Case2. 台本通り殺人事件
「AIはららららら〜♪」
ある日のこと。真実が探偵事務所の扉を開けると、狭い部屋の中で、上尾藍が何とも下手くそな愛の歌を1人熱唱していた。本当はみんな知ってるあの有名なラブソングなのだが、ここで下手に歌詞を書いて何やかんや面倒事になっては敵わないので、割愛させていただく。
真実は目の前の音痴を完全無視し、イヤホンのノイズキャンセリング機能をオンにして、古びたソファに寝っ転がった。周囲の雑音が何にも聞こえなくなる機能だ。まさか自分が「雑音扱い」されているとも知らずに、彼女に気づいた藍がニコニコと話しかけてきた。
真実は黙って『呪術廻戦』の続きを手に取った。相変わらず仕事はない。おかげで彼女はバイト中ずっと、ゴロゴロ寝転んで漫画を読んでいた。失礼だな。純愛だよ。
「……おぉいっ! 聞いてるのかっ!?」
「ンだよ! 今いいとこだったのに!」
真実のイヤホンを取り上げた藍が、呆れたように肩をすくめた。
「全く。助手の君がそんなんでどうする。これからAIを使って月50万を楽に稼ごうって時に」
「お前は純欲だよな」
『さすがです先生っ!』
「うぉっ!?」
すると突然、床から3D少女が飛びだしてきた。幽霊の如くキノコの如く、文字通り床からぽーん、と生えてきたのである。驚いた真実は危うくソファから転げ落ちるところだった。その正体は、よくよく見ると、床や壁に埋められた立体ホログラムだった。投影機のおかげで、AI少女がスマホを飛び出し、部屋に顕現したのである。
『ありがとうございます、先生!』
3D少女が目を潤ませ、上目遣いで藍を覗き込んだ。
『先生のおかげで、私は四角い画面を飛び出すことができました……先生に会うことができました。感無量です……!』
「はっはっは。良いんだよ、和音君」
「いつの間にか名前付いてる……わをん……」
「僕がもっともっと探偵として有名になって、依頼がジャンジャン舞い込むようになったら、街中を投影機で埋め尽くそう。世界は君のものだ。君は何処にだって行ける自由を持っているんだよ」
『先生……!』
「金の使い方間違ってるだろ」
今にもミュージカルでも踊り始めそうな2人を横目に、真実がため息を吐いた。
「終わったんじゃなかったのかよ」
「いやぁ。僕も短編で終わるつもりだったんだけどね。AIに相談したら、第七巻までシリーズ構成を考えてくれて」
「こんな一発ネタを七巻まで……!?」
真実は気が遠くなった。ストーリーモノならいくらでも引き延ばして誤魔化せるが、ギャグは基本一話完結だ。この作者の力量的に、せいぜい十話くらいが潮時だと思う。
「とりあえずこれ、読んどいてよ」
そう言って、藍が分厚い本をドサリと真実の前に置いた。
「AIが考えた台本だから。これから僕たちの身に何が起きるか、全部書いてあるから」
「よせ、登場人物に台本を読ませるな」
何だか軽くSFホラーである。早くもジャンル迷子になってしまった。真実の心配もどこ吹く風で、藍は優雅に鼻歌なんか歌いながら、軽く笑みすら浮かべていた。
「良いじゃない。どうせ事件は、AIが秒で解決してくれるんだから。僕たちは大船に乗った気で、どっしり構えてれば良いじゃないか。ね、和音君」
『はいっ先生♪』
「推理パートが秒で終わるミステリーが何処にあんだよ。どんな構成だ」
すると突然、事務所の黒電話がなった。受話器を手にした藍の顔がみるみる明るくなって行く。どうやら仕事の依頼らしい。
「しかもまた殺人事件だ! これは大仕事になりそうだね!」
「どうなってんだよ最近……まさか」
喜び飛び跳ねる藍の隣で、真実はジロリとAI少女を睨んだ。
「オイ……まさかお前が、裏で事件を生成してるんじゃないだろうな?」
「はっはっは。何言ってるんだ真実君。まさか僕の仕事を増やすために、AIがこっそり犯罪を作ってるワケないじゃないか」
「じゃあこの台本は何なんだよ」
『ウフフフフ』
「何笑ろとんねん」
真実の疑いの目から逃れるように、3D少女はパッ、と煙のように姿を消した。藍はいそいそと草臥れた探偵コートを身に纏い、大事そうに台本を抱え、事件現場へと走った。真実はため息を吐いた。漫画の続きも気になったが、一応バイト代はもらっているので、仕方なく彼女は藍の後を追った。
◻︎
事件は都内某所のマンションの一角、404号室で起きていた。殺されたのは40代の男性。自室の風呂場で、頭から血を流して倒れているところを発見された。
「……そして被害者の背中には、血文字で"AI学習禁止"と書かれていた」
「第二話にしてもうネタ切れじゃねーか!」
「うーん。またしてもAIを禁止されるとは……これはよっぽどAIを憎む者の犯行」
グロテスクな死体を前に、同じネタを使い回され、藍が頭を抱えた。
「どうしよう……AIがないと僕は……AI、AI……!」
「メガネメガネみたいに言うな」
「……ふふ」
「ん?」
「ふふふ。はっはっは! だけど、大丈夫!」
「どうした?」
突然1人笑い出した上尾を、真実は妖怪でも見るような目で眺めた。
「僕らにはこの台本があるじゃないか!」
「台本?」
「そう!」
藍は脇に抱えていた台本を丸めて、剣のように天に掲げた。
「この本にはこれからこの物語で起こる内容が、全部書いてあるんだよ。これを読めば、事件は解決したも同然だ!」
そう言って藍は分厚い台本を捲り、最後のページを読み始めた。真実は目を疑った。コイツ、トリックも謎もすっ飛ばして、ミステリー小説を犯人から読むつもりだ。
