幕間〜名も伝わらない少年の独白
今日の彼女は、明らかに精彩を欠いている。少年が時折視線をやる先には剣を持った少女。彼の仲間の一人である彼女の名は関小玉という。
少年が彼女と出会ったのは、つい数ヶ月前である。沈中郎将の従卒として彼女を紹介されたとき、率直にいって羨ましかった。沈中郎将はやたら人望がある上に、地位も高い人なのに、なぜかこれまで従卒を持とうとしなかったために、多くの者がその座を目指していた。少年も例外ではない。それをぽっと出のよそ者に奪われたのだから、あまりいい感情を抱けなくて当然といえる。
だが、少年も所詮年頃の「オトコノコ」であった。ずっと同性に囲まれて、近い年の異性とは会話をすることさえなかったのだから、そこに一人現れた少女が気になるのは仕方がない。たとえそれが、娘とは思えないほど短い髪をした、大して可愛くもない女の子であってもだ。
そんな気になるあの子は、性別以外でも結構気になる人間だった。まず、やたら武術の上達が早いという点で。次に、性格で。
ここに陳叔安という人物が登場する。最も年嵩だということがあってか、彼は稽古仲間の中で最も腕の立つ奴だった。
大体予想がつくと思うが、小玉は初めての手合わせの時、そんな陳叔安に快勝してしまったのである。
陳叔安は年下の少女相手ということで、多少油断していたのであろう。また、小玉は年上の少年相手ということで、全力でかかっていったのかもしれない。しかし、それを考慮したとしても見事な負けっぷりであり、また勝ちっぷりであった。
陳叔安は常日頃から己の腕と年齢を頼みにして偉そうだったが、小玉はその鼻っ柱を折ってしまったのだ。それはもう根本から見事にバッキリと。以来、陳叔安は小玉への隔意を隠そうとしなくなった。
最初は傍観していた少年だったが、それが続くとさすがに関小玉が心配になる。ある日会話をかわしてみると、
「や……そりゃ、気になりはするけどさ、特に困ってはいないよ」
特に堪えていなかった。
「嘘だろ……」
あそこまであからさまに嫌われているというのに。
「本当だって」
関小玉にしてみれば、陳叔安は小玉を嫌っているが、嫌がらせをしようとはしないし、仕事の上でも先輩として、聞けば教えてくれるらしい。一々嫌みったらしいが。
それ以前に、そこまで嫌われてる相手に仕事のこと聞くなんて蛮行、普通はやらないものである。
「いやだって、近くに奴しかいなかったから……」
「にしたって……」
だから小玉は、陳叔安のことはあまり好きではないが、それなりの敬意を彼に持っている。
「やー、偉そうにしてるだけのことはあるよね!」
なんかその感心の仕方、間違ってると少年は思った。
「でもさ、今のところあたしから働きかけても、多分関係改善しないよ?」
関小玉にしてみれば、男の面目を潰してしまったかなという気はするが、意図してやった訳ではないし、全力を尽くして勝った以上、自分に悪いところはない。だから謝ったことはないし、多分謝れば事態がもっと悪くなるだろうと思っているのだという。一応きちんと考えてはいるのだなと少年は思い、以降陳叔安とのことについては触れないことにした。
この時の会話がきっかけで、少年は関小玉と徐々にうち解けていった。陳叔安は少年が関小玉に近づいていっても手前勝手にそれを止めようとはせず、なるほど案外に公正なんだなと少年は感心した。関小玉に言われなかったら、ただの偉そうな奴としか思わなかっただろう。
そして少年は関小玉と親しくなり、その人柄に触れれば触れるほど惹かれていった……ということは全然無い。触れた人柄が嫋々(じょうじょう)とか繊細とかだったりするならばそういうこともあったろうが、関小玉を一言で表現すると『飄々(ひょうひょう)』である。こいつ女としてこれでいいのかという気持ちが強くなっていくばかりであった。
少年より先に関小玉と親しくなった者たちの中には、一部、
「女だと思うからいけないんだよ」
「ていうかお前、まだあいつのこと女だと思っているのか」
とぬかす者もいたが、大半の者は苦笑いで同意した。そんな風につかみ所がない人間のはずだったのだが……。
今の関小玉の状態は、とてつもなく掴みやすい。超調子悪い。
関小玉は溌剌という感じの人間ではないが、消沈という言葉とも縁がなさそうな少女である。決して落ち込んだり反省しない訳ではないが、根っこの部分まで痛めつけられることはないだろうと、安心して見ていられるところがあった。しかし、今の彼女は見ていて安心できるところが少しもない。とてつもなく心配である。
短い付き合いとはいえ、こんな彼女を見るのは初めてだった。とても心配だった。後で声をかけよう。そうちらちらと彼女の方に目をやる。すると、陳叔安が彼女にズカズカと歩み寄っていた。
「腹具合が悪いんだか何だか知らねえが、調子悪いなら帰れ! 迷惑なんだよ!」
お前、それは無いだろう!
さすがに呆れた少年だったが、言われた当の本人は、
「うん……心配してくれてありがと」
(そこでお礼言っちゃうの!?)
(無敵に前向き!)
(それ超皮肉じゃない!?)
(だから嫌われるんだよお前!)
などという心の声が、周囲から聞こえてくるのを少年は感じた。いや、自分も全く同じことを思ったもんで。
当然、陳叔安は怒った。
「はぁ!? 心配なんてしてねえし! 馬鹿にすんじゃねえよ!」
そう言って立ち去って行ったが、そもそも調子悪そうな関小玉を放っておかないあたり……。
誰かがぼそりと呟く。
「あいつって、絶対天邪鬼だよな……」
声には出さなかったが、少年は心の中で激しく賛同していた。
……まるで走馬燈のように過去の記憶が頭をよぎる。視界はまるで振り回されているかのように目まぐるしく変わる。目に空が一杯に写し出された時、少年は自分の首が宙に舞っているのだということを理解した。
「ように」ではなく、本当に走馬燈だったらしい。
一瞬、関小玉の姿が見えた気がした。目をこらそうとした瞬間、視界が激しく揺さぶられた。
自分の首が地面に落ちたのだと認識することもなく、少年の意識は闇に覆われた。