憂鬱
クロードは憂鬱だ。この一週間勉強も剣術修行も手につかない。
「これは由々しき事態だな。」
小声で独り言をつぶやいてみる。
クロード・オレフィス・ガルダン、世界最大の帝国セイディエスの第一皇子。申し分のない身分に生まれ、なに不自由なく暮らしてきた。金髪碧眼の中性的な顔立ちにスマートな体つき、11歳とは思えないほど大人びた言動はそれだけで周囲を期待させるものがある。すでに将来帝位につくことを自覚し、常にそのことを意識した行動を心がける、という少々出来すぎた皇子ではある。
表向きは完璧な皇子。だが、そんな皇子には悩みがある。
弟が生まれるのだ。もしクロードが皇帝ファビオ一世とその皇紀サルドの子であったならこのような問題は起きなかっただろう。今度生まれる第二皇子ルイは皇帝と皇紀の子、一方クロードは皇帝と第三妃マリアの子である。ただ、これだけで継承権がルイに移るとは限らない。現状だけ見ればクロードが帝位を次ぐ方が自然であろう。後は「今後の行い」がすべてを決めることになる。
「ご機嫌はいかがですかな、クロード様。」
物思いにふけっていると背後から声がする。振り返ると宰相のグァンリー・ウェイが立っている。
彼はこの国始まって以来の天才と呼び声高い。弱冠23歳の若さで宰相の地位に就いて以来、20年以上国政のトップとして辣腕を発揮し続けている。白髪まじりの短い黒髪と整えられた口ひげ、モンゴロイド系の顔立ちで温厚な目をしている。彼はいつも華服という変わった着物をきている。今日も暑くなるのを見越してか風通しの良さそうな生地の白い華服を身にまとっている。
クロードの顔が曇っているのを見て取ったのかウェイは続けた。
「お見受けしたところ何やらお悩みですな。何ならお話しになってください。お力になれるかもしれませんぞ。」
「相変わらず勘のいい人だな……。」
クロードはそう言いつつ辺りを見渡す。朝の庭園だ。宮廷の中で自分の部屋の次に落ち着く場所、木陰のベンチでぼんやりするのがクロードのお気に入りだ。夏を前に庭園の草木はどれも生き生きして見える。今は特にアジサイの花が見事に咲いている。だが人気は全くない。庭園だけではない、宮廷全体が今日は朝から妙に静かなのだ。
ひとしきり周りを確認するとクロードは口を開いた。
「みんなサルド様の様子が気になるのかな?今日はびっくりするくらい人に会わないんだ。」
「弟君は今日にも生まれるようですし、まぁ、当然でしょう。心配事というのはそのことですかな?」
「うん。正直あんまり喜べないんだ。」
「でしょうなぁ。血統だけでいけば継承権はもうすぐお生まれになるルイ様にある。しかしむざむざ次期皇帝の座を手放すのも癪だ、というわけですな。」
「ご名答、さすがだ。というわけで私は今思案に暮れているわけだ。なにか名案は浮かんだ?」
「名案とはいきませんがお伝えできることが一つあります。あなたのお父上は第三継承者だった、ということです。
私はあなたの特殊な事情についても聞き及んでおります。お父上より苦しい立場におかれることとは思いますが、何よりあきらめないことが肝心でございます。きっと神様はあなたを見つけてくれるでしょう。」
「そうですよね、結局それしかないんだ。よいことを言ってくれた、ありがとう。」
少し気が楽になったのかクロードはベンチを後にして歩き出す。
ウェイはそのまだ幼さの残る華奢な後ろ姿を見送る。「こればかりは予想が出来ん。結果は5年後といったところかな。」遠ざかる皇子を眺めながら時の宰相はわずかながら不安に駆られる。自身二度目の帝位継承は彼にとっても憂鬱の種であることに変わりはない。