表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある皇后の一生  作者: 雪花菜
一章 ある少女
12/86

 睡眠時間を削ってまで悩んだ小玉は、夜が白む頃になって結論を出した。

 悩んだってなんだって、自分が沈中郎将に恋をしている事実は変わらない。ならば事実を受け入れる以外、できることは何もないのだ。

 小玉はこと悩み事に関しては、短期集中・決戦型を以て鳴らした女である。しかし、得た結論がそれだけというあたりで、一晩という時間を長いと感じるか短いと感じるかは人によるだろう。

 事実を受け入れたからといって、小玉は別に沈中郎将に猛攻をかけようという気にはならなかった。かけたところで、相手が応えてくれる望みなどカケラもないからだ。それは相手が宦官だからということ以前の問題で、あそこまで申し分のない人間が小玉に恋をする可能性など、万に一つもないように思えたからだ。自分を卑下する以前の問題だ。

 沈中郎将に恋をしているという事実を割とすんなり受け入れられたのは、このことが大きい。未来がない恋なので、未来を思い悩む必要がないからだ。

 あの方の側にいれる限り想っていこう。小玉の心中はきれいにまとまっていた。

 

 が、体はそれについていかなかった。


 睡眠時間って、すごく大切だよねーと思うのはこういう時である。

 小玉は貧しい村の出で、自身も貴重な労働力として日々働いていた。だから(ぜい)(じゃく)とはとてもいえないし、多少睡眠時間が足りないくらいで仕事に差し障りがでるほどひ弱ではない。しかし、己の力を出し尽くして鍛錬に励むとなれば話は別である。

 稽古の合間の小休止。小玉は己の愚かさを呪いながら、空を見上げた。目を刺す日差しが憎い。

 ……太陽にしてみればとんだ八つ当たりであるが。

 そこまで体力的に限界なのにもかかわらず、小玉は立ったままだった。なぜなら、座り込んだらそのまま燃え尽きてしまいそうだったからだ。

 あたし、恋する乙女のはずなのに、なんでこんなに荒んでいるんだろうと小玉は思った。恋愛がこういう形で心の余裕を失わせるとは知らなかった。

 ぼーっとしていると、稽古仲間の陳叔安が色々と心配してきた。うんまあ言われてみれば確かに迷惑だし……ということで、今日は帰らせてもらうことにした。何かしら罰則をくらうかと思ったが、陳叔安が色々と口添えしてくれたおかげで(注:小玉主観)、わざわざ付き添いまでつけてもらえた。途中退場の理由が限りなく私事によるものなので、なんだか心苦しい。

 付き添ってくれる少年の名はこうという。小玉が異動してきた直後から何くれと世話をやいてくる、誰に対しても人当たりの良い少年だ。その彼が吐き捨てるように言った。

「あいつ、本当に性根が悪い」

「誰?」

「誰って……叔安だよ」

「そう?」

 魏光はまじまじと小玉を見た。

「君、心広いな。あいつ、さっきも老師せんせいにあんなこと言って」

「そうでもないよ」

 ああいう人は見慣れてたからとは言わなかった。

 陳叔安は母に対する父方の祖母の態度そっくりなのだ。今は亡き祖母は、近隣の誰よりも嫁いびりしてているようでいて、全然いびってない姑だった。善意が逆に見える不器用な人だったわーと母はよく言っていた。

 もちろん小玉は、陳叔安の言動が全部善意によるものだとは思わない。祖母と母との関係とは違い、自分は明らかに叔安に嫌われているからだ。だが彼は、理不尽なことはできない人だということはなんとなくわかる。

 根拠があまりない上に、うまく説明できないのが辛いところだった。


 翌日。沈中郎将に伺候していると、厳しい顔つきで言われた。

「体を壊したと」

「あ、はい。でも大した事じゃないです」

 寝不足由来の体調不良なので、睡眠さえ取れば回復する。昨日は部屋に戻った後ぐっすり眠ったため、小玉はあっさりと本復していた。

 見た目からして小玉は不調には見えないだろうに、沈中郎将は念を押す。

「本当か」

「はい」

「そうか……ならばいい」

 え、もしかして心配してくださってる?というときめきは、

「だが不注意極まる。体調は常に最高の状態を維持しろ」

 厳しいがあまりにももっともなお言葉であっさりと消えた。すみません。自分、浮ついていましたと、小玉は猛省する。

「反省してます」

「職務上の義務だ。いざ戦うとなった時に、体調不良で戦えませんでは話にならん」

 小玉は、「はい」としか言えない。

 沈中郎将はここで少し言葉を途切れさせると、感情を含まない声で言った。

「……近々、戦がある」




 天鳳(てんほう)元年。

 この年が歴史的にどのような意味を持つのかといえば、後に天鳳帝と呼ばれる第49代皇帝・そうが即位したことが挙げられる。それに何かを加えるとしたら、この皇帝が行った度重なる派兵の第1回が為されたことくらいだろう。あまり重要な年ではない。

