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灰色の煙の中で  作者: 鈴埜


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26.骨白の塔4

 軽く頭を下げて表に出ると、右手の角に小さな塊が見える。それは廊下に体育座りをする少年の姿だった。


 あんまりうろうろしていると怒られるぞと、声を掛けようとしてやめた。向こうだってそれをわかってやってきている。

 白い床を音を立てて踏みしめ真吾の側へゆっくりと近づく。


 物言いたげな瞳を受け止めて、両手を差し伸べる。すると真吾もおずおずとそれに手のひらを乗せた。思い切り引っ張って立たせると、その勢いを利用してわきの下へ手を入れ持ち上げる。あっ、と短い言葉を漏らした真吾を頭の後ろへ器用に回転させて肩へ乗っけた。途中から彼のPKでサポートが入り、思ったより楽にその体勢を取ることができた。乗っけてしまえば小学生くらいなら軽々担げる。


 真吾の手のひらを頭の上に感じながら、白川はゆっくりと移動した。二メートルを越える高さがあっても、ここの天井には届かなかった。


 娯楽室に真っ直ぐ帰る道を選ばず、ぶらぶらと適当に歩く。廊下は大きな窓があり、日の光が差し込んでいる。こんな研究所だから、コンクリートの厚い壁に阻まれているのが当然なのにと来た頃は疑問に思った。だが、外界と完全に遮断し、閉塞感を募らせることは精神的な影響としてよろしくない。世間から隔離されている代わりに、この研究所自体は開放感が必要だった。ただし、できうる限りの対策はとっている。窓はガラスでなく強化プラスチックで作られていた。


「こんな能力、いらない」

「うん?」

「こんなの、あっても邪魔なだけだし」

 人と同じであることを良しとし、協調性と言う名の平均的な能力を求められる時代はとうに過ぎた。誰もが突出した能力を望み、人と違うことを才能と称する。

 もしも自分に人と違う能力があれば、力があれば、人より上に立てると誰もが一度は想像しただろう。


 だがそれはあくまで少しだけ突出したものでなければならない。出すぎた杭は打たれるどころか、その存在を消してしまおうと世界は動くのだ。


 世界は均衡の元に成り立っている。


 それを崩す出すぎた能力は、人が作り上げた世界と言うシステムに排除される。

 だから、人に服従するという形でようやく世界の端に腰掛けることを許されている。それには数々の制約が発生した。


 真吾が邪魔なものだと言うのもわかる気がする。

 ただ、そう言った能力に憧れを抱く年頃の少年が、こんな考えを持ってしまう現状に悲しさを覚えた。


「お母さんもお父さんも、僕が何かしようとするとこっちを見るんだ」

 何かしでかすのじゃないかと、全身で警戒する。


「僕がいると、二人ともいっつもびくびくして」

 親が怯えている。それが、わかってしまう。


「ヤスヒロのとーちゃんは、ヤスヒロの能力をこっそり見せてくれって、いっつも楽しそうなのに、なんで……」

 それが特例だと、本人もわかっているが、それでも考えずにはいられない。


「こんな、能力いらないよ」

 叶わない願いを言葉にして、真吾は再び黙り込んだ。


 自分の能力に気づいたのはいつのことだっただろう。小学校高学年か、中学生になってからか。何が引き金となったのか、覚えていない。たまに奇妙なことが起こるようになって、そしてわかってしまった。

 能力が邪魔だと思ったことは数え切れない。もしこんな能力がなければ普通の暮らしができるのに。


 それでも、と、先日の事件を思い出した。

 もし自分にこの能力がなければ江藤を救うことはできなかっただろう。


 テレビを見て新しい被害者を知り、かわいそうにと遠い現実に心を痛めた気分になる。

 それを考えると、やっぱり今の自分も悪くないと思えるのだ。


 後手に回ることの多い能力ではあるが、確実に救うことのできた命が存在する。

 結局本人の心持ち次第。良いようにも悪いようにも取れる世の中。考え方一つで世界が変わる。ただ、真吾はそれと思える事件に出くわしていないだけ。


 康弘の父親は確かに彼の能力に理解を示しているが、母親は自分が腹を痛めて産んだ子どもの能力を許容できずに彼らの元を去っていった。そう言った事実を真吾は決して引き合いに出さない。自分に都合の良い部分だけをすくいあげて、都合の悪い部分からは目を背ける。


