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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
一章 ある少女
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 叔安は悩んでいた。かつてないほどに悩んでいた。

 悩んでいる対象は同輩の少女のことである。別に恋愛がらみのことではない。叔安にとって少女こと関小玉は、恋愛対象とは対極に位置する存在だとさえいえる。

 叔安が悩んでいることは、彼女に謝るべきか、謝らないべきかということだった。

 それは別に、嫌いな相手に謝りたくないという葛藤によるものではない。良くも悪くも真面目な叔安は、謝らなければならないのならば、対象が親の仇だろうが絶対に謝るタチであった。だから、叔安が悩んでいるのは、自分は謝るべきことをしたのか、していないのか、それがわからないという点につきる。そして、それを判断するには、情報があまりにも少なかった。

 叔安は手を顔に持って行き、目頭を揉んだ。ここ数日、途方に暮れていた。そして、そのことに疲れていた。

 その時、

「じゅぐあ゛ーん!」

「?」

 叔安が振り返った理由は、自分の名を呼ばれたと認識したからではない。どこかから聞こえてきた謎の音が気になったからである。あんな声でさえない音の連なり、断じて自分の名とは認めない。

 その濁音の連なりは、こちらに駆けてくる人間から発せられたものだった。うっとひるんだのは、それが叔安のここ数日の懸案事項・関小玉だったから……という訳ではない。それ以前の問題で、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした娘がいきなり全速力で接近してきたら、たとえ好きな娘が相手であろうと引くはずだ。

 それでも、顔で個人判別ができないというのに、相手が関小玉であるとわかったのは、叔安の彼女に対する愛……と正反対の感情のたまものであろう。

 関小玉は、叔安の前まで来ると、立ち止まって何かを言おうとした……が、その前に袖で顔をぬぐった。ずひー、と鼻をすする音が聞こえる。

「ど……どうした」

 関小玉が大嫌いな叔安でも、さすがにちょっと心配になった。すると関小玉は顔を上げて言った。

「ごめんね……ごめんなさい」

「……」

 虚を突かれて黙り込む叔安に、関小玉は自分が軍律を乱しかねない行為をしたこと、それに対して悪びれなかったことを詫びた。

「お前……それで泣いてたのか」

「あ、いや、それとは別件」

「……」

 そうかい。

 すごく水を差された気分になった。

 だが叔安は、やはり自分は間違っていたのではないかと思った。謝るべきことを自分はしたのではないかと。そしてそれを、関小玉に確認しても大丈夫だと叔安は確信した。

 そう、謝るべきか否かは関小に確認を取りさえすれば、判別できる問題だった。もっとも、嘘をつかれたらそれまでなので、ずっと一人で思い悩んでいたのだ。だが、今、自分に対して謝る彼女を見れば、彼女はきっと誠実に答えるだろうと思った。

 それは間違っていなかった。

「えー……ありえない」

 そう、関小玉はとても率直だった。口もそうだが、目はそれ以上だった。石で口をすすぐと言う奴がいたら、叔安も同じような目をしたであろう。そんな、ものすごく可哀想な人をみる眼差しだった。

 そんな態度に対して腹が立たなかったのは、「あれ?言われてみればそうかも」という気持ちがわいてきたからだ。


 実をいうと叔安が関小玉に隔意を持ち始めたのは、関小玉に打ち負かされたからではなく、もっと前、彼女と面識を持っていない頃からのことだった。叔安の同輩の一人がこう言ったのだ。

「なんだか……沈中郎将閣下の従卒が決まったらしい」

「本当か!?」

 叔安は沈中郎将を尊敬していた。彼に出会うまで、宦官という存在は卑しいものであるという認識を持っていた叔安だったが、あっという間に宦官を見る目が変わったほどだった。当然、そんな人のそば近くで仕えたいと思っていたが、残念ながら沈中郎将は、従卒を持たないことで有名だった。

 その美貌と性別の故から、沈中郎将は男との関係が噂になりやすい存在だった。本人もそれを配慮して、側近たちとの関係においても、常に注意深く振る舞っていた。そんな彼が従卒のような常に身近に控える者を持つことは、まずないだろうと叔安は考えていた。なのに、何故。叔安の疑問は、すぐに氷解した。