 もっとも、この天鳳帝の在世中、歴史的に重要なことが起きた年はほとんどない。したがって彼は、後世多くの人間に、「へー、そんな皇帝いるんだ」と言われる。

 とはいっても、天鳳帝前後の皇帝は大体皆、同じようなことを言われるのばかりが揃っている。例外は天鳳帝の2代後の徳昌帝くらいなのだが、彼自身、皇后の方が……いや、皇后「が」有名という御仁(ごじん)である。基本的に影が薄い皇帝が揃った時代だった。


 そんな天鳳帝は、影が薄くはあるが、良い皇帝か悪い皇帝かを問えば、間違いなく悪い皇帝という答えが得られる人物である。

 天鳳帝を簡単に説明するならば、「実力を伴わない野心家」である。

 毒にも薬にもならなかった先帝を父に持つ彼は、そんな父親に反発し、意欲的に国政に取り組んだ。それ自体は真に結構なことである。また、天鳳帝は決して無能な人間ではなかった。

 無益極まりない派兵を繰り返してなお、歴史に悪い意味で名を留めなかった彼は、内政に関してはそこそこの手腕を振るった。能力がないわけではなかったのだ、本当に。

 問題は天鳳帝が見る目を持っていなかったことである。物事の大局を見る目、時機を見計らう目、自分の才能を正確に見定める目……彼は持てる才能を叩きつぶしてあまりあるほど、これらのものを持ち合わせていなかった。そしてそれをまるで自覚していなかった。

 天鳳帝の時代、この宸帝国は二つの国と接していた。「かん」と「こう」である。天鳳帝は即位直後から、自国がまだ大して落ち着いていないというのに、他国の領土に色気を示した。そして、腹に一物ある者も巧みにそれをあおった。

 かくて、先帝の死からまだ半年も経っていないというのに、派兵が決定されたのである。むろん、この派兵は歴史的に重要な意味を持つ結果には終わらなかった。


 だが、行かされる当事者にとっては、とんでもない大事である。


 小玉はおずおずと尋ねた。

「中郎将さまは、行かれるん、ですよね?」

「ああ」

 予想通りの返答に、小玉はこくりと唾を飲んだ。

「というと、当然あたしも……」

「むろんだ」

 光あるところに必ず影あるように……というほどではもちろんないが、従卒は仕える主に付き従うのが常識である。

「覚悟をしておけ。遺書を残しておきたいのならば代筆してやる」

 小玉は身震いした。沈中郎将の親切と断言するにはちょっと内容に問題がある提案を、受けるかどうか検討する余裕はなかった。

 率直に言おう、怖い。もしかしたらいつかはと、思っていた。だがいざ行くとなると、やはり怖い。もしかしたら死ぬかもしれないということ。そして、人を殺すかもしれないということ。

 初めて人を斬った感触が生々しく手に蘇り、ぎゅっと握りしめた。自分はまたあれを経験するのか。

 ぞわりと背中になにかが走る。心もとなさに目が泳ぎ……自分を見る沈中郎将に気が付いた。見通すような眼差しだった。

 すっと頭が冷えた。そう、もう行くことが決まっているのだ。うろたえてどうする。ならばすべきことは……。

「お願いします」

 小玉はきゅっと唇を噛みしめると、深々と頭を下げた。身辺整理の一貫として、確かに遺書は外せまい。

「今、書くか?」

「はい」

「何と書く?」

「ええと……」

 遺書の文面を練りながら、ふと、小玉は気づいた。戦に対する怖れを感じても、「拒む」という選択をまるで思い付かなかった自分に。思い付いて拒んだところで行かずにすむ訳はないのだが。

 自分はもう戻れないところに来ているのではないか、この時小玉は初めてそう思った。


 戻れないとしたら、自分はどこへ行くのだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