真っ向から関将軍を見据えた。

「ふざけてこんなことを言うと思うか」

「本気ならばなお悪い」

「お前の助けが欲しいんだ」

「後宮に?  どんな」

 自慢ではないが、関将軍が持っているのは軍事的才能だけだ。しかしその才は妃嬪に必要とされるものではない。

「お前は今のままではこれ以上出世できない」

「だから何!」

 そもそも平民の中でも卑賤といわれる出身の彼女がこの若さで将軍になったこと自体が異例だったのだ。これ以上を望むつもりはないし、そもそもこれまでの出世を望んだことは1度もない。

 仕事にやりがいを感じているが、最初はただ死にたくないから頑張り、その後は自分の責任を果たすために頑張ってきた。それがたまたま出世に結びついただけだ。


 しかし皇帝にも皇帝の言い分があるようだった。

「それでは困るんだ」

 今の地位のままでは関将軍は力を存分に発揮することができない。それは帝国にとって大きな損失であった。この3年間、皇帝は彼女を取り立てようと力を尽くしていたのだが、それは数年でどうにかできる問題ではなかった。

「だから、妃になってくれ」

 妃嬪が兵を率いた前例はある。それも高位のものとなれば、皇帝の委任により親衛隊などを動かすこともできるのだ。軍を率いらせるには強引ではあるが、もっとも手っ取り早い方法でもあった。それは認める。


 それでも。


 10年間。

 10年間共に闘ってきた仲間だった。

 最もお互いを知り尽くしていた存在だった。それが自分の意志をもっとも手ひどい形で裏切った。

 いや、裏切りとは言えない。彼は皇帝だ。国家と臣民を守るために使えるものを最大限活用しなくてはならない。それはもはや義務とさえいえる。ましてや関将軍は既に武官として皇帝に使えている身だ。皇帝の人事に口を挟むことなどしていいはずもない。

 だがもし、彼が自分の近くにいたころの気持ちを持ち続けていたらこのようなことは起こらなかっただろう。

「あんたは……『皇帝』になったんだね……」

「……ああ」

 それを責めることはできない。そこまで自分勝手にはなれない。


 だが、これだけは言いたかった。

「せめて相談が欲しかった」

「すまない」

 その謝罪は相談の有無に対してであって、自分を入内させることに対してではないんだなと冷めた気持ちで思った。




 その年の内に関将軍は勅命により後宮に入った。

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