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灰色の煙の中で  作者: 鈴埜


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5.青褐の底3

 着いたのは午後七時前。五月のゴールデンウィークを終えたばかりだが、夏至まであと二ヶ月もない。随分と日も長くなってきている。

 校門からそのまま白いフィットで乗り込んで、黒崎の指示で来客用の駐車場に止める。とにかく笑顔で立ってろと命じられ、二人は黒崎の後についていった。途中何人か部活帰りの学生と出くわす。すれ違いざまに笑顔を向けると、数瞬遅れて少女たちの歓声が上がった。


「さすが俺」

「ユキ先輩ってなんか、きらきらしたもん出してますね」

「……なんだそりゃ」

 そこで玄関をくぐったので二人は黙る。黒崎が受付に行き、中にいる女性に話しかけると、ありったけの笑顔で奥へ通された。スリッパをぺたぺた言わせてすぐ隣にある応接間へ案内される。


「すぐお茶をお持ちしますね」

「お構いなく」

 そう言って黒崎はソファーへ座る。白川と深沢はそのまま彼の後ろ側へ立った。

 入り口とは別の扉に消えた彼女と入れ替わりに男が名札のついた鍵を持ってきた。


「校長から話は聞いております。環境課の方だそうで……」

 ちらりと後ろに立つ二人を見る。

 茶髪だがかろうじてスーツを着ている白川は役所の職員に見えたかもしれないが、ジーンズにシャツという軽装の深沢が不審に思えたのだろう。


「これが労働担当です」

 にこりと、白川が隣の深沢を顎で指す。

 文句は言えない立場だし、事実であろうと彼は大人しく頭を下げた。


「今日は下調べですので、状況が分かり次第機材を持ち込むかもしれません。まずは何がいるかを調査します」

「もうすぐプール開きもありますし、宜しくお願いします。私は近所の人間が何か飼えなくなった動物でも放り込んだんじゃないかと思ってますがねぇ」

 現実的にある、自分の想像の範囲内の事柄で収めたい、そう希望しているかのような物言いだ。


「よくそういった事例が見られますから、我々もそう思っております」

 白々しく言ってのける彼の言葉に安心して、男は何度も頷いた。

 

 

 季節はずれとまではいかないが、ずっと使われていないプールはあまり気持ちの良いものではない。しかも、何かがいると言われてプール開きも間近だというのに掃除もされていない。


「懐かしいですね」

 初めての現場ということで深沢はテンションが高い。車の中でお化けがお化けがと言っていたのはどこのどいつだと殴ってやりたい衝動に駆られる。こちらはさっきからぞくぞくに悩まされているというのに、この小僧はまったく感じていないらしい。能力の差が恨めしい。


 コンクリートで固められた周囲は水に濡れておらず、ただ濁ったプールの水面に月がゆらゆらと揺れていた。こうやって見ていると確かに何かがいそうに思えてくる。

 慎重な黒崎はいきなり問題のプールへ向かうことはせず、周囲からその様子を見て回った。近づけば近づくほど、白川一人が無口になる。


 黒崎の仕事には何度も付き合ってはいるが、こんな風に感じ始めたのはここ数回のうちだった。自分の能力があらぬ方向に成長しているかのように思えてあまり楽しくはない。しかも前を行く二人がまったく感じていないのが不公平で憎たらしい。


「大丈夫ですか? ユキ先輩」

「大丈夫だったら肩抱いてないよ、マキちゃん」

 先ほど言われたきらきら成分配合で彼に笑いかけると、怖いですとのお言葉をもらった。心と裏腹のこれは相手に恐怖を与えるらしい。


「そんなにひどいならうちの職員に何か護符のようなものを作らせるが……それでお前のサイ能力が使えなくなっても困るしな。難しいところだ」

「ええ、難しゅうございますね」


 ここまで感じない二人を相手にするとちょっと悲しくなってくる。

 彼らに当たっても仕方ないことなのだと言うことも十分承知していたので、白川はとっとと自分の役目を終わらせることにした。ここは割り切って行かねば話が進まない。


「それじゃあ始めるとしますか」

「頼む」

 ようやく本丸へ入る運びとなった。ぞくぞくが気配を増す。

 

