使者
ナヴィアスの北、郊外を少し行ったところに見晴らしのよい小高い丘がある。丘の上には、帝都を見下ろすように大きな屋敷がそびえ、夏の到来を思わせる強い日差しにその白い外壁を輝かせている。まぶしいばかりの外観とは対照的に庭には多数の樹木が涼しげな木陰を作り出し、その根元は、トケイソウの独特なかたちをした花によって彩られている。
男が一人、屋敷のテラスに現れる。中背の太った男で、頭は禿げ、かっ色の肌に小さいがぎらつく目、商売人らしいエネルギッシュな容姿の男である。貿易を生業にする者なら、誰もがその容姿でジャック・ヒエタミエスとわかるだろう。現流通大臣にして、元老院議長、そしてなりより帝国を代表する富豪である。15年ほど前、当時から有力財閥であったヒエタミエス家に婿養子として迎え入れらて以来、手段を選ばぬやり口で財閥を飛躍的に大きくした男だ。しかし、成功の一方で妻は四年前に他界し、現在は7歳になる娘が唯一の家族となっている。
男の出現を見計らったように、木立から女が姿をみせる。全身黒ずくめの小柄でスリムな体系だが、目つきの鋭さから真っ当な世界の人間ではないことがわかる。女は低い声でヒエタミエスに話しかける。
「先生いわく、『警邏隊長が今回のことについて嗅ぎ回っているようだ。わかる範囲で行動を調べろ』、とのことだ。」
あいさつも無しに用件のみを伝える。ヒエタミエスは「わかった。」と返事をし、気になることを尋ねてみる。
「ガムザ司教の死に先生は関係があるのか?燃える人なんぞ普通にはあり得ん話だぞ。」
「あたしらも先生については何も知らない。アンタとおんなじさ。うちの組織にアンタとの仲介を頼みにきた、それだけだよ。だいたい、あんな情報だけでどうしよってのさ。」
「それは、何でも情報を、というからだな。宮廷の人と手紙の出入りだったか。流通大臣としてわかることはその程度のことだ。先生は私を個人的に知っていると言うし、私の願いをかなえてくれるという約束だ。要求には応えているぞ。
ただな、何も関係がないならなぜそんなことを知る必要があるのだ?」
「何度も言わせるな、何も知らない。アンタとうちらは長い付き合いだが、先生だってあたしらの客なんだ。客の情報は売れないよ。気になるなら自分で調べな。」
そう言い残すと、女は再び木立の中に消えてしまった。
一人残されたヒエタミエスは事件について考える。「先生とは誰のことだろうか?私の願いを知っていて、それを叶えることを条件に情報を求めてきた。
願いか……、私の願いを叶える自信があるというなら、なにか超常的な力が使えてもおかしくはない。受言者か?あるいはもっと別の何かだろうか?不可解だが、今はこの得体の知れない人物にかけてみるのも悪くないかもしれん。もしかすると、神が我らの正義に味方してくれているのかもしれんしな。」
彼がそんなことを考えていると、玄関の方から使用人がやってきて来客を知らせる。
「ご主人、ルグラン将軍の使いの方がお見えになりました。こちらにお呼びしますか?」
「いや、客間に通してくれ。すぐ行くから。」
「かしこまりました。」
ヒエタミエスが客間のドアを開けると、ルグラン将軍古参の使者がソファに腰掛けていた。老年にさしかかろうかという、小柄だが抜け目のなさそうな人物である。彼はヒエタミエスが入ってくるのを見ると、起立して館の主を迎える。
「お久しぶりです、カミロ様。お見受けしたところ、景気は上々といったところでしょうか?」
「昔の名前で呼ばんでくれ。だいたい、はじめてアンタに会った時はろくな知らせじゃなかったからな。で、今日はどんな重要案件なんだ。」
「ハハハ、これは手厳しい。確かに、私が出て参りました以上、我が君にとって重大な関心事であることは間違いありません。しかし、今回はお知らせでするためではなく、教えていただくために参ったのでございます。」
「ほぅ、さしずめ今回の事件のことではないのか?」
「ご明察!しかしそれは用件の半分ですな。ガムザ焼殺に関して判明していること、そしてもう一つは宮廷内の勢力関係でございます。」
「なるほど、勢力争いの激化を見越してリサーチしておこうというわけか?」
「おっしゃる通りでございます。お調べするのにお時間がかかるようでしたら後日おうかがいしますが?」
「いや、大丈夫だ。最近似たような頼みがあってな。おまけとしていろいろわかったこともある。まずガムザについてだが、まだ詳しいことはわかっていないらしい。どうやら精霊がらみである、ということは言われているがな。また、理由についても不明だ。ルイ様を狙ってのことならば容易に説明がつくのだが、そうでもないようだ。いずれにせよ、ルイ様の誕生を快く思っていない者が起こした事件ということだろう。
後は勢力の話だったな。クロード様、ルイ様、双方に派閥が出来つつはある。が、今のところ目立った動きはない。もう少し様子を見なければ勢力関係ははっきりしないだろうな。ただ、少し気になるのはオレフィスの連中だ。まず、クロード様の母上マリア様だ。ここひと月で三度ほど実家に手紙を書いている。今回の件との関係は不明だが今月だけやけに多い。そのうち一通はクロード様の乳母宛のものだった。そしてなんと、この乳母が昨日殺された。”乳母”といってもマリア様は子育てはすべてご自分でなさっていたから、まぁ、養育の手伝いをしていた女性ということになるかな。クロード様が成長され、殺されるまでは帝都にあるオレフィス家の別邸で働いていたらしい。こちらも詳細は未だ不明だ。
次に、彼女の兄でオレフィス家当主でもあるラザール・オレフィス将軍だ。オレフィス家は多くの権力者を輩出する名門家系であるがもともと中つ海西部を治める王族だった。彼らが私設軍を持つことは有名だが、王族であった経緯から軍のレベル自体は相当なものであると予測がつく。裏の情報筋によると、今週に入ってオレフィス家から大量に武器の発注が出ているらしい。これが本当なら、なにかあると思って間違いないだろう。」
「なるほど、なるほど。よくわかりました。近々またお訪ねするかもしれません。」
そういうと使者はおもむろに立ち上がった。ヒエタミエスは若干拍子抜けして彼に尋ねる。
「ほんとにその程度でいいのか?もっと根掘り葉掘りきくのかと思っていたのだが?」
「自分で言うのも妙な話ですが、私は優秀なメッセンジャーです。しかし、優れた政治家や軍師ではありません。今回はすでに、あなたに必要な伝言を伝え、あなたから必要な情報を受け取りました。これ以上は職務の範疇外です。」
「そうか……、さすがに長年あの方に使えているだけのことはある。レオン・ルグランという男は職務に忠実な者を好むからな。」
「そういうことです。それでは失礼いたします。」
使者が去ると、ヒエタミエスは応接間に独り残された。ヒエタミエスは考える。「もと王族で私兵を持つという点ではオレフィスもルグランも同じだな。彼らの動向も気になるところではある。が、今はカークランド隊長のことを調べなければならん。他人の心配よりも自分の身の置き場を考えなければ……。」
邸宅の門が開き、馬車が都に向かって走り出す。流通大臣は仕事に向かうようだ。