Case25. 無名萌真実失踪事件
『各地で殺人事件が相次いでいるらしいですね』
ある日のこと。上尾探偵事務所は珍しく休業中だった。もうかれこれ数ヶ月になる。真実がいなくなったあの日から……藍は依頼を引き受けるのをやめてしまった。
夕方だった。明かりも付けず、事務所の中は薄暗かった。
『この近所でも事件が起きたようですよ。まだ犯人は捕まっていないとか……』
机にかじり付いている藍に、和音が後ろから、優しく話しかけた。だが藍は、ずっとパソコンを睨みつけたまま、振り向きもしなかった。静まり返った事務所の中で、TV画面だけが場違いなほど陽気な歓声を上げている。もうここ数ヶ月、事務所は……彼はずっとこんな感じだった。
真実の行方を探しているのである。真実が消えた。
一体どこに消えたのか?
どうして?
分からないことだらけだった。何だか伽藍堂とした事務所には、途中まで読まれた漫画本の数々が、賽の河原の石積みのように残されていた。
はじめはいつもの調子で軽口を叩いていた藍も、だんだん心配になり、しまいには笑えなくなってしまった。ついには仕事が手につかなくなり、彼は本格的に真実の捜索を開始した。時には街から街を一日中練り歩き、また時にはこうしてパソコンの前で調べ物をして……だがいつまで経っても、AIの検索網を持ってしても、彼女が見つかることはなかった。
『少し休憩しませんか?』
薄暗い部屋の中。相変わらず返事はなかったが、和音が藍に根気強く話しかけた。
『過度に時間をかけ過ぎても、集中力は低下しますよ。パフォーマンスを上げるには、適度な休憩が……』
「和音君」
藍がようやく顔を上げた。いつのまにか目の下にクマが出来ている。
「まだ見つからない?」
『それは……』
和音が目を伏せた。AI少女である和音は、その気になれば世界中の監視カメラや個人のスマホなど、ありとあらゆる情報にアクセス出来るのだが……何故か真実の足跡だけは、どうしても辿れなかった。
まるで最初から、真実など存在しなかったかのように。
この世から彼女の情報がすっぽりと抜けてるのだった。
『……すみません』
「……そう」
藍はそれだけ言うと、またパソコンの画面に向き直った。
「僕が甘かったよ」
藍が自嘲気味に笑った。
「普段からもっと真面目に探偵をやっておくべきだった。参った。いつもヘマばかりやってるのに、そんな都合良く、突然上手く行くわけない」
『先生……』
すっかり弱り切った探偵の背中を、和音が心配そうに見つめた。その時、不意にTV画面から心臓がドキリとするような、短い警告音が聞こえた。藍と和音が思わずそちらに顔を向けると、画面上に《速報》の文字が点滅している。
《たった今入ってきたニュースです》
番組はいつの間にかニュースに切り替わっていた。スタジオMCの1人が、神妙な面持ちで、手渡された原稿を読み上げた。
《ここ数ヶ月都内で起きていた連続殺人事件ですが、警察は先ほど、犯行現場で撮影された犯人たちの顔写真を公開しました》
『あ……これ、さっき私が言ってたニュース……』
和音が呟いた。
どうやら容疑者は二人組だったようだ。片方は2mはあろうかという大男で、もう片方は若い女。どちらも薄布のようなもので顔を隠し、真っ黒な衣装に身を包んでいる。すると、どこからか風が吹いて、薄布がひらりと宙に舞った。
《ご覧ください。これが警察が公開した、容疑者二人組の顔です!》
MCが興奮気味に囁き、画面はそこで静止した。藍と和音は息を呑んだ。どこかで見た顔……いや、見間違いようがない。それは正しく消えた真実本人だった。
《顔が似てますね……親戚か、あるいは親子でしょうか?》
スタジオで静止画を睨んでいたナントカの専門家が、目を細め唸った。
《この映像は、つい先日撮れたばかりのようです。今まで犯人たちは一切証拠を残さず、またどんなに監視カメラを調べても映像が残っていなかったため、中々捜査が進展しなかったのですが……》
「映像が残っていなかった?」
藍が思わず呟いた。その間も、視線は真実の顔にじっと注がれている。
『ええ』
和音が神妙な面持ちで頷いた。
『この事件、犯行現場を写していたであろうカメラを調べても、毎回、何故か不可思議な『ノイズ』が入って犯人が映らないんです』
「ノイズ?」
『はい。専門家がいくら調べても、原因が分からないらしくて。そのせいでネットでは凄腕ハッカーの仕業だとか、幽霊の仕業だとか、色々噂になっていて』
「幽霊……」
《しかし……だったら何故今回は映像に映ってるんですかね?》
TVの中で、コメンテーターの一人が首をかしげる。その隣で、偉い専門家も難しい顔で唸った。
《分かりません。あるいはこれは、犯人側からの何らかのメッセージなのかも》
《メッセージ?》
《ええ。そのために敢えて我々の前に姿を現した》
《一体どんな?》
《それは……》
TVではそこから侃侃諤諤の討論が始まった。藍が無言でTVの電源を切った。しばらく事務所は重たい、重たい沈黙に包まれた。
それから数日後。週刊誌のスクープで、件の被害者の背中に血文字で『さよなら』とメッセージが残されていた、と報道があった。関係者を名乗る人物の証言だけで、証拠写真も映像もなかったが、和音が警察のネットワークに侵入し調べたところ、それが事実だったと判明した。
『それに……』
和音が少しためらったように言葉を切った。
「まだ何か?」
『そのメッセージを私が鑑定したところ……真実さんの筆跡と一致しました』
しばらく呆然としていた藍が、やがて静かに声を絞り出した。
「真実君が」
藍が週刊誌を床に叩きつけた。
「真実君が殺人なんてするはずがない。これは何かの間違いだ。きっとそうだよ」
『先生……』
「むしろ何らかの事件に巻き込まれてるとしか……その隣にいる大男が怪しいと思わないか? だって」
『先生、私何だか嫌な予感がします……』
和音が不安げに眉を八の字にした。
『この事件、何だかおかしいんです。私がどんなに検索しても、正解が一つもヒットしません。こんなことは今までなかった。何かとてつもない……闇を感じます』
「闇?」
『先生。この事件、とてもまともな事件じゃありません。これは私の勘ですが……このままこの事件に首を突っ込んだら、きっと先生も無事じゃ済まない。取り返しのつかない事態になってしまうんじゃないかと』
「大丈夫だよ」
和音が顔を上げると、驚いたことに、藍は笑っていた。
「僕が今まで解いてきた事件、和音君だって知ってるだろう? どれもこれも、とてもまともな事件じゃなかったよ」
『先生……ですが』
「もし真実君が、僕にだけ分かるようにメッセージを残したのだとしたら」
藍が立ち上がった。目の奥に光を取り戻しているのが、和音にも分かった。
「それは”さよなら”じゃなくて、”助けて”って意味だ」
『危険です……! もし真実さんを見つけたとして……その男が襲ってきたら!?』
「……大丈夫。僕が負けるわけないさ」
今にも泣き出しそうな和音に向かって、藍は静かに、しかし力強く宣言した。
「ギャグキャラを敵に回した恐ろしさを、思い知らせてやる!」