 プールにはきちんとコーナーがあって、白川はその3番に手を駆けながら右手の手袋を外して水面へ近づける。

 

 息を大きく吸い込んで、吐いたとき――それが現れた。

 

 気付いた時には腕の半分以上を持って行かれている。

 水の中にいる何かが手首を掴んで引きずり込もうとしているのだ。

 サイコメトリーをまさにしようとしている時、白川が一番無防備な時だ。


「白川!」

 黒崎が慌てて駆け寄ろうとするが、それより先に白川の体が後方へ、プールとは逆側へ飛んだ。その先には黒崎がいた。彼は放り投げられたその衝撃を体で受け止め白川を抱きかかえたまま一緒に転がる。


「うわああ、ごめんなさい!」

「いや、良くやった」

「うん、確かにちょっと体に圧迫感があったがナイスだ」

 起きあがりながら白川は自分の右手首を見る。

 強く握られたせいだろう、しっかりと人の手の形が残っていた。


「細いな」

「んなことねえっだろう。これでも俺は着やせするタイプね、ってよく言われて……」

「違う、手の跡だよ。指が細い。女かな」

 ああそっちね、と答えて車の中の黒崎の言葉を思い出す。髪の長い女がいたというあれだ。


「また引きずり込まれたら困るなあ」

「こっちのコンクリート部分でやればいい」

 黒崎の提案にすぐさま乗る。水はやばい。背筋を這い登ってくる感覚が止まない。


「最初っからこっちでやれば良かったのか」

「水に自分で近づいて行っただろう?」

 それはそうだ。分かっている。早く終わらせたいがために自ら危険と分かっている場所へ近づいた。が、認めるのが癪だ。


 話を変える。


「そういや、今回は前みたいななんか必殺技あるの?」

 こちらとしても一応どういった解決をみるか、知っておきたいところだ。


「いや、今回は本当に調査のみだ。原因が分かれば良いと思ってる」

「了解」

 そう答えて二度目のサイコメトリーをするため屈んで右手を地面へ近づけようとしたとき、不意に声がかかった。慌てて手を引っ込める。


「それはどういった調査なのですかな」

 後ろに手を組んだ恰幅の良い五十過ぎぐらいの男がにこにこと入り口に立っている。

 誰だ、と黒崎を見やれば彼は少し悩んだ後に思い当たったのか、一歩前へ出て頭を下げた。


「校長先生だよ」

 後ろを振り返って二人に説明する。サングラスを掛けたその下の表情は見えないが、面倒な相手がやってきたと背中が物語っていた。


「プールに何か生き物が住んでいるんでしょう? 水を調べないんですか?」

「水の中にいるのが何か分かっていませんので、周囲から調べて回ってるのです。こういったことは慎重にしなければなりませんからね」

「それはそうだ。確かに」

 男は目を細めて本人が笑顔だと思っている顔を何度も頷かせる。


 しかし、それはどこか作り物めいていて、彼の本心は別にあるのだと窺わせた。


「校長先生こそこんな時間まで残っておられるとは思いませんでした」

「いやあ、やはり私の学校でのことですからね。何が出てくるのか気になってしまって」


 どうやってこいつを追い払おうかと三人が三人とも頭の中で算段する。何か良い知恵はないかと目で会話するが――相手はこの学校の校長。現場を監督するというのは何ら不自然な行為ではない。

 

 そんな風に別の方向へ思いを取られていたからこそ、皆反応が遅れた。

 

 先ほどと同じく突然、プールの外に上げられていたコーナーを仕切るために使われる黄色の浮きが、校長の足に絡まった。

 声を上げる暇もなく、その彼の体はプールへと引き寄せられる。

 とっさに黒崎が手を伸ばして校長の腕を掴む。だがそれでは止まらず一緒になって水の中へと引きずり込まれた。


 これまた反射的に白川は黒崎の足を掴む。そして――同じく水の中へ。


「……学習能力ないなあ!!」

 己の行動の拙さに嘆きたい気分だ。

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