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灰色の煙の中で  作者: 鈴埜


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17/30

17.深緋の痕4

 道中ずっと、課長の黒崎に対する態度がおかしいことについて言及していたが、彼は自分が差し入れた過去の甘味を上げるだけだった。


「それさ、黒崎のチョイスなわけ?」

「いや、俺は甘いものは食べないから、人に聞いてる」

 でも買いに行くのは本人なのだろう。デパ地下に出没するこの真っ黒な男。その度胸には感心する。


 とはいえ、白川も平気でデパ地下に行けるタイプだ。自分の姿にかわいいケーキや上品な和菓子はとても似合う自信がある。そんなシチュエーションもいける。外から見ていても、あのすてきな人はきっと恋人にプレゼントを持っていくんだろう。バラの花束と一緒に。ぐらいに思ってもらえるはずだ。実際は鬼課長の糖分が足りない宣言で使いっぱしりをしているだけなのだが。


「あ、そこの小学校左折」

 白川の指示で黒崎はウィンカーを出して進んだ。


 駐車場に止めると、白川を先頭に受付へ向かう。まだ十時になっていないので、関係者入り口へと向かった。すでに顔見知りとなっている守衛が二人を通してくれたので、そのまま解剖室へ向かう。扉を意識的にゆっくりと開けると、中の人間がぴたりと会話を止めた。だが、白川の顔を見ると表情を崩す。


「お早うございます」

「お早う。白川さん」

 松阪はスラックスにポロシャツという楽なスタイルだった。さすがにこの時期になるとお気に入りのカーキー色のコートは着ていない。身だしなみには気を遣っているらしく、髭もきちんと剃ってある。だが、目が赤い。身体の中に溜まっている疲労を隠すことはできていない。


「なんだ、変なのあったかな?」

 監察医の佐川が首を傾げる。白衣姿はもちろんだが、いつもながらどうかと思うサンダルも健在だ。しかも健康サンダルである。


「いえ、今日は松阪さんに用事があって。ここへ来ると聞いたものですから」

 二人は解剖台に乗せられた遺体をはさんで立っていた。察するにそれが今回の講義資料なのだろう。まだ途中だったようだ。


「終わるまでロビーの方で待ってます」

 そう言って部屋を出ようとすると佐川が止めた。


「こっちも一時中断だ。先に済ませたら?」

 何かあったのかと松阪を見れば、彼は肩をすくめた。


「生徒が途中退席して個室に駆け込んだんでね」

 捜査官は最低二人で行動する。それが今は一人だ。そう言えばこの間やたらと図体のでかい男がいたが、彼が今の松阪の相棒なのだろう。


「そんなにひどい遺体なんですか」

 ちらりと、布をかけられているそれを見る。しかし佐川は心外だといった風に口を尖らせる。


「いや、こんなの一週間放置された溺死体に比べたらまだまだ序の口だよ。土中の一週間なんてあっという間さ。魚に突かれてあちこち欠損しているより遙かにきれいだ」

「たぶん、若い女性が無惨な姿というのが、彼には耐えられなかったんでしょうね。まあ、試練の一つですから」

 松阪が一応相棒をフォローする。


 とにかく講義をするにも生徒がいないと続けられない。お言葉に甘えて先に用事を済ませることにした。二人は遺体のそばを離れる気はないようで、仕方なく近づく。やはり、腐臭がした。


「大丈夫?」

「ああ。平気だ」

 サングラスを掛けているので表情があまりわからない。だが、無理しているようには見えないので本当に平気なのだろう。


「そちらは? 新人?」

 佐川が黒崎を見て尋ねる。


「あ、いや。違うんだ。身元は保証するし、ここで見たことや聞いたことは余所へ口外しない」

 白川もどこまで話していいのか判断が付かない。あからさまに言葉を濁している彼に、二人はそれ以上聞こうとはしなかった。


「それで? 僕は何をすればいいんですか?」

 助け船を出してくれたのか、松阪は手帳を取り出した。


「少し調べものをお願いしたいんです。渋谷大空学園という学校がありまして、そこの女子生徒の捜索願いが出ていないか、もし出ているのならその資料の内容を教えてもらいたいんです。その日どんな行動を取ったかもわかるならば」


「やっかいごとですか?」

「うーん、ちょっと個人的に、ね」

 わかりましたと言って、松阪は手帳を閉じる。


「すみません。今度何かおごりますよ――甘いものでも」

 黒崎に買わせよう。

 いいよな? と振り向くと、彼はじっと遺体を見ていた。その視線に佐川も気付く。


「お、何? 君死体に興味あるの?」

 生徒を見つけた時の嬉しそうな顔をして、佐川は顔を覆っていた布をめくろうとする。


「センセイっ!」

 慌てて白川が止める。きっと目は閉じられているのだろうが、どんな状態かもわからない、しかも先ほどの会話から一週間は経っているだろう死体を見せられるのは勘弁して欲しい。それ以前に、自分たちはこの遺体がどの事件かもわからない部外者だ。