「女だって」

「女……」

 それならば。

 同性同士の主従関係ならば、ほぼ四六時中付き従うのが常である。そうしなければ従卒失格の烙印を押される。だが、(めったにないが)異性同士の場合は、当然だがある程度の距離が求められる。宦官と男性ならば、常に共にいるせいで噂になりやすいが、宦官と女性ならばかえってそれよりはましだろう。もっとも、歴史上宦官と女性との結婚の例もあるので、噂になる可能性は皆無ではない。だが、宦官と女性の上司部下の場合、恋愛関係は精神的な結びつきが主になり、主従愛と区別がつけづらいため、問題になりにくい……ような気がする。

 まあ、一番噂にならないのは、宦官が従卒になることなのだが……。

 うらやましいと叔安は思った。超うらやましい。だが、叔安が文句を言えた筋ではない。そんなに沈中郎将の従卒になりたければ、ぶっちゃけた話、叔安が宦官になればいいのだ。だが、さすがにそこまではできなかった。

 だから仕方がないんだろうなとすね始めた叔安。そんな彼の長くない導火線に、同輩の言葉が火をつけた。

「なんか、そいつは、上役に取り入って、沈中郎将の従卒に収まったらしい」

「何!?」


 叔安は話し終えた。

「うん、それで?」

 話し終えたつもりだった。

「それで、って……」

 叔安にしてみれば、あとは小玉の返事を待つだけのつもりだったところに続きを促され、軽くうろたえる。自分は何か話し足りないのだろうか?

 まさか、やっぱり。

「言った通りなのか!?」

「いや、違うよ。違うんだけどさ、あんた魏光の話に、一応突っ込むだけは突っ込んだんでしょ?」

「は?」

「……まさか、鵜呑みにしたの?」

 そして、哀れみの目へ。


 上役の誰に取り入ったのとか。取り入ったのならばどんな手を使ったのとか。そもそもその話を誰から聞いたのとか。


 探すまでもなく突っ込みどころはいくらでもある。

 それを見なかったのは、どこか不自然な人事だったからだ。後宮警備からのいきなりの大抜擢。めったに聞かない女の従卒。だがそれ以前に。

「……嫉妬したんだよ、畜生!」 


「わあ、短絡的」

 とか、

「わあ、単純」

 とまでは、小玉は言わなかった。


「わあ、た……ううんなんでもないだれにでもあるかんじょうだとおもうのー」

 その半端な気の使いようが心に痛い。

「ていうかお前、上役に取り入ったんでなければ、どうやって出世したんだよ」

「えっと……これ、取り入ったって言うのかな……?」


~小玉抜擢概要~

1.後宮から逃げだそうとする不逞の輩を切った。

2.事件の担当である沈中郎将に報告した。

3.お手紙読んでもらった。

4.異動命令が出た。


「手紙って何だ」

 当然、そこが気になる。3と4の間に、深淵が横たわっているように思えてならない。

「あ、実家からの」

「何で」

「たまたま、誰かに読んでもらおうと思ってたから、あっちょうどいいなって思って」

 それは……。

「バッカヤロウだな、お前」

「知ってる」

 真顔の叔安に、真顔の関小玉。

 さすが沈中郎将閣下。馬鹿に対しても寛容であらせられると、叔安は感嘆していた。

「まあ、順当な出世ってやつだろうな、それは……ああ、ないな。不正なんてあるはずがないな」

 そう、考えてみれば、そんな人格者が誰かに取り入るような輩を身近に置くわけがない。したがって、関小玉の出世は妥当に決まっているのだ。自分はなんと愚かな考え違いをしていたのだろうか。

「いやさ」

 と、小玉は口を開く。

「あっさり考え変えられるのもなんだけど、そもそも、そこまで揺るぎなくあたしの不正人事を信じてたのに、なんで今更疑問持ったの」

「う……」

 叔安は言葉に詰まった。だが、言わない訳にはいかなかった。

「言い出したのがさ、光だったもんでさ……」

「あー、光」

「そう、光」

 沈黙。ややあってため息。

 魏光。二人の「元」同僚。誰にでも人当たりが良く、気の良い少年と思われていた。そして、

「いや、人間って見かけとか態度とかによらないよね」

「まさがあいつがとは思ったんだけどな……」

 小玉の手柄を横取りした張本人であったりもする。


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