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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
一章 ある少女
17/86

13

「……と、いうことがありました」


 帝都に帰還して、10日ほど経っていた。


 陣を立て直したあと、何度かの出撃があり、戦は実にあっけなく終わった。だがその勝敗は、実に曖昧なものだった。何となくこちらが優勢?という感じである。ろくに準備もしていない戦争なのだから、むしろ負けなかっただけありがたいというべきであろう。それで戦死した方はたまったものではないが。

 ただ1度の襲撃の後、小玉は武器を手にとって戦うようなことはなかった。だが、別の意味で戦いのように忙しかった。襲撃自体は決して被害が大きかった訳ではないが、その被害の大部分が後方支援の作業に従事する者たちであった。したがって、残った者にそのしわ寄せが及んだのである。先にも述べたが小玉は家政能力に関しては、本職の主婦ならばともかく、そこらの男連中には負けない。よって、一気に任される仕事の量が増えた。

 忙殺。そんな言葉がもっとも相応しい。関小玉15歳。敵の凶刃ではなく、野菜の皮むきに死すのかと真剣に思ったほどだった。結果、後方で「皮むきなんて無視し隊」及び「それでも我らは皮むき隊」の2派からなる分裂、熾烈な争い、そして友情の芽生えがあったことなど前線は知らないだろう。彼らの知らないところで、後方もまた戦っていたのである。ちなみに、その時仲良くなったおばちゃん士官こそが、この戦における小玉の戦友である。

 それほど忙しかったから、陳叔安に言われたことで落ち込むことはなかった。だが、落ち込みはしないが、なぜ陳叔安が怒ったのかということは、純粋に疑問で、時たま考え込んでしまった。本人はひそかに悩んでいるつもりだったし、事実共に働く者たちも、その生態上、人の悩み事には鋭いはずのおばちゃん士官たちですらも、小玉が悩んでいることに気づいた者はいなかった。また、陳叔安と関小玉の関係が更に悪化したことに気づく者もいない。元々が悪すぎるのだ。102の険悪が108の険悪になったとしても、他人にとってはどうでもいいことである。

 だが、沈中郎将は違った。戦場から帰り、戦後処理が一段落つくと、小玉を呼び出して言った。

「何か悩んでいるのならば言え」

 気づかれてしまった。

「……」

 小玉は隠せる気がしなかった。 本当は自分で解決しようと思っていた事柄だったが、こうなった以上は仕方がなかった。

 小玉が語り終えたると、沈中郎将は言った。

「それならば、私も見ていた。あれは良く戦ったな」

 褒められた。だが、その事実は小玉の心を浮き立たせない。

「……あたしは、あそこで首を刈るべきだったんでしょうか」

「それを決めるのはお前だ。首級をあげるべきだったと思うか?」

「いえ、全然」

 首を取ろうとしていたら、多分自分は他の兵に殺されていただろう。

「だろうな。ならば何故、叔安が怒っていたかわかるか?」

「横取りに対して怒らなかったから……」

「そうだな」

「ですが中郎将さま」

 小玉は声を上げた。

「あたしは、それを横取りじゃないと思うんです」

 それこそが、小玉の悩んでいたことだった。小玉は敵の体を完全に放棄した。放棄したものを誰がどうしようと、放棄した人間がどうこう言える問題ではない。

 むしろ、そんな激戦区の中で首を取るために、一瞬でも無防備な姿をさらそうなどという勇気を発揮した人間こそが、首を持っていくにはふさわしいのではないかと思う。

 語り終えると、沈中郎将はしばし考え込んでから口を開いた。

「小玉。お前は寮に住んでいるな?」

「は?……はい」

 あまりにも唐突な質問に、裏返りかける声を必死におさえた。

「ごみは出るか」

「ええ、まあ」

 むしろ、ごみの出ない生活ってありえるのだろうか。いや、この方なら実践できてそうで、少し怖い。

「お前はそれを、指定通りに焼き場で燃やすだろう?」

「はい」

 まるで関係なさそうな質問。しかし、沈中郎将は最後にこう言った。

「ところが、塵を焼かず、焼き場に放り投げておくだけの者がいたとする。それを猫や烏が荒らして、一帯が散らかってしまった。後から来た者はどう思うだろうな?」

「あっ……」

 小玉は口を手に当てた。沈中郎将の言わんとすることが、わかった。沈中郎将はなおも言葉を続ける。

「相手には何かやむを得ない事情があったのかもしれない。しかし、捨てた塵を猫や烏が食い散らかすのは仕方がないと言って、反省の態度を見せなければお前はどう思う?」

「ああ……はい、わかりました。すごくわかりました」


 手柄に執着しないのは美徳である。だがそれは、上げた手柄を放棄する理由にはならない。放棄した手柄を誰かが横取りする。すると、横取りするようなろくでもない輩が出世し、人の上に立つのだ。それは長い目で見れば、軍全体に悪影響を及ぼす。