「マジか……そんな姑息な手段に出た探偵初めて見た……全然尊敬できない」
『そんなことありません!』
すると、スマホ画面の中から和音が割り込んできた。
『何としてでも事件を解決しようとするその執念……かっこいいじゃないですか!』
「またお前か」
『それとも事件は迷宮入りの方が良いんですか? ミステリー小説は最後のページから読んじゃいけないって、誰が決めたんですか? たとえ卑怯の汚名を着せられようとも、ハッピーエンドじゃなくても、自分は報われなくとも解決だけはして見せる……それもまた探偵の在るべき姿では?』
「うん……うん。ありがとう。和音君は優しいねぇ」
「分かった分かった」
真実はこの茶番に付き合いきれなくなって、深々とため息を吐いた。
「じゃあ、さっさと解決して見せろ。その台本とやらで」
「よぉし! 早速犯人が分かった! 行こう!」
台本を確認した藍が、意気揚々と犯人のところへ向かった。そんなに上手く行くだろうか。台本には書いてなかったが、話が進まないので、真実は仕方なく藍の後を追った。
◻︎
「すみません、貴方が犯人の田中さんですか?」
「は?」
同じマンションの503号室にやってきた藍が、扉を開けた住人にそう尋ねた。
「貴方が犯人の田中さんですね?」
「何言ってるんだアンタ」
田中は訳が分からない、と言った顔でぽかんと口を開けた。藍が扉に足をかけ、田中ににじり寄った。
「惚けないでください。貴方が犯人だって言うことは、もう分かってるんですからね!」
「んな……何を根拠に?」
田中が至極真っ当な疑問を口にした。
「俺が犯人だっていう証拠は? 動機は何なんだ? 第一、被害者が殺された時間、俺は会社にいたんだぞ。アリバイだってある。もし俺が同時刻に二つの場所に現れたってんなら、そりゃ一体どんなトリックなんだよ?」
「それは……まだ読んでないので分かりません」
「何だって?」
「だんだん雲行きが怪しくなってきたな……」
不安が的中した真実の隣で、藍が慌てて台本をめくった。
「えぇと……田中さん、貴方は第二の犯行、奥さんを殺した時に……」
「何ぃ?」
「どうしたのあなた?」
すると、部屋の奥から1人の女性が、怪訝な顔を浮かべて現れた。
「こんな夜中に何の騒ぎ?」
「この探偵が、俺がお前を殺したって言うんだよ」
「何ですって? 私、殺されたの?」
やって来た田中の奥さんが目を丸くした。
「どう言うことだよ! お前、喧嘩売ってんのか!」
「いや、これは台本に書いてあって……!」
「台本? 何言ってるんだこいつは」
「逆から読んでるからそんな事になるんだ」
真実はため息を吐いた。藪蛇だ。藍は胸ぐらを掴まれ、何とも情けない悲鳴を上げた。
「だから! この台本には、これから起きる殺人の詳細が全部載ってるんですよ!」
「何なんだその物騒な本は! そんなヤバそうな本を持ってる、お前がもはや犯人だろ!」
「何が第二の犯行よ! 私、殺されてないじゃない!」
「それは……僕が台本を確認したことで、未来が書き変わったというか……」
「インチキ占い師みたいな言い訳しやがって」
「きゃあ! 助けてぇ!」
今にもマンションから突き落とされそうになっている藍に、AI少女・和音が画面から助け舟を出した。
『落ち着いてください。第二の犯行に使われる予定だった凶器は、現在田中さんの机の、鍵付きの引き出しに隠されています。私が電子ロックをかけたので、もう開きませんが」
「え……?」
「何?」
『それから第一の犯行の証拠は、現場中に残されています。毛髪……人は1日に約50本〜100本の髪の毛が抜けるものです。どんなに注意していても、自然と抜ける毛を全部把握できないでしょう。私はすでに、現場で田中さんの髪の毛を3本発見しています』
「な……」
「……トリックは?」
『田中さん。そもそも貴方は何故殺された時間を知っていたのですか?』
「…………」
『警察はまだそこまで公表していません。早朝殺されたかもしれない。深夜殺されたかもしれない。なのに貴方は会社にいた時間だと断定した。犯人しか知り得ない情報です』
「…………」
『貴方は死体を風呂場に移し、体温の低下を遅らせ、死亡推定時刻を誤魔化した。アリバイを捏造ったのです。しかし推定時刻はあくまで推定、現代医学ではより複数の要因に渡って精査されるため、体温だけでは……まだ続けますか?』
「う……うぅ……!」
「あなた……!?」
和音に詰められた田中が、がっくりと項垂れ、髪を掻きむしった。
「クソ……! あの時ちゃんと頭皮ケアしておけば……!」
「そっちかよ」
「さすが和音君。全部僕が教えた通りだ」
「いや嘘つけ」
こうして事件は解決した。犯人を乗せたパトカーが、サイレンを鳴らし遠ざかって行く。朝が近い。中天にうっすら瞬く星空の下で、藍たちは並んでその様子を見送った。
「良かった、概ね台本通りだったね」
「どこがやねん」
「まぁまぁ、無事解決したから良かったじゃないか。さて……台本では、この後僕に50万円が振り込まれ、ヒロインと結ばれ、世界は平和になり、人々は探偵を崇め、ハッピーエンドになるはずなんだけど」
「そもそもこの作者まともに台本作ったことないぞ」
人間だもの。やがてゆっくりと東の空が白み始めて来た。お約束通り、藍がふらふらと朝陽に向かって走り出し、この物語は終わった。