 悪いのは全部この能力なのだと、そうやって現実を拒絶する。


 でも、それを指摘する人間はいない。本人もわかっている。それを、知っている。

 よっぽどのことがなければ能力はなくならない。己を認めなければ、次への道は開かれない。

 本人がわかるようになるには、もう少し時間が必要なのだろう。世間の因果を言い含めるには、まだ幼すぎる。


 真吾が気づくまで、周りは彼が壊れることのないよう、見守り監視することしかできない。

 けれど、こんな風にうなだれている子どもを見守るだけでいられるほど、白川は人間ができていなかった。つい、それが事態を悪くする可能性があるとわかっていても、手を伸ばそうとしてしまう。以前それでこっぴどく怒られたこともある。


 それでも、やはりやめられない。


「真吾は、どうするの?」

「え?」

「どうしたいの?」

 いらないいらないと、否定ばかりしてた少年は望みを聞かれて戸惑った。


「真吾はどうしたいの? 望みをかなえるために努力はした?」

「努力……?」

「そうだよ。いつの世の中だって、努力なしに手に入れられるものなんてない。いらない、欲しいだけで努力もせずにただ口を開けて待っていては手に入るはずのものも入らない。人間完璧なんてない。みんな何かしら欲しがってる」


 先祖代々受け継いでいたものが、自分になかった男を思い出す。あの黒い男は能力に欠けた自分をどう思ったのだろう。


「でもね、前提を間違えちゃいけないんだ。今から始まる。今の状態からすべてが進む。今を否定したらね、」

 未来なんてないんだと言いかけて、言葉を飲み込む。


 それはあまりに残酷な表現だと思った。


「努力、足りなかった?」

 しばらくして真吾が漏らす。白川はイエスともノートも言わずに首をかしげた。といっても、真吾を肩車しているところなのではたから見れば直前とさしてなにも変わりないと思われるかもしれない。


「もしかしたら、努力の方向が間違っていたのかもしれない」


「方向?」


「うん。よく手際が良いとか、要領が良いって言うだろう? そういった人は、努力の仕方を知ってるんだ。方法をね。真吾はまだ七歳。大人相手に努力して立ち回ろうなんて、よっぽど運がよくない限り無駄な努力になってしまう」


「じゃあ、どうしたらいいんだよ!」

 苛立ちが混じった声が上から降ってきて、さっきまでの落ち込んだ様子と打って変わる。それに少しだけ笑った。それでいい。落ち込んでいるよりも怒っているほうがまだ前に向かってエネルギーを放出しようとしている。


「真吾はこの研究所が何のためにあると思ってるの? 別に上から抑え付けて言うこと聞かせようとしてるだけじゃないよ? 毎月毎月検診受けて、毎週毎週訓練してるのは、何もお前の能力のためだけじゃない。周りにはさ、経験豊富な大人がたくさんいるんだ。相談って知ってるよね?」


「……」


「いらないいらない、欲しい欲しいじゃなくて、自分の望みを得るためにはどうしたらいいか、誰でもいいじゃないか。桑津さんでも、神谷先生でも。もちろん僕に聞いてくれたって。僕一人じゃ無理だなって思ったら、今度は僕が誰かに相談する。もちろん、最初に相談してくれた真吾にきちんと話してよいかは確かめるけどね」


「……」

 すっかり黙りこくった真吾は、白川の頭の上で小さなため息をつく。


「そろそろ戻ろうか」

「……うん」

 本人もわかっている。


 進化の過程で、このような能力が現れた。いつか、能力があってよかったと思えるときが来るに違いない。

 自分が、ごくごくたまに、そんな出来事に出会うように。

 

 娯楽室の扉を開けると、さっきまでとは様子が変わっていた。部屋の隅に大きな笹が立てかけられ、それに子どもたちが群がっている。手には折り紙で作った飾りを持ち、ああでもないこうでもないと楽しそうに声を上げている。

