逃走
男が走っている。大通りの人ごみをかきわけ、必死の形相で駆けて行く。
続いて憲兵が3人、その男を追っているのだろうか。軽装とはいえ鎧に身を包み、剣を携えている。
パレードにわき上がる群衆には彼らなど目に入るはずもない。大人も子どもも皇帝、皇妃、そして新しい皇子を一目見ようと通りに溢れ出している。さながら凱旋パレードのような盛り上がりである。
男は逃げ続ける。手には小型のスロスボウが握られている。男は後悔と焦りで混乱した頭で必死に考える。「マズイ!マズイ!マズイ!完全に失敗だ!このままでは捕まるのも時間の問題だ。なにか!なにかないか!奇跡は起きないのか!」
そのときだ。男の目は人ごみから裏路地に入って行く子どもの姿をとらえた。黒髪の男の子が一人、続いて赤毛の女の子が一人、商店どうしの間にある細い通路に駆け込んで行った。男は直感的にその子たちの後を追う。裏通りは入り組んでいる。子どもたちを見失わないよう、右へ左へ曲がりながら懸命に後を追う。すると、彼らは突き当たりの骨董商、その半地下の店内へと消えて行った。
男は一瞬ためらうものの、悩んでいる場合ではないことを思い出し、店先の階段を下りると薄暗く埃臭い店内へと足を踏み入れる。店には誰もいないようだ。
「不用心だな、さて、あの子たちはどこへ行ったのだろう?」
男が店の奥に進むとカウンターの向こう側に扉があり、半開きになっている。彼らはどうやらそこから出て行ったらしい。男はそこから漏れる光に誘われるように扉を開き、ペイジンストリートへと足を踏み入れる。
「クソッ、あの野郎どこ行きやがった。」
男を追う憲兵の一人が忌々しそうに声を上げる。そのとき別の道を捜索していた憲兵がやってきて報告する。
「オイ、やつはこっちだ。ジョージが骨董商の中に入るのを見たらしい。」
「ジョージはどうした?」
「先に追いかけてるよ。俺たちも急ごう。」
男は不思議な感覚にとらわれていた、まるで夢を見ているような。骨董商の裏口を抜けた瞬間、まるで異世界に迷い込んだような錯覚に陥った。建物はどれも3階以上の高さで壁のように高くそそり立ち、上階どうしをつなぐ橋のようなものも見える。細く入り組んだ路地は石畳で丁寧に舗装され、ところどころ噴水を備えた広場のような場所もある。そしてそれらすべてが家々の隙き間をとおして射し込む光に映し出されて、美しく輝いていた。住人たちはパレードを見に行ったのだろうか?どこを見ても人影はない。かすかにパレードの音が流れてくるばかりで、あたりは静まりかえっている。
「ここはなんだ?ほんとに奇跡が起こったのか?」
男はしばし、ここに入った目的を忘れていた。
遠くで鎧の擦れ合う音が聞こえる。男はハッと我に返ると再び走り出した。子どもたちの姿はもうどこにも見えない。仕方なく適当に当たりをつけて角を曲がってみる。再び不安と焦燥が心を支配し始める。男はそれを振り払うかのようにもう一度角を曲がった。
角を曲がるとその先は十字路であった。そして真ん中の道は行き止まりだ。よく見ると行き止まりの暗がりに見知らぬ男が立っている。手招きをしているようだ。逃走者は訝しがりながらも男の方へと近づいて行くのだった。
合流した憲兵たちもこの不思議な町に戸惑っていた。
「オイ、こんなところ知ってるか?」
「イヤ、はじめてだ。」
「これ以上探すのは無理じゃないか?一回戻って応援を呼んできた方が……」
その時、話し合いをさえぎって背後から、少ししゃがれた野太い声が響いてきた。
「おぅ、憲兵がこんなところでなにしてやがる!『応援を呼ぶ』だぁ?ふざけんじゃねぇぞ!」
彼らが振り返ると身の丈2mにもとどこうかという大男が、これまた1mをこえる刀を携えて立っている。
憲兵は反射的に抜刀する。
「貴様、帝国警邏隊に盾つくつもりか。」
「チッ、テメェらこそ実力わきまえて物を言いな。その鷹の紋章、第十一分隊だろ?『用心棒のジョーさん』を知らんとは言わせねぇ!」
ジョーは不敵な笑みを浮かべる。憲兵はその名を聞いて明らかに緊張したようだ。一人が震える声で虚勢を張る。
「あんたがどんだけ強いか知らないが、三対一だ。大人しく引き下がれ!」
ジョーはこのやりとりにイラついてきたようすで吐き捨てるように言った。
「だからどうしたよ?お前らは俺たちのテリトリーで剣を抜いた。選択肢はねぇ。死ね!」
二人の憲兵には何がおこったのかわからなかった。「死ね!」という怒声とともに大男は目の前から消え失せ、頭上から赤い雨が降ってきた。そして、次には目の前の石畳にカラン、と音を立てて何やら丸いものが落下した。足下に転がる首なしの死体を見てもなお、彼らは仲間の死を認識するのに実に数秒を要したのだ。
「全く、予想以上の雑魚だな。」
背後から、また、あの声がする。二人は仰天して振り返る。あの男が立っている。抜刀した刃からは鮮血が滴っている。あんな大きな刀でどうやったらあそこまで速く動けるのか、ジョーの剣術は彼らの想像を遥かに超えているらしい。彼らは逃げられないと悟り腹をくくる。剣を構えジョーと対峙する。
「ほぉ、ちょっとは根性あるねぇ。けど、俺は殺しに時間かけるのはあんま好きじゃないからな。」
ジョーは刀を正眼に構えると一気に踏み込んだ。相手が反応する前に一人をのど元から脳天にまで貫き通し、そのまま数メートル突き飛ばす。残りの憲兵はこの隙に背後に回り込み、がむしゃらに切りかかろうとした。
「しゃらくせぇ!」
ジョーは振り向きざま、返す刀で力任せに切り伏せる。憲兵の体は右の肩口から鎧ごと二つに叩き割られた。絶叫とともに彼は崩れ落ちる。断末魔の叫びがあたりにこだました。
逃走者は何者かの叫び声を耳にする。ただ事ではない、ということはわかった。謎の男が口を開く。
「ジョーさんだな、きっと。おめでとう、暗殺者さん。追っ手はみんな死にましたよ。」
男は人懐っこく逃走者に笑いかける。逃走者は答える。
「あの、状況が飲み込めないのですが。あなたは誰ですか?なぜ私のことを知っているような口をきくのですか?」
「私ですか?私はあなたに力を与える者です。あなたは今奇跡の中にいる。この町に迷い込んだのも、追っ手から逃れられたのも、そして私にあったことさえ奇跡なのです。あなたをお待ちしておりました。いえ、正確には奇跡的にここにたどり着くであろう誰か、を待っていたわけです。」
「それで私にどうしろと?」
「答えはこの扉の向こうに……。」
そう言うと男は突き当たりの小さな扉を指差した。男は続ける。
「あなたは目的達成のためには手段を選ばない、という覚悟でしょうか?たとえ我が身が滅びようとも任務を遂行する、という決意がありますか?」
逃走者は答える。
「もちろんです。私は一度失敗してしまった。もう失敗は許されません。」
「いいでしょう。」そう言うと謎の男はノックもせずに扉を開けると、こう言い放った。
「ルクレツィア!サラマンダーを呼び出せ!」