 制止の言葉に、えー? と、佐川が不満そうな声を漏らした。


「お前も、そんなに興味津々で覗くなよ」

「だが、お前もこれは気になるんじゃないか?」

 そう指さす先を見て、白川は息を飲んだ。


 遺体に掛けている布は、二人が入ってきたので慌てて引き上げたものなのだろう。少しずれて左肩が見えていた。そこには深い傷がある。そしてそれは、背中へと続いているように見えた。


「この遺体は……」

 白川の呟きに、松阪は少し考えて軽く息を吐いた。


「内緒ですよ? 最近ニュースでも話題になってる連続暴行殺人の一番新しい被害者です。今朝早く見つかりました」

 今度こそ、良いだろうと佐川が布をめくる。


 顔が歪むのを止められなかった。

 殴られた痕、刃物で傷つけられた痕。青黒い痣が首の回りにしっかりと残っている。絞殺されたのだろう。指の痕が残っていた。


「死因は扼死(やくし)と言いたいところだが、頸椎の骨折だな。体重掛けすぎて窒息するよりも先に首の骨が折れたといったところだ。かなり大きな手だな。抵抗しようにも女性で、両手を後ろでガムテープによって拘束されていた。ちなみにガムテープは鑑識がうきうきして持っていった後だ。顔や体の傷は死亡前につけられたもので、何日かに渡っている。傷が治りかけているものもあることからそれはわかる。で、DNA鑑定も済んでいないのになぜこれが例の事件のものなのか、それはこれを見ればわかる」

 そう言って、佐川は遺体を横向きにした。すでに死後硬直は解け、遺体はぐにゃぐにゃと柔らかい。手を貸すわけにもいかず、その作業を見守る。そして、現れたマークに眩暈を覚えた。

 それは、すでに見知った印。


「これが前の三件と同じで、まだDNA鑑定はしていないが同一犯と言われるだろう」

 両肩から腰の当たりまで真っ直ぐ斜めに引かれた二つの線。バツかエックスか、それはわからないがとても目立つその傷。


「こちらの傷は死後につけられたものだ」

「この傷の話は、マスコミに流していないので、模倣犯の可能性も低いと思われます」

 松阪が佐川の説明に補足した。


 同一犯による四人目の被害者。三人以上は連続殺人とするFBI方針と同じく、すでに連続殺人事件として扱われていた。もちろんマスコミもそう騒いでいる。


「松阪さん、さっきの調べものなるべく早くお願いします」

 頼み事をした身分で、随分な言いぐさだとは思うが、あまり悠長にしてはいられない。知らなければ放置していただろう。けれど、知ってしまったからには後戻りはできなかった。


「特防扱いの案件か?」

 佐川がそう聞くと、白川は慌てて首を振った。


「いえ、違います。それは、違うと思います」

 断定はできない。だがすべて人ができる範囲のものだ。佐川も遺体から不自然な点は見つかっていないから、そんなことを聞いたのだろう。


「個人的なことです」

 顔が違う。この遺体の女性は、江藤が見つけた幽霊とは違っていた。前の三人か、それとも五人目か。

 気分が暗くなった。だが、何か手がかりをつかめれば戦局は開ける。


「鑑識はどこが?」

「三班だ」

 佐川の答えに頷く。うきうきしてガムテープを持ち去る人物に心当たりがあった。好都合だ。


 連続殺人事件となれば、間違いなく捜査本部が立っている。課長に言って資料を回してもらうことも容易いだろう。事件へ介入しやすくなってきた。

 挨拶をして再び裏口から出る。


「俺はこれから鑑識課に行ってくるから、お前はうちの課に行っててくれ。さすがにあそこにまでは連れて行けない」

「わかった。藤本課長にその事件の資料をもらえるよう依頼すればいいんだな?」

 話が早い。


「ああ。一から全部見てみる」

 黒崎はシートベルトを締めてエンジンを掛ける。


「しかし」

「ん?」

「白川や江藤が見ていたものを俺は見ることができなかった。言葉では聞いていたが、俺にとっては現実味の薄い情報でしかなかった」

 言いたいことがわかる。

 それ以上黒崎も続けようとはしない。

 霞ヶ関へ戻るまで、二人は無言のままただ前だけを見ていた。

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