 二人の姿に気づくと、子どもたちは肩車をうらやましがりながらも、自分もとせがむことはしなかった。


 飾りつけは佳境に入っていた。白川も何かと思ったところへ、目の前に金色の星が差し出される。


「朱鷺子ちゃん、ありがと」

 それを頭の上の真吾に渡し、笹へ寄る。空いていたスペースにつけようとすると、朱鷺子が違うと言った。真っ直ぐ一番高いところを指す。

 それじゃあクリスマスの飾り付けになってしまう、とは賢明な白川は言わない。真吾も言われた通り、さらに高いところに星をくっつける。


「はい、これに願いごとを書いてね」

 浅葱が真吾に青い短冊を渡す。


 もらった短冊をじっと見つめてうなずく真吾を、白川はそれならばと下ろす。


「白川さんも一枚」

「あれ、僕ももらえるの?」


「結構あるんで大丈夫ですよ」

 何の変哲もないただの紙切れ。それに願いごとを書いて吊るすと、願いが叶う。

 懐かしい行事に自然と頬が緩む。


「何書こっかなー」

 ペンを借りて子どもたちの輪に無理やり入り、みんなの短冊を覗き込む。


 そこには、将来何になりたいといった定番の願いごとはなかった。代わりに母親と、父親と、兄弟たち、家族と、あれがしたい、これがしたいととても具体的な本来であれば簡単に叶う願いごとばかりが書かれていた。


 まつりのそれも、まめつぶのような小さな字で、おとうさんとおかあさんと一緒に遊園地に行きたいと書いてある。だがまつりの能力を失いたくない研究所は、人ごみの中に出かけることを絶対に許さないだろう。


 ちょうど視線を上げたまつりと目が合った。彼女は花びらがほころびるようなふんわりとした笑顔を浮かべ、つられて白川も笑った。

 すぐ隣にいた真吾の手元を見ると、書き出そうとしてはやめているようで、マジックの黒い点が短冊の右上にいくつもある。


「どうした?」

「うん、いっぱいあって、どれにしようか悩む」

 どの願いごとなら、願うことを許されるのか、それに悩む。


「ユキは何書いたの?」


「ん? 俺? 俺のはこれ! 男のロマン。夢はでっかくだ」

 水戸黄門が最後の仕上げに印籠を見せ付けるがごとく、短冊をみんなの目の前に高々と掲げる。

 子どもたちの視線が短冊に集まり、そのままじっとりした瞳が白川の顔に集まる。


「なんだよ、文句でもあるのかっ!?」

「夢も欠片もないよこれ」

「何を言ってるんだ馬鹿者! 最近じゃこれがなかなか見かけない希少種なんだよ!」


大和撫子(やまとなでしこ)楚々(そそ)とした可愛かわいらしいお嫁よめさん』


「君たちにも読めるようにふりがなまで振ったのに。親族に候補がいる場合はきちんと申告するように!」

 ふんぞり返っている白川から早々に視線を外し、子どもたちは再び自分の短冊に向き直った。唯一彼を見つめたままの朱鷺子が、氷点下の眼差しで白川の右半分を凍りつかせている。

 浅葱はそんな恋人を見て笑い、書き終えた子どもたちを笹へと誘う。


「できた子から飾っていこう」

 色とりどりの短冊が、緑色をした笹の葉の先で揺れている。

 真吾も同じように立ち上がる。


「お、なんて書いた?」

 その手元を覗き込もうとすると、慌てて隠すが結局恥ずかしそうにしながらも見せてくれる。そこには『お父さんとお母さんと、』とだけあった。


「続きは?」

「いっぱいあるから、省略! 夢はでっかく、でしょ?」

 

 愛されたい。

 ただそれだけ。

 父親に、母親に、友達に、世界に。

 産まれてきたことを、自分を愛したい。

 ただそれだけなのだ。

 

 白川を見上げて顔いっぱいで笑う真吾の頭を、修復不可能なほどかき回す。その乱暴さに身をよじるが、それでも真吾は笑顔だった。

 小さな指先が、もたもたとしながらもしっかりと自分の願いを固く結ぶ。

 その隣に白川も自分の短冊を結んだ。

 色とりどりの短冊と笹の葉が、さらさらと音を立てて揺れた。

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