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灰色の煙の中で  作者: 鈴埜


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15/30

15.深緋の痕2

「すごく薄くて見えにくい」

「そうなんです。最初からあんな感じです。でもほら、彼女の背中」


 優先席まですべて埋まっており。後はちらほらと立っている人間がいる。その程度の乗車率の中、江藤が見つけた幽霊はぼんやりとした輪郭で朝の銀座線をさまよっている。制服マニアではない白川にはそれがどこの高校のものかはわからない。もしかしたら中学校なのかもしれない。しかし、彼女の指摘した背中はみるも無惨に破けていた。


 そして、バツかアルファベットのXかはわからないが、肩胛骨の上、肩のあたりから腰近くまで、大きく交差した斜めの線が二本引かれていた。


「幽霊になってまであんな傷があるということは、それほど彼女にとって重い意味を持つ傷だと思います」

「死の原因になるくらい?」


 それに答えはなかったが、横で江藤が頷く気配がした。


「確かに、事故で片足がなかったり、顔の右側が潰れているような幽霊に遭遇することはありましたが、あんな風にされたのを見たのは初めてで」

 だから、気になってしまった。


「何か心当たりはあるか?」

 見えない黒崎に聞かれ、ううんとうなる。頭の中にいくつか回ってきている証拠品が並ぶ。しかしやがて首を振った。


「いや、俺のところには入って来てない。課長に聞いてみたら案外わかるかもしれないが……」

 それにしてもひどい、という白川の言葉を黒崎は聞き逃さなかった。


「そんなあきらかなものがお前の耳に入っていないのか」

 本来そういったものが回されてくる確率が高い。


「ところで、桜子ちゃんはあの制服に心当たりない?」

 できるだけ情報を持って帰りたい。しかし、彼女は頭を振る。


「すみません。他校のことはあまり詳しくないので」

 この銀座線沿いにはそれこそ五十以上もの公立私立の学校がある。彼女が知らないのも無理はないだろう。


「あそこで、ほら、出口のところにいる彼女たちと似ている感じだよね」

 幽霊は、薄くぼやけていて色がはっきりしない。それでも形がよく似ているのはわかる。


「そうですね。ただ、幽霊の方はタイですけど、彼女たちはリボンです。違う学校だと思います」

「そっか」

 あの傷は珍しい。監察医務院に行けば、誰か知っているかもしれない。けれど、もし遺体が見つかっていなかったら? なるべく手がかりをつかんでおきたい。

 だが、どんなに目を凝らしても表情や顔の輪郭ははっきりしない。目立つのは背中。それが、幽霊となった彼女の中でもっとも強烈な部分なのだろう。あんなふうに傷つけられて、殺されていたとしたら。


 もう一度最近起こった事件を頭の中で列記してみるが、いくら警察官といえども自分に関わりのない案件の情報はさほど入ってこない。すべてを知っていることなどできない。第一、白川の部署は特別で、本来普通の刑事事件とは関わることはない。向こうから依頼があって、そこでやっと情報を得ることができるのだ。不審な点を見つけて、特殊警防課へ連絡が入る。


 確かに課長に依頼して探ってもらうことはできるだろう。だがそれは本当に最後の手段にしたい。彼女が動けばことが大きくなる。特殊警防課が乗り出してきたと、コードP304を匂わせてしまう。たとえそれが、まったく関係ない一般の事件だとしても、偏見が入ってしまう。そういった混乱は避けなければならない。


 どうしようと考えていると、先ほどの幽霊と似た制服の一人がスマホを落として、それが白川の足元まで滑ってきた。


 これはチャンスである。


 普段の笑顔にさらにキラキラ成分を上乗せして、白川は彼女たちのもとへスマホを届けた。さっきまでは自分たちの話に夢中で白川たちの方へ目をやることがなかったのだろう。女子高生たち三人は、白川の顔に釘付けとなり、固まる。


 そんな彼女たちの素振りに気づかない振りをして、にこやかな笑顔のまま落とした少女にスマホを渡すと、呪縛が解けたように慌てて頭を下げた。


「あ、ありがとうございます!」

「いえいえ。――さっきから思ってたんだけど、あ、突然ごめんね。僕の従姉妹と同じ学校なのかなあ? でもなんかちょっと雰囲気が違うような気がする。リボンじゃなかったような……」


