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灰色の煙の中で  作者: 鈴埜


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27/30

27.岩灰の水面1

 悪い予感というものは往々にして当たるもので、しかも今日は、深沢が信じてやまないミラープリンセスサヤカの月間占いによると、一ヶ月の中でもっとも最悪の日となっていた。起きた瞬間から不幸な一日を何とか大事なく乗り越えるために思案する。休日ならば布団に潜って日がな一日引きこもっていればいいのだが、なにぶん仕事がある。

 地下鉄に揺られ、天下の警察庁へ出勤せねばならぬのだ。

 転んで怪我をしないよう、財布や携帯をスられないよう、そして、痴漢に間違われないよう十分注意して何とかたどり着いてほっとしたところへ、先輩である白川の登場だ。

 機嫌が――すこぶる悪い。

 それでなくても十人中十人が振り返る色男のくせに、腹が立つことや嫌なことがあると感情を隠そうとして無表情になる。上に立つ者としてのその心がけには拍手をしたいのだが、能面みたいな顔は、女性や一部の男性なら喜ぶのかもしれないが、正直、怖すぎる。

 のっぺらぼうの方がまだましだと思う。

 嗚呼神様仏様ミラープリンセスサヤカ様と、心の中で祈ってみせるがそう簡単に事態が改善されようはずもない。

「おはようございます」

「おはよう。いくぞ」

 どこへと聞くには彼の背中が不機嫌すぎた。そこまで背中で語らないでも良いと思うのだが。

 百八十センチ以上ある白川は、その大きさに似合わない機敏な動きで深沢の横をすり抜け、今、彼が来た道をたどって行く。

 心の中でため息をついて、仕方なく後を追いかけた。

 

 普通の職員はほとんどが公共交通機関を利用して登庁する。ところが白川は諸事情によりそういったものを嫌う。嫌ったからと言ってどうかなるわけがないのが本来だが、事実どうにかなってしまっていた。深沢も来たいならバイクで来ても良いと言われていたが、地下駐車場にたどり着くまでのチェックの方が面倒で電車通勤だ。

 部下の能力を慮ってのことかと、課長の働きかけに感心していたが、最近どうも己の買い出しのための足として一石二鳥を狙ったものではないかと思えて仕方ない。

「どこへ行くんですか?」

 深沢の問いに、白川は簡潔に、そして明確でない答えを返す。

「知らん」

 これはいよいよアレである。

「でも待ち合わせ場所は決まっているんでしょう?」

 このところご無沙汰だったが、黒いスーツに黒いサングラスの彼を思い浮かべた。

 白川も同じように、なぜか――深沢から見るとどうも理由がわからない――毛嫌いする特殊環境課の黒崎の姿が、彼の脳裏に現れたのだろう。眉間にしわを寄せて頭を振った。

「待ち合わせなんかしてない」

「じゃあ――」

 と言いかけて、白川の運転する白のフィットが速度を緩めた。ほとんど移動していない。

 エントランス前に急停車すると、ドアを高らかに閉めて歩き出す。あんな所に止めて良いのだろうか? 駐禁を取られないか心配をする暇もなく、深沢も後を追った。今日はなんだか同じような行動をしてばかりだ。

