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ある皇后の一生  作者: 雪花菜
一章 ある少女
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 一天万乗の天子の死。それは、国家が大きな変化を迎えるということを示す。

「そりゃー大変」

「次、どなたなのかしら」

 ……が、それは彼女たちの心を、激しく揺さぶるものではなかった。

 周囲の人間も、二人の反応に対して冷淡だのなんだの言うことはない。下っ端にとっては、皇帝の代替わりなど世間話の材料程度でしかないのだ。特に、昨夜死んだばかりの皇帝のような、毒にも薬にもならないような人間が皇帝だった場合には。願わくば自分たちの生活に悪い影響が出ないよう、何事もなく代替わりが済んでくれとただ祈る程度である。


 だが、今回の場合、すでにもう影響を及ぼされていることがあった。

「あ、そういえばさ、今日の夜の事だけど……」

 誰かが言い出したことに、皆が「あっ」と声を上げる。しばらく顔を見合わせると、皆が思案げな顔をして言った。

「さすがに……まずいわよねえ」

「無理ね」

「飲めないわね」

「さすがに、大家がお隠れになった直後は、ちょっと」

「うん……下手すればとっ捕まるから」

「ですよねえ……」

 かくて、今晩予定されていた小玉の歓送会は、満場一致で中止と相成ったのだった。

 最後の最後でこれかいと、小玉は幸先の悪さに、ちょっと遠い目をした。


 翌日、小玉は阿蓮と簡単に別れの言葉を交わすと、送ってくれる者の後について、荷物を担いでえっちらおっちらと異動先へと旅立った。

 旅立ったといっても同じ敷地内なのだが、ここは皇帝の住む宮城である。「同じ敷地内」という表現がなにかの冗談に思えるくらい広い。敷地内移動ですら「旅立つ」という表現が似合う、珍しい場所である。

 なお、「ここから○○歩先便所」などという親切な標識はもちろんない。小玉をわざわざ送ってくれる人がいるのも、別に小玉に限った話ではなく、異動する者全員にとられる措置である。迷って当たり前なのだから。

 やがて、異動先の衛が管轄する場所に入ると、小玉を連れてきた相手は手近にいる者を捕まえて、小玉を引き渡した。

「あとは、こっちの方で連れて行くから」

「じゃあ、私はこれで……」

「はい、どうもありがとうございました」

 送ってくれた相手に、小玉は深々と頭を下げる。相手は「達者で」と言うと、軽く手を振って立ち去っていった。小玉はその背を見送りながら、これでまた見知らぬ人間に囲まれる生活が再び始まるのだと思った。そんな小玉に声がかけられる。

「来な。宿舎まで行くぞ」

「はい」

 小玉は、言い出すなりさっさと歩き始めた男の背中を追い掛けた。相手の歩幅が大きいので、自然小走りとなる。ずり落ちる荷物をよいしょと背負いなおすと、振り返った男が「持ってやる。よこせ」と言って、小玉の荷物を片手で持った。

「荷物少ないなぁ、お前」

「あまり、物持ちじゃないんで」

 元々実家から持ってきたものは少ないし、衣食住は官給品でほとんどこと足りる。そのため、小玉が、この1年で買ったものは極めて少ないかった。せいぜい、私服1着とたまに食べる干し芋とか木の実くらいである。それ以上のものを買うだけの給与は貰っていたが、将来のことを考えると消費より蓄財に傾くのは当然のことといえた。