「だから、手柄は立てた本人に帰属させなくてはならない」

「はい」


 もっとも、実際の問題は塵のたとえよりも複雑だ。散らかった塵は掃除をすることができるし、猫や烏は追いはらってしまえるが、戦の場合はその限りではない。様々な利害と派閥関係が混じり合って、正道を貫くことが生命を脅かすことさえある。小玉にも、沈中郎将にもそれはわかっている。

 陳叔安にしろ、戦っている最中で首を取ることが不可能だったことくらいはわかっているだろう。そして、今更、あれは自分の功績だと名乗り出ることは難しいことも。陳叔安の場合、目撃者として小玉の代わりに抗議の声をあげるくらいはしそうではあったが、今回それを為さなかったのは、おそらく事態が拗れることを怖れた直属の上司に止められたからだろう。沈中郎将はそう言った。

 どうあっても、異議の申し立ては出来ない。だが、略奪されたという理不尽を、感情の上で許さないということは出来るのだ。だから陳叔安の怒りは、出来ることをしなかったことに対するものだ。

「叔安に謝ってきます」

「そうか」

 沈中郎将は手を伸ばすと、小玉の頭を撫でた。


「ところで、横取りさせるのが駄目ってことは、立てた本人が手柄を誰かに譲るというのは?」

「時と場合によるな。だが、放棄するよりはましだ」

 

 話がまとまったところで、沈中郎将が不意に居住まいを正した。

「ところで小玉」

「は、はい」

 その妙な迫力に、小玉は気おされる。何を言われるのだろうか。自分は何かやっただろうか。そんな不安を瞳に宿し、沈中郎将を見つめる。

「私は……どうやら、異動することになりそうだ」

「え……」

 全然予想していなかった事だった。

「えーと、どこにですか?」

「まだ出来てはいないが、新設される軍にということになっている」

 それは……。

「お……めでとう、ございます?」

 新しいという事が良い事であるとは限らない。小玉はそれが栄転なのかそうでないのか、まるでわからなかった。疑問系の言祝ことほぎという、貰っても嬉しくないであろうものを受けた沈中郎将は、注意しなかった。苦笑いを口元に浮かべている。どうやらこの人事は、小玉の言祝ぎ同様、微妙なものであるらしい。

「そこで、だ。小玉」

「はい」

「お前は連れて行かない」

 小玉は絶句した。


 なぜ、という疑問を発する前に、沈中郎将は淡々と説明した。


 今回の戦いを受けて設立が決まった軍は、隣国・康との国境付近の防衛を目的とした守備軍である。したがって、とてつもなく辺鄙なところに設置される。新設の軍、しかもほとんどが錬度の低い兵で構成されるため、全体の統制を取るのは難しい。しかも、女性が皆無である。そこに小玉を連れて行くのは危険である。異物に対して人間は過敏に反応する。兵が落ち着かないことにより、練兵に支障が出る可能性が高い。

「士気の問題だ。だからお前には残ってもらう」

 小玉は呆然と沈中郎将を見つめた。完膚無いまでの正論だった。そんなことない、と抗弁できるはずもない。

「お前のことは、武威ぶい衛の王将軍に頼んである。安心しろ、信頼できる方だ」

 そんなことはどうでもいいと言いたかった。子供のように駄々をこねたかった。自分も連れて行ってくださいとわめきたかった。

 だが、そうすれば迷惑を被るのはこの方だ。

 それでも堪えきれない感情が、漏れ出る。

「あたしは……邪魔ですか?」

「そうなるな」

 泣くな。

 小玉は奥歯を噛みしめた。変な希望を持たせようとしない、これは沈中郎将の思いやりだ。自分がそう思いだけかもしれないが、少なくとも「邪魔ですか」などと困らせるような質問をする小玉よりは、ずっと誠実だった。

 きっと、もう会えないのだと思った。

 小玉と沈中郎将の地位は、水たまりと湖くらいかけ離れている。従卒のように直接仕えているからこそ毎日のように顔を合わせているのだが、本来ならば目通りすることは滅多にない相手だ。ましてや、所属する軍が変わってしまった日には……明日小玉が結婚するという話の方がまだ有り得る。

 出会ってまだ1年にも満たない。恋を自覚して、半年。自分の恋は叶うことなく終わるだろうと思っていたが、まさかこんなにも早く、あっさりと終わってしまうとは思わなかった。終わるのは良い。だが、せめて。

「あ、あたし……」

「小玉」

 一言、名を呼ばれただけで、言葉を封じられた。

「それは、言わなくて良い」

 何をとは言わない。だが、小玉にはわかった。沈中郎将が自分の気持ちを知っていて、そして当然のことだが応える気がないということを。

 深く俯いた。視界が滲む。ちくしょう。

 涙腺に悪態をついた。


 言ったとしても振られることはわかっていた。だが、言って振られるよりも、何も言わせてもらえずに振られたことの方がずっと辛かった。

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