 “地球温暖化を止めるのはあなたです”や、“CO2排出量○○%減”などののぼりが警視庁とはまったく違った雰囲気で、同じ中央省庁とは思えない。

 そう。ここは警察庁からすぐの環境省。中央合同庁舎第5号館であった。

「初めて入ります。先輩は何度も来ているんですか?」

 迷いなく歩いていた白川がだんだんと歩調を緩めるので、嫌がるのはわかっていたがこれ幸いと尋ねる。

「三回目」

「僕ら絶対怪しいのに何も言われませんね」

 白川は自分に一番似合うと豪語するスーツ。今は上着を脱いでいた。薄いブルーのシャツに濃い青のネクタイ。黒のパンツと磨き上げられた革靴。隙がない。

 それとは対照的に深沢はいつものジーンズにTシャツ。

 この二人が一緒に歩いているのが異様だ。

 警察庁でも大概目立つが、九十九パーセントがスーツで占められている環境省では浮きに浮いていた。

「ものすごく見られていて居心地が悪いです」

 つい話しかけたくなるのはそわそわせずにはいられない視線の多さ。

「この程度でか? 桜子ちゃんは制服で来るんだぞ」

「……すごい子だなあ」

 エレベーターの前で止まる彼に、深沢はおきまりの上と下のボタンの前で指を止め尋ねた。

「何階ですか?」

 きっと下。警防課と同じように地下なのだろうと思いつつ。

 だが、答えがない。

「先輩?」

 口元を少しだけゆがめて、深沢の指先を睨んでいる。

 おかげで中途半端な体勢から逃れられない。

 と、携帯の着信音。某未来からきたアンドロイドのメロディー。

 その持ち主である白川ははっとし、ポケットからそれを取り出し操作する。メールのようだった。

 舌打ちをして、エレベーターの上のボタンを押した。

 どうしたのか、目で問いかけると携帯をそのまま差し出される。

 ディスプレイには一言。

 『早く行け(^∀^)b 』

「見られてる」

 課長だ。透視能力でチェックを入れていたのだろう。

「可愛い顔文字使うんですね」

「馬鹿。それは中指立ててるんだよ」

「……」

 タイミング良くやってきたエレベーターへ二人は無言で乗り込んだ。

 予想外なことに、黒崎の特殊環境課はかなり上の階にあった。しかも廊下に面する壁は透明で、強化アクリルでできている。内容が内容なだけに、もっと地下の方でおどろおどろしくやっているのかと思っていたが、かなりオープンな組織らしい。とはいえ、エレベーターから一番遠く、近くにトイレも喫煙所もないので迷い込む以外は、部外者が近づくことはないだろう。中には仕切りもあり、丸見えなわけではない。

 だが、今は中で数人が怒鳴りあっているのが見えた。その受け手は、黒崎だ。

 どうやら揉めているようで、白川がめんどくさ、とつぶやくのが聞こえた。

 向こうもこちら二人に気付いたのだろう。

 男二人は不審な表情で、江藤は少し戸惑ったような瞳を向けてくる。

 そして、黒崎はサングラスの奥から眉を一ミリたりとも動かすことなくじっと見詰めていた。

 深沢は軽く頭を下げ、白川はそのまま扉を開ける。

「何揉めてるの?」

 女性には人当たりの良い白川。だが、今この場を占めるのは五対一で断然男の方が多い。自然と偉そうな人格が表に出てくる。

「あんたには関係ないだろ!」

 深沢が知らない、若い方の男が噛みつく。白川は二人と面識があるようだ。

「そうだね」

 鉄壁の笑顔で返すと、彼は言葉を詰まらせ顔に朱を昇らせる。本当に男には容赦がない。

「それで?」

 先を促すが、今度は冷静な黒崎が割って入った。

「白川、悪いが今は取り込み中なんだ」

「だろうね。表から見えた。課長にも見えてたんじゃないかな」

 険悪な雰囲気に物怖じせず会話に入り込む白川には、敬意を表したい。本当に尊敬する。本人は繊細ぶっているが、実際は切り目はどこだと悩ましいくらい図太い。こんな風に角突き合わせている状況に、深沢なら口を挟むどころか回れ右の体勢を反射的にとってしまう。

「あんたには関係ないことだよ白川さん」

「関係ないどうこうじゃなくて、どうしたんだと聞いたんだよ、山崎くん」

 知らない二人のうち若い方が返り討ちに遭う。主に顔で。どうしたらあそこまで人を上から見下す表情を作ることができるのか? 言ってることは無茶苦茶だが、顔で黙らせるのはさすがとしか言いようがない。瞬時に激しい劣等感を抱かせ、二の句を継げなくさせる。一種の顔芸だ。

「関係者以外立ち入り禁止ですよ。特に今日は約束していないでしょう? うちからの依頼もいっていないはずですが?」

 今度は年上の新顔。こちらは一見お役所の人間だと言えば信じてもらえそうなほどかっちりとした服装でキメている。事実公務員なのだが、セーラー服の江藤や、若い方――山崎はチノパンにポロシャツ。そんなメンバーの中で異例だった。まあ、Tシャツとジーンズの深沢に言われたくはないだろうが。年を食っている分、白川の『ひれ伏せ顔』攻撃は効かないらしく、反撃の『笑顔で部外者は帰れ顔』だ。

 しかし、それは少々毒が強すぎたのだろう。大人な常識人である黒崎からストップがかかった。

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