「あ、それなら渋谷大空学園じゃないですか? 渋谷駅降りたところにある私立の。よく似ているっていわれます」

「あちらはリボンでなくてタイですね!」

「ああ、そうそう。そうだ。校章が空のマークをかたどってた気がするよ。従姉妹の高校の名前も覚えてないなんて、年かなぁ」

「ええ? そんな年に見えませんよー」

「二十三くらい?」

「いやいや、二十七だよ」

「えーっ?」

 三人はわざとらしく声を上げた。


「ありがとう。でも、君たちみたいな若い子に比べたらなあ」

 そう言ってもう一度にっこり笑って手を振った。


「それじゃ、あ、車内でスマホはあんまりだめだよ?」

 最後に警察官らしいことを言うと、彼女たちは、はーいと揃ってよい返事を返した。

 ちょうど渋谷駅に着く。


「たいしたもんだな」

 黒崎の褒め言葉。一方江藤は不信感ありありのまなざし。

 さあ降りようと言って、彼女の背中に軽く手を添えると、身をかわされる。


「サワラナイデクダサイ」

「ええっ!?」

 せっかく頑張って情報を仕入れてきたのに、そのやり方が彼女のお気に召さなかったようだ。


 拒否されて、心底傷ついた顔をしてみるが、まったく取り合ってもらえない。話はそのまま進む。


「ほら、あの幽霊もここで降ります。けれどすぐに」

 江藤の言葉が終わらないうちに、タバコの煙が大気に拡散してしまうがごとくその姿を消した。


「一昨日ってことは、今日で三日目ってことだよね」

「そうなります。ただ、私が気付いたのが一昨日だったということもあるので……」

「いや、それはないんじゃないかなあ。僕も今回注意を向けられなくても空気が変わったのはわかったし。桜子ちゃんならなおさらなんじゃない?」

 逆に取ればプレッシャーとも思える白川の台詞を、彼女は少しだけ首を傾げて、それでも頷いた。


「そうですね。彼女が亡くなったのが一昨日だと断定はできませんが、私の側に現れたのは二十八日の木曜日だと保証します」

 その瞳には、己の能力に対する強い自信が窺える。


「もっと早くに言ってくれればよかったのに」

「そうなんですけれど、航さんに相談したのが昨日の夜遅くだったので」

「夜遅く!? だめだよ、高校生の門限は八時だよ!」

 自分が白川さんで、黒崎が航さん、という呼び方にも異議を唱えたいが、そこはぐっと我慢した。


 彼ら特殊環境課の本来の長は黒崎の父親である。けれど今は現場を退いており、細かな指示はその息子である黒崎航の仕事となっていた。とはいえ、ちょこちょこと顔は出すし、そうなると同じ部屋の中に黒崎が二人いることとなる。

 そんなわけで、航さんやら課長代理だの補佐だの、黒崎以外の呼び方になるのは仕方ない。白川のいる特防課と同じく、特殊な課であるがゆえに、ジュニアである黒崎にはまだ特定の役柄は与えられていなかった。江藤が『航さん』をチョイスしたのも道理にかなっている。


 が、ちょっと悔しい。


「仕方ないじゃないですか。私たちが相手をするモノは薄暗くなってきてからが勝負であることが多いし。昨日一昨日と少々ごたついていて、忘れていたんですよ。それで、思い出したのが仕事が一段落して航さんに送っていただいていたときで」

「黒崎に送ってもらったの!? 言ってくれれば僕が喜んで送るのに!」

「なぜそこで白川さんが出てくるんですか」

 冷めた目で睨み返される。


 しゅんとうなだれる彼を横目に、黒崎が江藤の肩を叩く。


「そろそろ行かないと遅刻するぞ」

「あ、本当だわ。それじゃあ、何かわかったら知らせてください。ありがとうございました」

「はーい、気をつけてねー」

 駆けていく後姿に思いっきり手を振ると、さてどうしようとまた思い悩む。


「こんなところまで悪かったな。朝飯まだだろう? おごろう」

 こいつと二人で朝ごはんというシチュエーションに嬉しさを覚えたわけじゃない。だが、腹が減っているのは事実で、自分の中でいろいろな計算がなされる。


 結局、何はともあれ目覚めの珈琲一杯くらいは飲みたいという身体の訴えにまけた。


「べつに悪かないけどさ。……おごられよう」

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