 男はさらに尋ねてきた。

「お前、何でここに来たんだ?」

 それはむしろ小玉の方が熱烈に知りたい。

「わかんないんです。ここでどんな仕事するのかも、全然」

 なるようになるとは思っていても、やはり多少は不安に成る時もある。へにゃ、と眉を下げると、相手はそれ以上追求せずに、

「ほら、これやる」

 なぜかアメをくれた。いつも持ち歩いているのだろうか、この人は。それより、このアメやたらと大きくて、拳骨くらいあるのだが。

 小玉は後で砕いて食べようと、アメを大事に懐にしまい込んだ。

 そうこうしていると、やがて平屋の建物が見えてきた。あれかな、と思いながら前を行く男の背を追い掛けていると、

「ほらよ、ここだ」

 案の定、建物の前で立ち止まった男がそう言い、荷物を手渡した。

「ありがとうございました! アメも大事に食べます」

 宿舎に入り、中にいる人に声をかけて事情を説明する。しばらく待つと、年配の女性がやってきた。宿舎の管理をしている人なのだろうか。

 小玉が来ることはきちんと伝わっていたらしく、怪訝そうな顔をされることもなく中に通された。もう少しで自分の部屋に入れる。そうしたら一休みして荷ほどきをしようと思ったのだが、

「あなたが来たら、すぐ来るようにと沈中郎将閣下が」

「へ!?」

 荷ほどきどころか、一休みさえする暇はなかった。慌ただしく荷物を部屋に放り込むと、小玉は部屋まで案内してくれたおばちゃんに、沈中郎将の元まで連れて行ってもらった。なんだか今日、誰かの尻を追い掛けることしかしていないような気がする。




「久しいな」

 沈中郎将は相変わらず性別不詳の端整な顔をしてらっしゃった。相変わらずといっても、以前会って3ヶ月も経っていないので、変わっていなくて当然なのだが。

「はあ、どうもお久しぶりでございます」

 小玉がぺこりと頭を下げると、沈中郎将は急く口ぶりで言った。

「大家がお隠れになったため、忙しい。本題に入る」

「……はい」

 そういえばそうだったと、小玉は皇帝の崩御を思い出した。不敬極まりないが、今日は引っ越しに神経を尖らせていたせいで、そのことをすっかり忘れていた。言い方を変えれば、忘れられるくらい小玉を取り巻く環境に緊張感がなかったと言える。アメくれた人もいるし。

 結局、兵卒にとっては皇帝の死はあまり大きな衝撃ではないのだ。長い歴史の中ではその死にあたって「泣かぬものなし」と言われる皇帝もいるのだから、皇帝全般の死がそうであるとは言い難い。だが、「ことごとく躍り上がって喜ぶ」と言われた皇帝よりはマシであるのも事実だ。

「お前には、これから私の従卒をつとめてもらう」

「はい」

 やっぱりそれだったのかと、小玉は内心安堵した。自分にできそうな仕事はそれくらいだから、多分そうなるのではないかと思っていたのである。しかし、わざわざ自分を異動させてまでその仕事に従事させる理由が見つからなかったのも事実だ。もしかしたら、まったく違うとんでもない仕事をさせられるのではないかと思ったりもしたのだが……そうならなくて、よかったよかった。

「あとのことは、この者に聞いてくれ。暁生ぎょうせい、任せる」

 沈中郎将はその隣に立つ男を示した。それで話は終わりだった。

 本当に忙しいんだなあと思いながら、暁生と呼ばれた男に促され、小玉は部屋を退出しようとした。

「ああ、ちょっと待て」

 呼び止められ、小玉は振り返った。沈中郎将は真顔で尋ねてきた。

「その後、実家から手紙は来たか?」

「はっ……」

 あまりに不意打ちな問いに、小玉は大きく口を開けた。

「お前の兄の子は……まださすがに生まれてはいないか。経過はどうだ?」

「あ、はい、順調そうです」

 義姉の腹の子は、そろそろ6ヶ月になっているはずである。

「そうか、それは良かったな」

 と言うと、微笑んだ。そこまでは良かった。

「次に手紙が来たら持ってきなさい。読んでやろう」

「いや、もう……どうか忘れてください、あの、もう!」

 小玉はちょっと泣きそうになりながら叫んだ。なにかのイジメなんだろうか、これは。


 だが小玉は、数ヶ月後には「本人が良いって言ってるんだから、いっか」と驚異的な適応力を発揮して、堂々と手紙を読んでもらっている自分がいることを知らない。

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